確かに、水もないのに、月の上には「海」がいっぱいあります。また、「沼」がつく地名もあります。月の真ん中あたりの少し下、「晴れの海」の東側には「腐敗の沼」(Palus Putredinis)という地名があります。また、海や沼だけでなく、「入江」や「湖」といった、水にちなんだ地名が多く存在します。
この由来は、望遠鏡での観測が始まった頃にさかのぼります。
最初に月を望遠鏡で眺めたのは、ご存じの通り、イタリアの科学者、ガリレオ・ガリレイです。1609年、彼は自作の望遠鏡を月に向け、月の表面の模様をスケッチしました。これまでの肉眼による観測と違って、月の表面には様々な模様があることがわかってきました。
これ以降、何人もの観測者によって月の観測が行われ、地図も作られるようになりました。
1645年には、ラングレン(Langren)によって初めて、月の表面の模様に名前がつけられました。1647年にはポーランドのヘベリウス(Hevelius)によって、月の山脈に、地球の山脈の名前がつけられました。今でも、月には「アルプス山脈」「コルディレラ山脈」など、地球の山脈と同じ名前がつけられている山脈があります。
さて、月の地名について最初に体系的にまとめたのは、イタリア・ボローニャの天文学者・理論家・哲学者のリッチオリ(Riccioli)です。彼はそれまでの命名法を捨て去り、その代わりにクレーターや模様、山脈などに体系的に名前を割り振ることを提案しました。1651年のことです。
このときに、リッチオリは、月の表面の暗い部分を「海」と思って、海の地名をつけてしまったのです。また、暗い部分でも小さいところには、沼、あるいは湖の地名を与えてしまいました。これが、現在でも引き継がれているのです。
当時は望遠鏡の性能も低く、肉眼観測がメインでした。また、実際に月には地球と同じように、海や陸があるという考え方もごく当たり前でした。リッチオリが、月の表面のくらい部分に水がたまっていると考えたのも、当時としては無理のないことだったのでしょう。
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■参考資料
- 野本陽代著「ふたたび月へ」 丸善ライブラリー(1996)
- Antonin Rukl, Astronomy Atlas of the Moon, Kalmbach Books, 1990