月探査情報ステーションとは

月探査情報ステーションは、月・惑星探査の情報を中心として、月の科学、さらには月や月・惑星探査にまつわる様々な情報を皆様にお届けする、「月・惑星探査のポータルサイト」です。

このサイトでは、月を中心として、「科学」という視点を中心に取り上げ、月についてどのようなことがわかり、どのようなことがわかっていないのかを解説しています。

そして、まだわからないことを調べようとする「探査」(ミッション)について、最新情報をいち早くお知らせするほか、その背後にある科学などについて、わかりやすく解説しています。

月について、私たちはどの程度のことを知っているのでしょうか? ここでは、月の不思議や謎、解明された事実などをまとめました。科学だけではなく、雑学などの広い話題も網羅しています。

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月は、見て楽しむものでもあります。このカテゴリーには、いろいろな楽しみ方ができるよう、クイズや参加型プロジェクト、ギャラリーなどを取り揃えてあります。

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人間は月に降り立ち、惑星へ探査機を飛ばしてきました。そのチャレンジは今も続いています。ここでは、そういった私たちの外の世界への挑戦をご紹介します。

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お知らせ

2301, 2017

宇宙研の月・惑星探査プロジェクトに尽力した飯島祐一氏の名前が小惑星に命名される

今回の記事はやや私(編集長)の個人的なニュースである側面があることを、あらかじめご承知おきください。

JAXAの「はやぶさ2」チームは23日、2012年に亡くなった宇宙研助教・飯島祐一氏の名前が小惑星に付与されたと発表しました。
小惑星番号は120741番、英語名はiijimayuichiです。
今回の小惑星は、「はやぶさ2」チームが見つけたわけではありません。埼玉県入間市のアマチュア天文家・佐藤直人さんが発見した小惑星に、氏のご厚意で飯島氏の名前がつけられたものです。

飯島祐一さんは、名古屋大学(大学から大学院)で博士号を取得、その後宇宙研へ移り、宇宙研の月・惑星探査に精力的に取り組んでこられました。
月探査衛星「かぐや」では開発全般を指揮、自身の数多くの実験などを通した知見から、開発全体や個別の機器開発に多くのアドバイスを与えました。機器開発の経験が少ない固体惑星科学分野の研究者がはじめて開発する月・惑星探査の機会ということで、彼のアドバイスに助けられた方も非常に多かったのではないでしょうか。

しかし、その彼にガンという病が襲います。入退院を繰り返しつつ、それでも進行中のミッションについて気にかけてきました。「はやぶさ2」に関しては、最後に搭載が決まった分離カメラ(DCAM3: 「はやぶさ2」の衝突装置を監視するカメラ)の開発に関して病床から会議に参加したとのことです。病に冒された体を、それでもすべての力を振り絞り、「はやぶさ2」「セレーネ2」(セレーネ2自体はミッション終了となりました)、そして日本の月・惑星探査に、まさにすべての力を尽くしてくださいました。
しかし2012年、闘病、そして周りの方々の祈りも虚しく、44歳という若さでこの世を去りました。

私(編集長=寺薗)は、飯島祐一氏は名古屋大学時代から知っています。当時あった教養部の同じクラスの1年先輩でもあり、私が進学した地球科学科の1年先輩でもあります。
私からみると少しとっつきにくいところもありましたが、学問や実験(彼は月・惑星などのクレーターを再現するための衝突実験を研究対象としていました)に関しての熱意はまさに「すごいもの」がありました。私も学部生として実験のお手伝いをすることもあるのですが、その実験の準備や解析への熱意は本当に学ぶべきところが多々ありました。
不思議な縁で、やがて宇宙研で(といっても、私はすでに宇宙研から宇宙開発事業団に移っていましたが)飯島さんと一緒になるわけですが、その探査への並々ならぬ意欲は私にもしっかりと伝わってきました。
彼が病気に侵されている、ということを知ったのは私が会津に移ってからでした。彼が全人生を込めた、といってもよい「かぐや」がミッションを終え、そしてその次に「はやぶさ2」がやって来る、というその段階で、彼は帰らぬ人となってしまいました。本当は彼自身が開発に心血を注いだ探査機が得た、別世界のデータをみたかっただろう、科学者として解析し、論文を書きたかっただろう、そう思うと、あまりに早い死に私もいまでも涙を禁じえません。

「はやぶさ2」チームによると、小惑星iijimayuichiは、「はやぶさ2」の目的地である小惑星リュウグウよりも外側の軌道を回るそうです。本当の意味で星になった飯島氏が、「はやぶさ2」、そしてその成果をみてくれる、そして安全を見届けてくれると私は信じています。
ここに改めて彼のご冥福を心よりお祈りすると共に、彼が達成できなかった分を私たちが必ず成し遂げると、私自身誓いを新たにしたいと思います。

はやぶさ2チームのリリース
http://www.hayabusa2.jaxa.jp/topics/20170123/
「かぐや」に貢献した飯島祐一氏を悼む (宇宙科学研究所)
http://www.isas.jaxa.jp/j/isasnews/serial/jijo/201301/11.shtml
※固体惑星研究系の同僚であり、私(編集長)もご指導を受けた田中智先生の文章です。
日本惑星科学会特別賞の授与について (日本惑星科学会)
https://www.wakusei.jp/news/prize/special-2012/index.html
※探査への貢献に際し、日本惑星科学会より特別賞が授与されています。
小惑星 iijimayuichi についての情報 (ジェット推進研究所) 
http://ssd.jpl.nasa.gov/sbdb.cgi?sstr=Iijimayuichi&orb=1
※軌道などをご覧いただけます。なお、実行にはJavaプラグインが必要です。

1701, 2017

アポロ宇宙飛行士、「最後に月面を歩いた男」ユージン・サーナン宇宙飛行士が亡くなる

アポロ10号、及びアポロ17号で飛行を行い。アポロ17号では月面でのミッションを実施、「最後に月面を歩いた男」と称された宇宙飛行士のユージン・サーナン(ジーン・サーナン)氏が、1月16日(アメリカ中部時間)、テキサス州ヒューストンで亡くなりました。82歳でした。

ユージン・サーナン氏は、海軍の大佐でもあった方で、生涯に3回の宇宙飛行を行っています。そのうち2回がアポロ計画による飛行でした。また、アメリカ人として2回めの船外活動(いわゆる「宇宙遊泳」)を行った功績により知られています。

ユージン・サーナン氏は1963年10月にNASAにより選ばれた14人の宇宙飛行士の1人です。1966年6月には、トーマス・スタッフォード船長と共にジェミニ9号に乗り組み、地球を周回する3日間の飛行を行いました。その際、サーナン宇宙飛行士は2時間以上にわたる船外活動を実施しています。

1969年5月、サーナン宇宙飛行士はアポロ10号の乗組員として飛行を行いました。
アポロ10号は、その次に続くアポロ11号(人類初の月面着陸を行った宇宙飛行士を乗せたアポロ宇宙船です)のいわばリハーサルの役割を果たしていました。月に着陸しない以外はアポロ11号とほとんど同じ手順を踏んだといってよく、月を1周して地球に帰るというミッションでした。もちろん、着陸しないからといっても、それが大変なミッションであることには変わりありません。
アポロ10号では、ジェミニ9号でも乗り組んだトーマス・スタッフォード宇宙飛行士と一緒でした。スタッフォード宇宙飛行士が船長を、司令船のパイロットは後にアポロ16号で月の土を踏むことになるジョン・ヤング宇宙飛行士、そして月着陸船のパイロットをサーナン宇宙飛行士が努めました。
着陸しないとはいえ、本番そのもののリハーサルですから、月着陸船のパイロットは非常に重要な役割を負うことになります。このアポロ10号によって月着陸船が正常に機能することが確かめられ、その2ヶ月後、アポロ11号によって人類は月面に降り立つことになります。

2007年のインタビューでは、サーナン宇宙飛行士はこう語っています。「いつもニール・アームストロングに(アポロ11号の船長として人類ではじめて月に降り立った宇宙飛行士)言っていたのだが、私たちは上空から月にまで、約15キロの白い線を空に描いていたのだ。彼が迷わず降りるために。だから、あと彼がやることは着陸することだけだった。それを簡単にできるようにしておいたんだ。」

ただ、彼は裏方に徹してばかりではありませんでした。より大きな大役は、彼の最後となる宇宙飛行でやって来ます。
1972年12月、アポロ計画最後の宇宙船として、アポロ17号が打ち上げられます。サーナン宇宙飛行士は、アポロ17号の船長として、最後のアポロ計画を円滑に実行するという、まさしく大役、そして重要なミッションが与えられました。

アポロ17号は、アポロ計画最後ということもあって様々な役割を与えられていました。例えば、月の地質をより詳しく調査するため、初の地質学者の宇宙飛行士であるハリソン・シュミット宇宙飛行士が乗り組みました。彼の地質学者としての目により、着陸点周辺で非常に多くの月のサンプルが回収されました。その総量は約110キログラムに及び、アポロ計画中最大です(なお、アポロ計画全体では約380キログラムの月のサンプルが回収されていますので、アポロ17号だけでその3分の1近くを占めることになります)。
また、月面車による移動もアポロ計画中最長で、その移動距離は約35キロにも及びます。
当時としては最長の宇宙滞在記録(約301時間=約12日半)、月面における最長の活動時間(22時間6分)、月軌道上での最長滞在時間(147時間48分)など、アポロ17号は数多くの記録を打ち立てています。なお、サーナン宇宙飛行士とシュミット宇宙飛行士は、3日以上にわたって月面に滞在しました。

アポロ17号で楽しそうに月面活動を行う2人の宇宙飛行士の様子は、世界でも話題になりました。

そして、最後に月を去るとき、ユージン・サーナン宇宙飛行士は、次の有名な言葉を残しています。
私たちはここにやってきたときと同じようにまた地球へと戻る。そして全能の神のご意思により、私たちは再び月へと戻るだろう。すべての人類の平和と希望と共に。

We leave as we came, and, God willing, we shall return, with peace and hope for all mankind.
(なお、正確には以下のようになります。
America’s challenge of today has forged man’s destiny of tomorrow. As we leave the moon and Taurus-Littrow, we leave as we came, and, God willing, we shall return, with peace and hope for all mankind.
「アメリカのこんにちの挑戦は人間の明日への運命を前進させた。そして、私たちは月、そして(アポロ17号着陸点である)タウラス・リトロー地域を去る。ここにやってきたときと同じようにまた地球へと戻る。そして全能の神のご意思により、私たちは再び月へと戻るだろう。すべての人類の平和と希望と共に。」)

こうして、月を歩いた最後の宇宙飛行士となったサーナン宇宙飛行士は、地球への帰途についたのでした。それから44年、彼以降に月に向かった人類はいません。

NASA設立50周年のインタビューの際、サーナン宇宙飛行士は、「アポロ17号はこれまでのミッションの成果に基づいて科学的に製造された。」と述べています。「私たちには月面車(有人月ローバー)があり、他のミッションのときよりもより広い領域にわたって行動することができた。私たちはそこ(月)でこれまでよりちょっとだけ長く滞在した。私たちは、月の起源と進化についてより詳しく知るために、山寄りのエリアにある特徴的な場所を着陸地点に選んだ。」
タウラス・リトロー地域は、月の「海」と呼ばれる黒っぽい部分と「高地」と呼ばれる白っぽい部分との、ちょうど境目に当たる場所です。そして、山がちの起伏に飛んだ場所です。アポロ17号はその山裾に着陸しています。着陸するためには、山のような起伏に飛んだ地形は危険を伴います。しかし、科学的に重要なデータを得るためには、起伏の多い高地の岩石のデータがどうしても必要でした。さらに、地質学者であるシュミット宇宙飛行士がいるということで、より良質なサンプルが取れる場所に降りる必要がありました。最後ということもあり、ある程度危険があることを覚悟のうえで、タウラス・リトロー地域が選ばれたのです。
私(編集長)も月の地質を調べると上でアポロ17号着陸点付近の地質データを(もちろん、周回機のデータから)調べたことがあるのですが、そのためには当時のサンプルの分析結果が非常に役立ちました。彼らがいなければ、彼らが月の石を拾ってこなければ(それも適切なサンプルを拾ってこなければ)、今の数多くの周回機のデータは役立たなかったことでしょう。そして、アポロのサンプルは今でも科学者によって分析が続けられています。

上の「ブルー・マーブル」の写真については、こう語っています。
「写真の意味だって? 私はいつも言っているし、言ってきたし、今でも信じてるし、きっとそうだろう—もう(月着陸から)50年になろうとしているし(インタビューは2007年)、でも、それが50年だろうが100年だろうが、人類が歴史を振り返ってアポロ計画の意味を知るときが来ると思ってるよ。人類が地球という、ただ1つしかない惑星を離れて、宇宙にたった1つしかない私たちの隣の星を訪ねた。私たちがいま宇宙で行っていることを考えると、アポロ計画は少し早すぎたのかも知れない。まるでジョン・F・ケネディ(アメリカ大統領。アポロ計画のきっかけとなる有名な演説を行った)が21世紀にやってきて、何十年もの時を引き寄せて、1960年代・70年代にぐっと戻して、私たちがアポロ計画と呼ぶものを作り上げたかのようだ。」
早すぎたのでしょうか。彼以降誰も月に行っていないということを考えるとあるいはそうかも知れませんし、いま人類が「ふたたび月へ」という動きをみせていることを考えると、機はあるいは熟してきているのかも知れません。

その後サーナン宇宙飛行士は1976年7月1日にNASA及びアメリカ海軍を辞職・退役し、その後は民間企業の職や宇宙開発のコメンテーターなどを勤めていました。

NASAのチャールズ・ボールデン長官は、ユージン・サーナン宇宙飛行士の死去に際し、次のように述べています。
アポロ宇宙飛行士であり、月を歩いた最後の男であるユージン・サーナン氏が、私たちの地球から旅立っていった。彼の死去を本当に悲しく思う。月を1972年に最後に訪れ、そこから去った際に、彼はこう述べている。「この月面からやがてくる未来に向けての最後の歩みの中で、アメリカのこんにちの挑戦は人間の明日への運命を前進させたということを記しておきたい。」彼はまさにアメリカのパイオニアであり愛国者でもあり、私たちの国の途方もない野心的な計画に果敢に挑戦し、それを成し遂げ、人類が到達できなかった場所にたどり着いたのだ。
かれは海軍パイロットとして軍務に就いた後、宇宙飛行士としてジェミニ9号での飛行を行った。アメリカ人として2人目となる船外活動を実施し、宇宙船のドッキング試験を実施した。この試験は後のアポロ計画で重要な役割を果たすことになる。そしてアポロ10号及び17号の乗組員となり、世界で3人だけとなる、月に2回飛行した人間となった(編集長注: 残り2人は、アポロ8号及び13号で月へ赴いた(が着陸できなかった)ジム・ラベル宇宙飛行士と、アポロ10号及び16号で月に赴いたジョン・ヤング宇宙飛行士)。彼はアポロ17号の船長として、未だ破られていない月への最長時間飛行記録、月面での最長活動時間記録、最大のサンプル回収量の記録、そして月軌道上での最長滞在時間の記録を打ち立てた。
ジーンの足跡は月に残されている。彼の活躍もまた、私たちの心に残り、深く刻まれることだろう。国のために大きなことを成し遂げ、チャレンジしようという彼の思いは、次のような言葉に要約されている。
「私たちはまさに挑戦の時代に生きている。挑戦することで機会が得られる。空はもはや限界ではない(原語: The sky […]

1301, 2017

「月の本」「月の雑学」「月の科学」各コーナーのページを新サイトへ移転

昨年3月にリニューアルを行って以来、月探査情報ステーションは徐々に旧サイトから新サイトへの移転を行っています。ただ、サーバーの安定的な運用が確保できるまでに時間がかかったり、編集長が昨年後半に多忙だったことなどもあって、その作業が遅れておりました。

今年に入りまして、遅れていた分を挽回すべく、移転(より正確にいいますと、旧サイトURLの新サイトURLへの転送作業)を進めております。このたび「月の本」「月の雑学」「月の科学」について、新サイトへの移転を実施しました。
現時点での実施内容は以下の通りです。

月の本…すべてのページが新サイトに移転しました。
月の雑学…第1話、第2話、及び第3〜5話のトップページが新サイトに移転しました。
月の科学…すべてのページが新サイトに移転しました。ただ、トップページからリンクされていない「トピックス」というページがあったため、こちらを今後移転いたします。

上記で述べた、現時点で移転されていないページにつきましても、1月中にはすべて移転する予定です。
移転が完了した旧サイトのページは削除されています。
なお、旧サイトのURLでアクセスされた場合でも、当面(少なくとも1年間)は新サイトに自動的に転送されます。
新サイトでは旧サイトとリンクが異なりますので、もしリンクなどをかけられていらっしゃる方は、お手数ですが変更作業をお願いいたします。

1301, 2017

NASAの小惑星イニシアチブ、小惑星捕獲計画(ARM)がNASA予算未確定のため遅れ

NASAが進める小惑星探査フレームワーク「小惑星イニシアチブ」、その中の大きな柱として位置づけられている、小惑星捕獲・回収・有人探査計画(アーム…ARM: Asteorid Redirect Mission)が、アメリカ2017年度予算が確定していないことにより数ヶ月程度の遅れを生じる可能性があるとのことです。アメリカのスペース・ニューズ(SPACENEWS)が報じています。

アームは、小惑星イニシアチブの中核をなすものです。まず無人探査機が地球周辺の小惑星(地球近傍小惑星)に飛行、大きさ数メートルサイズの岩石を採取します。その後、小惑星の軌道を変える実験を行ったあと、岩を抱えたまま地球-月付近の軌道(月遷移軌道)へ移動します。この段階で地球から有人宇宙船(おそらくはオライオン宇宙船)を打ち上げ、月遷移軌道上でドッキングし、小惑星(の岩)を調べ、一部は持ち帰るという計画です。
もともとは小惑星をまるごと(!)持ち帰ろうという野心的な計画だったのですが、それですと技術的に非常に難しく、また予算もかかることもあり、現在ではこのような形に落ち着いています。
それでも当初予定より進行が遅れているようで、議会ではARM計画について懐疑的な意見もあるということは以前お伝えした通りです。

11日、アリゾナ州ツーソンで開催されたNASAの小天体アセスメントグループ(SBAG: Small Bodies Assessment Group)の会議ではこのスケジュールについて話し合われた模様です。

ARMのプログラムディレクターのミシェル・ゲイツ氏は、NASAがARM探査機の主要部分であるロボット部分について、当初予定されていた3月から5月に契約を延期したと述べています。同様に、搭載機器の開発についても、それを選定するグループの立ち上げを4月から6月に延期したとのことです。
ゲイツ氏によれば、この遅れは2017年10月のNASA予算の継続決議に基づくものです。この「継続決議」(CR: Continuing Resolution)とは、いってみれば「暫定予算」ともいえるべきもので、歳出のための法案が可決されていない場合にとりあえず前年度と同じ形での支出を可能にする、というものです。ゲイツ氏はこれが4月28日まで続くとし、それより先に重要な決定を延期しなければならないと述べています。
今回のスケジュール修正により、主要部分の契約などは、ARMに対しての予算が正式に確保される段階か、あるいは継続決議がより延長されて、曲がりなりにも予算が確保できるようになってからでないと本格的な開発段階に入れないことが明らかになりました。
ただし、ARM全体スケジュールへの影響は大きくはなく、予定している2021年の打ち上げに向けて支障はないとのことです。

また、ゲイツ氏はこの件に関連して、ARM計画が今後どうなるかについては言及していません。上でも述べたように議会での懐疑論もありますし、産業界もARMが将来キャンセルされるのではないかという見方を徐々に強めているようです。さらに、まもなく就任するトランプ次期政権下で、この計画が継続されるのかどうかも不透明です。そもそも共和党は伝統的に月回帰の傾向がありますし、トランプ次期政権がアメリカの宇宙開発についてどのような施策を持っているのか、今はまだはっきりとはしていません。多くのアメリカの宇宙関係者はいわば様子見をしているという状況で、それがまた不安感を煽る元になっているようです。

また、この記事ではヨーロッパの小惑星サンプルリターン計画AIM(Asteroid Impact Missionのことを指しています)についても触れられています。上記のツーソンの会議ではこのことが話題になりました。ヨーロッパでも予算がヨーロッパ宇宙機関(ESA)から十分に得られないため、全体的に縮小させる方向で計画を練り直すことが明らかになりました。12月にスイスで開催された説明会で、計画に対して十分な予算を支出するということにならなかったようです。
ESAのAIMのマネージャーのイアン・カーネリ氏は、2019年の打ち上げに向けての開発費用として最低1億500万ユーロ(日本円にして約128億円)の費用が必要と説明したのですが、会議で得られた額はその3分の2に当たる7000万ユーロ(日本円で約85億円)だったそうです。
予算が削減された理由としては、国際宇宙ステーション(ISS)の資金拠出が必要になったことが挙げられているそうです。2024年までISSを維持するための予算のために、AIMがいわば「犠牲」になった形です。

AIMはヨーロッパが打ち上げる小惑星探査計画です。行き先は小惑星ディディモス(Didymos)で、2020年に打ち上げられる予定です。小惑星の詳細な観測に加え、NASAが開発した装置である二重小惑星軌道変更テスト(DART: Double Asteroid Redirection Test)で小惑星の軌道変更実験を実施します。いってみればヨーロッパ版のARMともいえなくもありません。
ただ、予算が減ってしまっては別のことを考える必要があります。カーネリ氏は、AIMの計画縮小版を現在検討しているとのことで、その名前は…AIMlight(「エイムライト」)と呼ばれています(なんかビールみたいですが)。現在計画されているAIMの半分の重量の探査機を想定していて、当然のことながらより小型のロケットで打ち上げる、あるいは別のロケット打ち上げへの相乗りの形での打ち上げを考えているようです。しかし、軽くしなければならないということで、エイムライトでは機器はカメラたった1つだけになる可能性があります。さらに小惑星における観測期間も短縮されるとカーネリ氏は述べています。
AIMが全体構想実現のためには2億5000万ユーロ(日本円で約305億円)必要とされるのに対し、エイムライトでは1億5000万ユーロ(日本円で約183億円)にとどまるとのことです。確保できた予算よりもう少し費用が必要ではありますが、不可能な額ではないと思います。
カーネリ氏は、エイムライトについては6月までにミッション案を提出できると述べています。

このように、ヨーロッパとアメリカの小惑星探査計画がどちらも非常に不透明な状況に置かれているというのは、私たち日本にとっても決して望ましいことではありません。ただ、ARMについては次期政権発足後の宇宙政策なども見極める必要がありますし、議会内の動向にも振り回される可能性がありますから(共和党が多数を占める議会での宇宙政策の扱われ方にも気をつけなければいけません)、しばらくはミッションが不安定な状態に置かれる可能性が出てきそうです。
そして、ARMがもし「キャンセル」という最悪の事態になった場合、それを柱の1つとしている小惑星イニシアチブ自体にも大きな変更が及ぶ可能性があります。
思えば、ここのところアメリカの宇宙計画は、政権が変わるたびに大きな変更を余儀なくされてきました。ブッシュ(子)政権が打ち上げた「新宇宙政策」(VSE)、そしてそれを具現化した「コンステレーション計画」は、予算の肥大化やスケジュール遅延などによってオバマ政権下でキャンセルされました。そしてオバマ政権で新たに打ち出されたのが、小惑星有人探査ミッションとしての「小惑星イニシアチブ」だったのです。
コンステレーション計画も小惑星イニシアチブも、アメリカ宇宙開発の究極の目標である火星探査に向けた計画です。ただ、コンステレーション計画が月を経由して火星に向かうという形なのに対し、小惑星イニシアチブは小惑星を有人火星探査のテスト場所にするという考え方にしています。
このように、政権が変わるごとにミッションが揺れているアメリカの宇宙政策、とりわけ大型の月・惑星探査計画が、次期トランプ政権下でまた変更ということになる可能性もありますが、このようなことの繰り返しは結局はミッションに投資する資源の無駄につながる恐れがあるのではないかという危惧を私(編集長)は持っています。そして、将来的には他国、とりわけ中国の宇宙開発における優位、あるいはリードを許す可能性もあります。

トランプ氏の大統領就任まであと1週間。混沌とした状況の中で、いま私たちができることは、情報をしっかりと集めること、そして月・惑星探査推進の声を上げることのようです。

スペースニューズの記事 

Asteroid missions face delays and restructuring


小惑星イニシアチブ (月探査情報ステーション)

小惑星イニシアチブ – Asteroid Initiative

 

1201, 2017

支出・収入を最新の情報に更新

「総合案内」にある「支出」および「収入」に関する情報を、本日(1月12日)現在のものに更新いたしました。

1101, 2017

「月の科学」ページを新サイトに転送、合わせて「月の起源」ページを修正

月に関する科学的な解説としてご好評をいただいているコーナー「月の科学」につきまして、昨日より新サイトにすべてのページを転送するようにいたしました。すでに新サイトは用意されているのですが、旧サイトへリンクされるケースが多かったため、モバイルでの閲覧に適しているなどより便利な新サイトでご覧いただける方がよいかと思います。

合わせて、その中でも最も人気がある「月の起源」のページですが、新サイトへの移行途上で前のページの内容が間違ってコピー・ペーストされた形になっていたため、先ほど元の内容への修正を行いました。大変失礼いたしました。

協賛企業

ふくしまからはじめよう
渡辺教具製作所
ウイルネット