本日(2022年11月2日)、月探査情報ステーションは24回目の「誕生日」を迎えました。
1998年11月2日、本サイトが前身である「インターネットシンポジウム ふたたび月へ」として誕生してから、24年目となります。
24年という月日は、一言で書くとあっという間ですが、本当に長いものでした。
1998年当時の私は、(財)日本宇宙フォーラムの職員として、当時の日本の月探査計画「セレーネ」(SELENE)の事務局を務めていました。その縁もあり、セレーネ…現在の「かぐや」…のプロモーションを行うウェブサイトの立ち上げに関わることができた、というわけです。
24年という月日は、月探査の状況を、日本でも世界でも大きく変えました。
24年前、私たちが「ふたたび月へ」というキャッチフレーズをもとに月探査のプロモーションを行ったとき、有人月探査はもっともっと先になる、と思っていました。もちろん、一日も早くその日が来ることは願っていましたが、それがまた難しいことも理解していました。
2022年、延期に延期を重ねているとはいえ、そしてまずは無人打ち上げであるとはいえ、有人月探査計画「アルテミス計画」1号機の打ち上げが迫っています。そして、アルテミス計画には日本も参画しており、早ければ2020年代にも日本人が月に降り立つ姿を私たちが見ることになるかも知れません。
当初月探査情報ステーションは、「月と月探査をわかりやすくお伝えしていく」ということを使命としていましたが、次第にその方向性も変わりつつあります。もちろん、火星探査や惑星探査も入ってきたということはありますが、長きにわたってサイトを運営していることで、歴史を知ることができる、という側面も出てくるようになりました。
アルテミス計画にしても、その源流を遡っていくと、2000年代なかばに提案された「コンステレーション計画」があります。SLSとオライオンの組み合わせは当時のままであり(もちろん両方とも、特にSLS側は大幅な変更が加えられましたが)、アメリカが21世紀になってどのように月探査を進めてきたのか、それをこのサイト上で示すことができるようになりました。
将来、人類が再び月へ降り立つようになったときにも、きっとこれまでのこのサイトにおける記事や情報、知識の蓄積が大いに役立つと思います。
アルテミス計画で日本人が月面から語りかけるとき、月探査情報ステーションの過去のページをみながら、私たちがこれだけ長い歴史を経て今に至ったのだ、と振り返られる、そんなサイトを作っていきたいと思いますし、その方向性を大切にしていきたいと思います。
さて、編集長(寺薗)は今年、2冊の本を出版しました。
宇宙開発の現実に大きく切り込むことを目指した『宇宙開発の不都合な真実』、そしてアルテミス計画を中心に、宇宙開発の過去・現在・未来をわかりやすく解説した『2025年、人類が再び月に降り立つ日』。2冊の本を、しかも他の仕事もある中で同時に進行させるというのはかなり大変なことではありましたが、こうやって本として形にできたことを誇りに思うと共に、ぜひ多くの人にお手に取っていただきたいと思います。
昨年以来、私自身の宇宙開発の普及啓発の仕事を合同会社に移し、それで「食べていく」という目標を立て、進めてきました。
新たな道に進むと宣言して1年ちょっと。2冊の本の出版や他の書籍の監修など、これまでと違った方向性へのチャレンジを進めています。宇宙開発、そして月・惑星探査をより身近に。そして多くの人に知ってもらいたい、そのような思いは、その中でも変わることはありません。
ただ、現実問題として、時間不足、労力不足は長きにわたる課題であり、それが表面化した1年でもありました。ブログ記事の更新は滞り、4ヶ月全く手を付けられない状況にすら陥りました。
昨年、体制を本格的に構築してスタートすると宣言した手前、皆様には大変お恥ずかしいところをお見せしたことになり、申し訳ありません。ただ、私としては、「ここで私が1人で頑張ります」と宣言するよりは、同好の士を集め、本格的な組織としての運営を目指す方向に進めればと思います。これは私が何年も前から考えていたことであり、それによって単なる個人の1サイトではなく、長きにわたって続いていく社会的な情報源としての存在へと移っていけるのではないかと思っています。
月という存在が、社会にとっても私たち1人1人にとっても大きくなっているいまこそ、月探査情報ステーション、そして私が伝えようとしている月・惑星探査の意義がより広く伝わるよう、これからも力を尽くしてまいります。
皆様の引き続きのご支援を、何卒よろしくお願い申し上げます。
2022年11月2日
月探査情報ステーション 編集長
合同会社ムーン・アンド・プラネッツ 代表社員
寺薗 淳也