アポロ計画では、11号から17号まで(途中、失敗した13号を除き) 6機の探査機が着陸しましたが、その着陸点の選定は、以下のような検討のもとに行われました。

アポロ11号の着陸地: 静かの海 (北緯0度38分50秒、東経23度30分17秒)

はじめて月に着陸するのですから、とにかく安全、確実に降りられるよう、着陸地決定には2年以上がかけられました。候補地としてあげられた30カ所から、ルナーオービターとサーベイヤーの画像をもとに次のような基準で選ばれました。

  • クレーターや障害物となる岩が少なくなめらかであること
  • 大きな丘、高い崖、深いクレーターがなく、接近しやすいこと。これらがあると、月着陸船の着陸レーダーが高度を誤認する原因となる
  • 探査機の推進材の消費量が最も少ないこと
  • もし、着陸が出来なかった場合、月軌道へ自由に戻れること
  • 接近航路と着陸地の傾斜が2度以下であること

念入りに選ばれた着陸地でしたが、実際の着陸箇所は接近してみると予想より険しく、飛行士が危険を避けて着陸したのは予定地点より8キロメートルも離れた場所でした。

アポロ12号の着陸地: 嵐の大洋

1967年4月20日に、南緯2度56分、西経23度20分の地点に着陸したサーベイヤ3号のなるべく近くに高精度で着陸することが第1の目的でした。12号はこのサーベイヤ3号から535メートルだけしか離れていないところにめでたく着陸しました。アポロ11号が着陸したのと同じ「海」でも、違う場所では溶岩の組成が違うかどうか調べる科学的な目標もありました。

アポロ14号の着陸地: フラマウロ丘陵

アポロ13号からは、探査の目的は純粋に科学的なものだけになりました。残念ながら、事故が起こって着陸できなかった13号に代わって、14号は13号で予定されていた着陸地に降りました。
2回の着陸で2種類の海の試料が得られたので、今度は高地に着陸することが求められました。フラマウロ丘陵は、高地というよりは「海より高い丘陵地」ですが、着陸の安全性を考えて、平らで比較的着陸しやすいこの場所が選ばれました。
地質学的には、「雨の海」の物質と同じと思われる「フラマウロ層」という基準となる試料をとってくることという目標がありました。また、着陸地点のすぐそばには直径約340メートルという大きな「コーン・クレーター」がありました。クレーターが大きいほど、その縁にはより深い部分から岩が放出されています。飛行士達は「クレーター登山」をし、クレーターの縁の岩石を採集しました。

アポロ15号の着陸地: ハドリー峡谷・アペニン山脈

アポロ計画でもっとも北の着陸地点です。
15号からはローバー(月面車)が使われ、広範囲の探査が可能になりました。
アペニン山脈は高さが5キロメートルもあり、雨の海の岸辺に位置しています。また、そのそばには、深さ300メートルのハドレー峡谷が切り開かれ、大変「風光明媚」な場所でもあります。
アポロ15号の着陸船の船長は「景色の良い場所に行きたかった」そうですが、科学的にも、高地と海の部分の境にあたり、両方の試料が採集できるという利点がありました。
また、ハドリー峡谷の壁面に露出している、様々な地層を観察でき、そのそばの試料も採集しました。

アポロ16号の着陸地: デカルト高地

アポロ16号はアポロ着陸地点中最も南で、唯一、月の「本当の高地」の真ん中に着陸しました。
高地は月の古い近くが表面に出ており、クレーターが多数あります。
このデカルト高地では、写真から見ると、火山によってできた地形のようにみられました。ここでは高地を形成する2種類の地層の両方を採集でき、もし火山だとすると、高地形成の歴史を解き明かす溶岩が見つかるはずでした。
しかし、試料を研究した結果、火山岩はなく、予想はまちがいだったということがはっきりしました。

アポロ17号の着陸地: タウロス・リットル峡谷

最後の探査となった17号の着陸地点は、一度にできるだけ多くのことを実現する多目的な探査が計画されました。
この着陸地点のそばには、非常に黒っぽい色をした地層がありました。黒っぽいということは、最も新しい火山の噴出物であると考えられていたので、火山活動がいつまで続いていたかを知ることができると思われました。写真で見ても、いかにも小さいクレーターから黒っぽい物質が吹き出したように見えたのです。
また、16号までに発見できなかった46億年の年代を持つ、「真の月創世期の岩石」を発見することも、アポロ17号に残された重要な課題でした。
選ばれた地点には、明らかに高地から転がり落ちたとわかる岩塊がありました。ここで採集された石は、期待通り、月が出来た46億年前のものでした。
しかし、黒っぽい試料のほうの年代は、また予想を裏切り37億年と非常に古いものでした。