冷戦時代、アメリカと旧ソ連は宇宙開発競争をしていました。旧ソ連も有人月探査を考えて計画を進めていたようです。
実際、最初に月に到達したのは旧ソ連のルナ2号ですし、ルナ3号では初めて月の裏側を撮影、ルナ9号では軟着陸を成功させています。
また、1968年のゾンド5号・6号では生物をのせたカプセルを月に向かって打ち上げ、地球での回収に成功しています。

旧ソ連では、実際にはアメリカに対抗し、有人ロケットの開発を進めていました。その先頭に立って指揮をしていたのが、当時の旧ソ連きってのロケット技術者、コロリョフ(コロレフと書かれている本もあります)でした。
旧ソ連では、ソユーズ宇宙船を使って人間を月に送り込むという計画を立てており、1960年にはその計画が承認されました。そのために開発されるロケットは、地球低軌道に60〜80トンもの重量の宇宙船を送り込むことができるほど強力なもので、このロケットはN-1と名付けられました。

コロリョフを中心として、旧ソ連ではこのN-1ロケットの開発が進められます。それと並行して、宇宙飛行士による宇宙飛行が次々に行われ、着実に有人飛行の経験が積み上げられていきました。
しかし、開発の遅れ、政府からの圧力などの様々な要素が加わり、さらに、開発を指揮していたコロリョフ自身が、過労から体をこわし、1966年にこの世を去ります。
このあと、旧ソ連はロケットや宇宙船開発などで次第にアメリカに遅れをとるようになっていきます。そして、1969年2月、ようやく完成したN-1ロケットの初打ち上げが行われましたが、ロケットは発射直後に大爆発、打ち上げは失敗に終わりました。
その半年後、アポロ11号が月面へと着陸、人類がはじめて月に降り立つことになるのです。

旧ソ連の有人月探査は、こうしてアメリカとの競争に敗れるという形で終了しましたが、この間に蓄積された有人宇宙技術は、現在でもロシアの宇宙開発に活かされています。
また、ロシアが行ってきた無人月探査「ルナ計画」は、無人ながら月面のサンプルを持ち帰るなど、多くの成果を挙げています。


■参考資料