当初、「アポロ計画」は20号まで計画されていました。これは、人類を月へ送り込むという目的のためには、どれだけアポロを打ち上げれば達成できるかわからなかったからです。

1969年、アポロ11号でその目的が達成されてからは、NASAは国民の無関心や、月に人間を送り込むなど無駄遣いであるという反対意見にさらされることになりました。
1970年1月、当時のNASA・ペイン長官は、アポロ20号の打上げ中止を決定しました。有人宇宙ステーションを打ち上げる「アポロ実用衛星計画(後のスカイラブ計画)」のために、アポロ20号までに必要な分以外の製造を中止されていたサターン5ロケットが必要だったのです。
さらにこの時点で、アポロ18号、19号の打上げは「アポロ実用衛星計画」の打上げが終了する1974年まで延期されました。

1970年4月にはアポロ13号の事故があり、国民の関心は集まったものの、NASAの中にもこれ以上人命を危険にさらすのかという意見が出始め、大統領顧問団の一部は当時のニクソン大統領に月ミッションの即時中止を迫りました。
予算を審議する夏の議会では、インフレ問題やベトナム戦争など、国家としてより重要な優先事項があるのに、巨大プロジェクトを遂行するのは非良心的であると批判を浴び、7月末にNASA予算は僅差で議会を通過したものの、その翌日NASA長官は辞任しました。

宇宙予算削減が計画全体与えた影響は大きく、8月末、さらに予算削減を突きつけられたロウNASA長官代行(辞任したペインの後継者)は、ついに18号・19号のミッション中止を決めました。

当初計画されていた、アポロ12号以降の着陸地は次のような場所でした。

11号着陸直後のアポロ着陸予定地点

  • 12号: あらしの大洋
  • 13号: フラマウロ丘陵
  • 14号: ケンソリヌス
  • 15号: リットル峡谷
  • 16号: ティコ・クレーター
  • 17号: マリウスの谷
  • 18号: シュレーターの谷
  • 19号: ヒギヌス谷
  • 20号: コペルニクス・クレーター