NASAが、ついに有人火星探査に本腰を入れ始めました。
NASAは8日、「NASAの火星への旅: 宇宙探査の先駆的な次なるステップへの挑戦」(原題: NASA’s Journey to Mars: Pioneering Next Steps in Space Exploration)という文書を発表しました。
これまで火星有人探査については、NASAは一応「最終的な目標」として掲げていたものの、それを実現するための明確なプランというのはあまり明確ではありませんでした。今回この文書により、ついにそれが明らかにされたということになります。

NASAの有人火星探査までの道程を示すイメージイラスト

NASAの有人火星探査までの道程を示すイメージイラスト (Photo: NASA)

同時に発表された文書も極めて重要なのですが、こちらを解説すると長くなるので、それを要約したプレスリリースに沿って説明していきましょう。

NASAは、有人火星探査に向かう道のりとして、以下の3つの行程(フェーズ)に分けて考えるとしています。

  • 地球近傍(原文: Earth Reliant) … 現在運用されている国際宇宙ステーション(ISS)上で、将来の有人火星探査に必要となる各種技術の実証を実施する。具体的には、人体の健康や能力についての研究を中心とし、将来の長期間にわたる深宇宙探査(これは有人火星探査だけではなく、その前段階として実施される小惑星有人探査なども含まれます)に向けての技術実証を実施する。また、輸送能力については商業宇宙輸送に当面頼るとしているが、NASAは次世代のより革新的な低軌道輸送システムや、宇宙港など商業活動の進展を支援する。
  • 宇宙実証(原文: Proving Ground) … 上記で培われた技術について、数日間にわたるミッション(もちろん有人です)によって実証を行う。基本的には実証場所としては月遷移軌道(地球から月までの間)とし、地球から遠く離れた場所において人間が長期にわたり生命を維持し、活動を可能にする技術を確立する。これは将来の長期にわたる火星探査において確実に必要となる技術である。具体的には、乗員の輸送(乗員用宇宙船=オライオン宇宙船、及びそれを打ち上げるシステム=SLS)、燃料などの現地での製造システム、深宇宙通信技術などが挙げられている。また、具体的なミッションは、小惑星イニシアチブで実施される、小惑星サンプルリターン・有人探査プログラムが挙げられる。
  • 地球独立(原文: Earth Independent) … この段階では地球から完全に離れ、火星へのミッションを目指す段階。上記2段階で培われた技術を元にした有人火星探査を実施する。目標は火星近傍(おそらくは火星周回低軌道)、あるいは火星の2つの衛星(フォボス及びデイモス)となる。最終的には火星表面に着陸し、有人による火星表面探査を実施する。この計画はNASA及び各国パートナー(機関)間との緊密な協力により実施されるものとし、人間の活動範囲を大幅に広げ、地球以外の生命の存在を探る探査を実施するものである。このためには有人輸送技術だけではなく、現地でのロボティック探査などの実現も必要となる。

これらの計画を、NASAはこれから約20年かけて実現するとしています。

有人火星探査計画でまずいちばんの問題となるのは、人間がさらされる過酷な環境です。また、そもそも火星に人間を送り届けるためには、貧弱なロケットではどうしようもありません。パワフルなロケットが必要になります。現在そのためにNASAで開発が進められている宇宙輸送システム(SLS: Space Launch Syste)がその実現のための鍵になるでしょう。
また、長期にわたる火星の旅では、アポロ計画のような数日でのミッションとは違い、宇宙空間で自立して生活が可能となるような仕組みを構築することが必要です。これについては、上記の「宇宙実証」においてその技術を試すことになりそうです。
NASAでは、これから開発が重点的に必要な技術として、3つの要素を挙げています。

  • 輸送技術…人間及び貨物を効率よく、安全に火星へ輸送する技術
  • 宇宙空間での活動を支える技術…有人、あるいはロボット技術により、人間、宇宙空間におけるスムーズな有人活動を支える技術
  • 生命維持…過酷な宇宙空間において、宇宙飛行士の生命を守り、安全で健康な、そして維持可能な居住システムを構築するための技術

これらは、最大1100日にも及ぶとされる有人火星探査に重要な技術とされます。

また、予算の問題も重要です。アポロ計画の頃のように、国が無制限に近い形で支出を認めるという時代では今やありません。ですから、有人火星探査は必然的に国際協力で進めていくことが必要になります。
また、輸送システム(要はロケットですが)も低コストである必要があります。一方で安全面に手を抜くことはできませんから、コストと安全性は相反する部分がありますが、これについてはNASAとその技術協力企業との緊密な連携により乗り切ることになるでしょう。

すでに国際宇宙ステーションでは、有人火星探査を見据えた各種研究が行われています。例えば現有の技術を使用した生命維持、3Dプリンターを使った部品製作、現地の資源を利用した燃料や各種資材の製造技術などです。
さらに注目されるのは、次回のスペースXのドラゴン宇宙船による補給ミッションにより、ISSに展開形の宇宙ステーションの実証システムが輸送されるということです。具体的には、ビゲロー・エアロスペース社の、ビゲロー展開型活動モジュール(Bigelow Expandable Activity Module)です。
ビゲロー・エアロスペース社は、アメリカのホテル王であるロバート・ビゲローが、将来的な宇宙ホテル建設を目指して立ち上げた会社です。ここが取り入れているのが、空気で膨らませることで簡単に大きな基地を建設できる展開形の施設、より専門的な言葉を使えば「インフレータブル型宇宙基地」です。
ホテルとしてはもちろんのこと、将来的には広い空間を確保しつつ人間に快適な居住空間を提供できる基地としても注目されます。

SLSとオライオン宇宙船については、現在開発が進められており、低軌道輸送を実施する民間宇宙船と共に将来にわたってのアメリカの宇宙アクセスを保証するものとなりそうです。

また、「宇宙実証」の部分で述べた小惑星捕獲・有人探査ミッションについては、現在ではARMと呼ばれており、この探査を通じて有人火星探査に必要となる必須技術の確立を目指すことになります。
これまではARMについては、小惑星資源利用の観点から主に論じられてきましたが、今回のNASAの発表により、正式にARMが火星有人探査に向けたステップとして位置づけられたことになります。
ここでは、船外活動やサンプル採取機構などの新しい技術について特に試すことになりそうです。

その他にも、火星という遠い距離からの通信を確実なものとするための通信システム(追跡・管制システム)の確立や、現在火星で活躍している無人探査機の技術の向上による有人サポート技術の確立なども必要となります。例えば、NASAが2012年に火星に送り込んだ「マーズ・サイエンス・ラボラトリ」(愛称「キュリオシティ」)は、重さが800キログラムと、小型乗用車並みの大きさを持つシステムですが、おそらく有人探査となれば、その10倍(8トン!)クラスものシステムを火星まで送り届け、しかも無事着陸させなければなりません。

NASAとしては、これらの課題はすべて解決可能であり、日夜NASAとその技術協力企業が解決策について議論しているとしています。また、有人火星探査は「地球以外の生命の存在」という、人類にとっての究極の疑問を解決する探査であるとしています。火星に(微生物のような)生命は存在するのか? それは今存在しているのか、過去に存在していたのか? 火星はいつか人間が安全に住める土地になるのか? 火星の生命の存在の有無は、他の天体に生命が存在するかについてどのようなことを示唆するのか? 地球の生命の誕生についてはどうか? 地球の過去、現在、未来に対し、火星がどのようなことを私たちに教えてくれるのか?—このように、火星有人探査については科学的、というよりはもはや哲学的ともいってよい疑問の解決という大きな任務があります。

以上、火星有人探査の実現のために、NASAがどのタイミングで何をすべきか、技術的・時間的な課題を整理した表が以下のものです。

火星有人探査に向けた課題整理表

火星有人探査に向けた課題整理表。すでに実施されているもの、中期的(今後数年以内)に行うべきもの、長期的(今後10年以内)に行う、あるいは行うか決定すべきものを列挙している。下に日本語訳あり。Table: NASA

上記の表を日本語に訳しました。

実施決定、プロジェクト実行中 数年以内に実施を決定、現在検討中 次の10年以内の実施に向け決定を検討中
  •  ISSの運用を少なくとも2024年まで延長
  • 進化型固体ロケットブースターより前に、今後進化させることが可能な、SLSの第2段ステージ(Exploration Upper Stage, EUS)についての検討
  • 小惑星から比較的大きな岩を月遷移軌道に持ち帰り、そこで有人探査を実施する計画(いわゆるARM)についての検討
  • 別ミッションにより、貨物やインフラなどをあらかじめ宇宙空間に送り込むシステムの検討
  • オライオン宇宙船用の船外活動宇宙服の開発
  • 初期の深宇宙における居住能力の決定
  • 宇宙空間での輸送システムの選定
  • マーズ2020以降の、有人火星探査に向けた無人探査計画の策定
  • 月遷移軌道における(ARM以降の)有人探査プログラムの計画
  •  「宇宙実証」以降の有人探査ミッション計画の策定
  • 現地の資源を利用した燃料や資材作成(ISRU)について、輸送ストラテジーの中でその役割の位置づけを考える
  • 火星表面基地のデザイン
  • 火星表面におけるエネルギー供給システムの構築

NASAのチャールズ・ボールデン長官は、この計画について以下のように述べています。
「NASAはアメリカ人宇宙飛行士を火星に送り込むという計画に、これまでの歴史のどの時点よりも大きく近づいている。今日、私たちは火星への旅についていくつか追加の詳細について発表した。そして、私たちが壮大な目標に向けてどのように私たち皆の仕事をまとめ上げていくかについても戦略を述べている。議会のメンバーや、現在国際宇宙会議(IAC: International Astronautical Congress)に出席している商業・技術面でのパートナーとも、今後数週間にわたってこの案の詳細についての議論を実施できることを楽しみにしている。」

いよいよ、有人火星探査計画が本格的に動き始めました。そして、NASAがこれまで検討してきたオライオン宇宙船、SLS、ARMなどいろいろな計画が、その大きな目標に向かって1つにまとまろうとしています。ただ、おそらくは20年くらい先(2030年代なかば)に実施されると考えられる計画に向けては、現時点でも多数の不確定要素があります。さらにはNASAが「すべて実現可能」としている技術についても、今後の検討次第では大きな困難を伴うものが出てくる可能性があります。
これらをすべて乗り越え、赤い大地に人類が立つ日がやってくるのか、そしてそれはいつなのか。月・惑星探査を応援する月探査情報ステーションとしても、情報を見守り、積極的に応援していきたいと思います。

  • NASAのプレスリリース 
[英語] http://www.nasa.gov/press-release/nasa-releases-plan-outlining-next-steps-in-the-journey-to-mars
  • NASAの文書「NASAの火星への旅」 [英語][PDF] http://www.nasa.gov/sites/default/files/atoms/files/journey-to-mars-next-steps-20151008_508.pdf
  • これからの火星探査 (月探査情報ステーション)
    https://moonstation.jp/ja/mars/exploration/future.html
  • 小惑星イニシアチブ (月探査情報ステーション)
    https://moonstation.jp/ja/pex_world/AsteroidInitiative