ヨーロッパ宇宙機関(ESA)は2月28日、ロシアと共同で開発を進めてきた火星探査機「エクソマーズ」について、現下の情勢では今年9月の打ち上げは困難であると発表しました。ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が、ついに宇宙開発、さらには月・惑星探査分野にも具体的な影響を及ぼし始めた形です。

エクソマーズ2022ローバー・着陸機

エクソマーズ2022で打ち上げが予定されているヨーロッパのローバー「ロザリンド・フランクリン」(手前)と、ロシア製の着陸プラットホーム「カザチョク」(後方)の想像図
© ESA/ATG Medialab

エクソマーズは、ヨーロッパ(ESA)とロシア(ロスコスモス)が共同で実施する火星探査です。
打ち上げが2段階となっているのが特徴的です。2016年には第1弾の打ち上げが行われ、周回機「微量ガス探査周回機=TGO」と、ヨーロッパの着陸実証機「スキアパレッリ」が打ち上げられました。TGOは火星周回軌道への投入に成功し、2022年3月時点でも探査を継続しています。一方、スキアパレッリは着陸実験に失敗しました。おそらく火星表面に激突したものとみられています。
さらに第2弾は、ヨーロッパが開発したローバー「ロザリンド・フランクリン」と、ロシアが開発した着陸プラットホーム「カザチョク」を載せ、2018年に打ち上げられる予定でした。ところが開発の遅れにより2020年に延期、さらに新型コロナウイルス感染拡大の影響でさらに2年延期され、2022年の打ち上げとなりました。
なお、火星探査機の打ち上げ好機は、火星と地球の公転軌道の関係から、2年に1回やってきます(逆にいうと、2年に1回しかチャンスがなく、そこを逃すと次は2年後となります)。従って、打ち上げ延期が2年毎となっているわけです。

今回ESAが発表したプレスリリースは、内容は短いものの、かなりはっきりとしたことが書かれています。
冒頭では

We deplore the human casualties and tragic consequences of the war in Ukraine.
私たちは、ウクライナの戦争で発生している人的な犠牲、そして悲劇的な結果について深い悲しみを表明する。

と述べ、まずこの軍事侵攻に対する姿勢を表明しています。

その後に、ESAがロシアと協力して行ってきた各種協力事業について、現状での見通しを述べています。
エクソマーズについての項目は以下の通りです。

Regarding the ExoMars programme continuation, the sanctions and the wider context make a launch in 2022 very unlikely.
エクソマーズ計画については、制裁、及び幅広い状況を鑑みると、2022年の打ち上げは非常に難しい。

なお、ESAとしては理事長を中心として状況を見極めつつ、最終的な決定を行う予定であるとしています。

ESAはほかにも、ソユーズロケットの打ち上げに関してロシアとの協力関係にありますが、このプレスリリースによると、南アメリカにあるフランス領ギアナのクールー打ち上げ基地からロシア人スタッフが退去しているとのことで、こちらにより、新型ロケットのアリアン6やベガCなどの打ち上げや開発スケジュールに影響が出るかどうかについても調査中とのことです。

今回の場合、ヨーロッパ各国及びEUが行う制裁に加え、ロシアにおける物流や経済の混乱(今後想定されるものも含め)も大きな要因となっている可能性があります。特にエクソマーズは打ち上げロケットがロシアのプロトンであり、打ち上げ場所がバイコヌール宇宙基地ですので、ここまで探査機を輸送する必要が出てきます。少なくとも現在の状況では輸送は困難を伴うでしょうし、現地へのスタッフの派遣、またロシア側スタッフのヨーロッパへの派遣なども難しいと考えられます。

上述の通り、火星探査機の打ち上げチャンスは2年に1回やってきます。もし2022年の打ち上げチャンスを見送る場合、次のチャンスは2024年(時期の都合で2024年末〜2025年はじめ)ということになります。ここから半年〜1年近くかけて火星に行くわけですから、仮にエクソマーズ第2弾の打ち上げが行われたとして、当初予定から6年遅れの2024年打ち上げ、2025年火星到着ということになります。
なお、火星表面のローバー・着陸機からの通信はTGOを介して地球へと送られる予定です。周回機の運用は2022年までとされていますが、他の火星周回機の状況から「周回機は長持ちする傾向が高い」ことを考えると、2年遅れとなっても対応可能とは思われます。2003年にヨーロッパが打ち上げたマーズ・エクスプレスが現在でも稼働していますし、仮にTGOに問題が発生しても他の火星周回機がバックアップできる可能性もあります。

しかし、今回のウクライナ軍事侵攻は、ヨーロッパではかつてないできごととして認識されています。仮にこの軍事侵攻が早期に終結したとしても、ヨーロッパ側の経済制裁やロシアの物流などの混乱がかなり長く続く可能性があります。そうなった場合、2024年の打ち上げさえ難しくなることが予想されます。
さらにもっと打ち上げが遅くなる場合、探査機自体の劣化などが発生する恐れもあり、そうなるとこのエクソマーズ第2弾の打ち上げ自体ができなくなる恐れもあります。

今回のエクソマーズ2022打ち上げ中止は、ロシアにとっても大きな痛手です。
ロシアは火星探査では失敗を重ねてきました。特にこの30年、ロシアは火星探査機を4機も失敗させるという失態を犯しています。80年代のフォボス探査機(2機)、96年のマルス96、2012年のフォボス・グルント、いずれもミッションを達成することなく失敗しています。マルス96やフォボス・グルントに至っては地球周辺軌道の脱出にすら失敗するという状態で、ロシアの宇宙開発力の低下を象徴するという見方もありました。
もし今回カザチョクが火星表面に着陸すれば、ロシア製の機器が約50年ぶり(1971年のマルス3号以来)に火星に到着することになります。なお、マルス3号は着陸後20秒で電波が途絶えてしまったため、その意味でいえば「ロシア製の火星探査機がはじめて稼働する」ことになるはずでした。
ロシアとして、国民に誇れる成果となるはずだった火星探査という機会を失うことは、国としても少なからぬ影響が出るかも知れません。

今回のウクライナへのロシアの軍事侵攻は、宇宙開発にも様々な影響を与え始めています。

例えば、国際宇宙ステーション(ISS)は軌道高度の維持や緊急脱出用に、ロシア製の有人宇宙船「プログレス」を使用しています。これについてすでにNASAが、ロシア製以外の宇宙船を使用する検討を始めたとの報道があります。また、スペースXのCEOであるイーロン・マスク氏は、このプログレスの代わりにスペースXの宇宙船を使えるとツイッターで表明しています

今回のエクソマーズは、そもそも予算に振り回されたミッションでもありました。検討は2000年代に始まったにもかかわらず、当初共同で進めていたNASAが2012年に予算の問題から離脱、そこに入ってきたのがロシアでした。20年近くかかってようやくすべての探査機の打ち上げを目の前にしたところで、今回の事態が起きたわけです。
しかし、この先西側諸国がロシアと宇宙開発で共同プロジェクトを組むことは考えにくくなるでしょう。ヨーロッパは、一時的か永続的かはわからないにせよ、ロシアと決別することになりそうです。とはいえ、ヨーロッパの宇宙開発の規模では月・惑星探査を単独で実行するのはなかなか難しそうです。となるとどこと組むのか。NASAか、あるいは水星探査「ベピ・コロンボ」や木星探査「ジュース」で連携実績をすでに確立している日本か。
軍事侵攻の今後の動き次第では、世界の風景はもちろん、宇宙開発の風景も一気に変わってしまうかも知れません。

一刻も早くロシアがウクライナから撤退し、状況が正常化し、再び平和な世界で宇宙開発が進むことを願わざるを得ません。

  • ESAのプレスリリース