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アポロ11号で、人類がはじめて月に降り立ったのは、1969年7月21日(日本時間)です。特に若い人は、当時の世界や日本の宇宙開発状況をご存じないという人も多いと思いますので、ここであらましを述べておくことにしましょう。

1960年代の宇宙開発は、当時政治的、軍事的に対立していた、アメリカと旧ソ連(いまのロシアやウクライナ、カザフスタンなどを含めた社会主義の連邦国家)との間の競争でした。
どちらが軍事力がより強大であるか、また技術が進んでいるか、ということを争っていたわけで、それを端的に示すことができる宇宙開発が必然的に競争となったわけです。
例えば、世界ではじめて宇宙空間を飛行した人間は、旧ソ連のユーリ・ガガーリンです(1961年4月12日)。もちろん、アメリカも旧ソ連が有人宇宙開発を進めていることは知っていましたから、必死になって準備を進めていたのですが、わずかの差で追い抜かれたのです。アメリカ人ではじめて宇宙空間に出たのはアラン・シェパード宇宙飛行士ですが、それはガガーリンの初の宇宙飛行からわずか1ヶ月弱あとの1961年5月5日、しかも、弾道飛行という形でした(地球を周回していない)。いかにアメリカと旧ソ連が激しい競争を繰り広げていたかがわかります。

1960年代は、アメリカや旧ソ連諸国以外でも宇宙開発は進められていました。しかし、この2カ国のレベルに比べると圧倒的にその進み方は遅かったといえるでしょう。
1962年にはイギリスがアメリカのロケットではじめての人工衛星「エーリアル1号」を打ち上げています。1965年11月26日にはフランスがディアマンロケットを使ってはじめて人工衛星の打ち上げに成功、これで、フランスは世界で3番目の、独自開発のロケットを使って人工衛星の打ち上げに成功した国になりました。
逆にいいますと、1969年時点では、独自ロケットによる人工衛星の打ち上げに成功していたのは、アメリカ、旧ソ連、フランスの3カ国だけだったという状況なのです。

では、当時の日本はどうだったのでしょうか。
日本の宇宙開発のスタートは、1955年、「ロケットの父」といわれる糸川英夫博士が、ペンシルロケットの発射実験に成功したところから始まります。しかし、ロケットが徐々に大型化したとはいっても、開発は順調に進んだわけではありません。
特にこの時期(1960年代後半)には、日本のロケット開発は苦難の時期を迎えていました。当時開発中のラムダロケットは4回にわたる失敗(4回目の失敗は1969年9月22日)で、まだ日本は人間を宇宙に送るどころか、人工衛星を宇宙へ送り出すことすらできない状態にあったのが、1969年7月の状況だったのです。
なお、日本が最初に自国開発のロケットで人工衛星「おおすみ」を打ち上げることに成功したのは、その翌年の1970年2月11日。これにより日本は、世界で4番目に人工衛星を(自分の国の技術で)打ち上げることができた国となったのです。

一方で、アメリカからの技術導入によって、より大型のロケットを打ち上げようという動きも一方では起きていました。特に大型のロケットで商用衛星を打ち上げようという気運が高まり、この流れは最終的に「宇宙開発事業団」(NASDA)という国の機関へとつながっていきます。
しかし、このNASDAが設立されたのが1969年10月1日です。そして、このNASDAが最初にN-Iロケットを打ち上げたのはさらに後、1975年でした。

つまり、1969年当時の日本は、ロケット作り、そして宇宙へ向かう苦闘の時代にあり、アメリカや旧ソ連のはるかあとを追いかける存在だったのです。月どころか宇宙空間が遠いという時代でした。
日本が月にまで届く衛星を打ち上げたのは1990年、宇宙科学研究所が打ち上げた「ひてん」でした。
アポロ11号の月着陸から40年近く経って、2003年には、日本で2つあった宇宙機関(宇宙科学研究所とNASDA)は1つの宇宙機関「宇宙航空研究開発機構」(JAXA)として統合されました。JAXAは2007年、月探査衛星「かぐや」を日本独自のロケットH-IIAで打ち上げました。日本の技術も、ようやくここまで進んできたのです。


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