最近、いくつかの新聞などが、日本が火星の衛星からのサンプルリターンを行うことを決定したと報じています。これについてはどのような計画になっており、実際のところどうなのかという点について、少し真相を追ってみることにします。

一斉にこの記事が出た理由としては、6月9日(火)に開催された、宇宙政策委員会の宇宙科学・探査小委員会の第2回会合にあるかと思われます。
ここでは将来の宇宙科学探査の方向性について議論されており、その中で、有力な探査候補として、トロヤ群衛星(木星と同じ公転軌道上に位置する小惑星群)探査と、火星衛星からのサンプルリターンの2つに絞り込んでいます。その上で、「比較的短い時間で、多くの目的を達成可能」として、火星衛星からのサンプルリターンを選択する(資料1-5)としています。すでに今年5月にはこの火星衛星からのサンプルリターンを検討するためのチームが設立されています。

この探査の意義としては、同じく資料1-5に4つの重要項目が挙げられています。

  1. 火星の衛星についての起源解明…小惑星が捕獲されたのか、太陽系形成の際に元となる円盤からできたのか諸説あるが、これに決着をつけることで、火星の起源に迫る。
  2. サンプル分析を通じた火星形成史の解明…火星の衛星が小惑星起源である場合には、ちょうど小惑星イトカワのように、長期にわたって変性を受けていない物質を採取することになる。太陽系形成時の円盤から形成されたとすれば、火星誕生期に起きた衝突を反映しているはずで、火星の歴史、とりわけ初期史を解明するきっかけになる。
  3. 火星圏の環境の歴史・進化の解明…長年にわたって火星大気などから流失してきた物質が火星の衛星には堆積している可能性があり、火星形成史や火星大気の進化(変化)を解き明かす鍵となる可能性がある。
  4. 火星大気・表層の観測…火星衛星のサンプルリターンと共に、火星をも観測し、火星の表層や大気についての知見を得る。

となっています。

各紙記事によると、先日公表された月探査機スリム(SLIM)によるピンポイント着陸と、「はやぶさ」などで培われたサンプルリターン技術を組み合わせる、という報道もありましたが、このあたり、資料からは直接読み取ることができないにしても、短期間で実施可能という点から、既存技術の組み合わせという意味で間接的にそのような形ではないかと解釈することは可能でしょう。

また、資料1-6には様々なケースを想定した衛星の設計案が出ています。原文はPDFですが、画像に変換した形で(1ページですので)掲載します。

2015年6月9日宇宙政策委員会 宇宙科学・探査小委員会 資料1-6

2015年6月9日に開催された宇宙政策委員会 宇宙科学・探査小委員会の資料1-6 (画像に変換したもの。原文は下のリンク参照)

ここで、電気推進にするか化学推進にするかにより、到達時間と探査機の大きさとのトレードオフ(片方を減らそうとすると片方が増えるという関係)が発生することがわかります。
例えば、化学推進(一般的な化学燃料を使用して推進する探査機)の場合、重量はなんと3.8トンとなり、H-IIBクラスを打ち上げに必要とすることになります。一方、電気推進の場合には、重量は1.2トンとなり、打ち上げもH-IIAクラスで達成できますが、化学推進が火星往復に3年程度なのに比べ、こちらですと7年かかると試算されています。また、ご覧いただければお分かりの通り、太陽電池パネルが大きくなっていますが、これは火星が地球近傍に比べ太陽から遠いとを反映しています。電気推進の場合はこのような発生電力の減少についても詳細な検討が必要でしょう。ちなみに、日本が打ち上げた最も大きな月・惑星探査衛星である「かぐや」は、打ち上げ時重量が約3トンでしたので、この火星サンプルリターンの最も重いケースではそれを上回ることになります。「はやぶさ」は510キログラム、「はやぶさ2」は600キログラムで、どのケースを選んだとしてもこの2倍くらいの重さになります。
また、この探査は宇宙探査の中では「戦略的中型クラス」に位置づけられていますが、スリムとは異なり、この重量ですとH-IIA以上のロケットが必要となり、この点でも資金確保などを含めた検討が必要になります。

また、打ち上げの時期ですが、一部報道によれば2020年代前半とのことです。これも特に配布資料には明示されていませんが、スリムからそれほど遠くない段階での打ち上げとなると、スリムから4〜5年以内の打ち上げということになるかと思います。
上記の通り、どのケースを選んでも衛星重量は大きく増加しますので、衛星開発は「はやぶさ2」のように短期間ではいかず、おそらくは1からの検討が必要になると思われます。そうなると、いまから始めても最低7〜8年は必要となるでしょう。もっとも「今から7〜8年」でも2022〜23年ですから、その点でも2020年代前半というのはある程度的を得ている面はあるかと思います。
打ち上げが2020年以降の場合、現在JAXAなどが開発を進めている「新型基幹ロケット」(H-3ロケットとも呼ばれます)による打ち上げも検討されるでしょう。

諸外国との比較でいえば、現在火星探査については、2016年、2018年、2020年に打ち上げのチャンスがあります。火星の打ち上げの好機は約2年毎に回ってきますので、上記のパターンからすれば2022年、あるいは2024年という形になるかと思われます。
今のところこの時期に合わせた火星探査としては、アメリカの「マーズ2020」があり、その名の通り2020年に打ち上げを予定しています。また、中国も2020年代の火星探査を計画していますが、こちらについては詳細が明らかになっていません。

さて、火星の衛星への探査ということですが、火星には2つの小さな衛星があります。フォボスとデイモス(ダイモス)です。
フォボスの大きさはさしわたし20キロ程度、デイモスの大きさはさしわたし15キロ程度で、イトカワや1999 JU3のような数百メートル程度の小惑星よりは大きいものの、それほど大きな天体というわけではありません。過去、ニアー・シューメイカー探査機で到達した小惑星エロスが最大幅34キロですので、このクラスの天体への着陸ということになります。イトカワや1999 JU3とは異なり、かなり大きいため、それなりの重力がある天体への着陸となり、その意味ではスリムで月への着陸を実証したあと、これらの衛星の着陸にチャレンジするというのは自然なストーリーともいえます。
なお、今回の探査ではどちらの衛星に着陸するのか(あるいは両方を狙うのか)については触れられていません。おそらくこの点については今後決定するものと思われます。

実はこれまでにも、火星の衛星からのサンプルリターンが試みられた例があります。旧ソ連が打ち上げたフォボス探査機がそれです。
フォボス探査機2機あり、2機とも1988年に打ち上げられました。1号は打ち上げ後2ヶ月で通信途絶、2号は火成周回軌道までは辿り着いたもののその後原因不明の理由により通信途絶となり、両探査機のミッション(フォボスからのサンプルリターン)は失敗に終わっています。
また、2000年代に入り、ロシアはこのミッションの再来ともいえるフォボス・グルントにチャレンジしました。本来は2009年に打ち上げられるはずでしたが、探査機が打ち上げ基準を満たさないとして2年延期し、2011年に打ち上げとなりました。しかし探査機は打ち上げ直後地球周辺の軌道から出ることができず、最終的に打ち上げから約2ヶ月後、地球に落下するという形になりました。

いずれにせよ、検討が開始されたという段階で、まだまだ不確定な要素は多数あります。しかし、日本として、「のぞみ」の打ち上げ以降四半世紀(打ち上げが2020年代前半なら)を経て、火星へ再びチャレンジするというのは私としても心躍るニュースです。この件についてはスリム同様、情報が入り次第適宜お届けいたします。