オニール橋事件を振り返ってみます。
1953年7月、ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙の科学部長であったJ.J.オニール氏は、月面の「危難の海」の西側に人工的に作られた橋のようなものを発見したと発表しました。

この橋は二つの峰をまたぐような形で、20キロメートルにもおよび、日没時には観測できましたが、日の出の時には見えなかった、ということです。
同年8月、英国天文学協会の月研究部長だったH.P.ウィルキンス氏らも同じ構造を確認したと発表しました。しかし、その後この構造は観測できなくなり、見間違いだったのではないかという批判が起こりました。ウィルキンス氏はその批判に抗議し、月研究部長を辞任したそうです。
当時、オニール橋はかなりの話題を呼び、一部UFO研究家などからは巨大なUFOが一時的に着陸していたのではという推測もされたそうです。

その後に打ち上げられた月探査機ルナー・オービターや、クレメンタインなどの月探査機でも、特に人工物のような構造が見つかったという報告はありません。

アマチュア天文観測家の間では、現在でもオニール橋付近はしばしばターゲットとして撮影されることがあるようですが、橋のような構造は見えないそうです。おそらく、光の角度によって月の地形の陰が橋のように見えたのでしょう。


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