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アポロ計画で唯一、アメリカの有人ロケットで初めての爆発事故をおこしたのがアポロ1号です。

アポロ1号は1967年2月21日に打ち上げられる予定で、1月27日(金)午後1時に、バージル・グリソム、エドワード・ホワイト、ロジャー・チャフィーの3人の飛行士は飛行前試験のためアポロ司令船(コマンドモジュール)に乗り込みました。
試験を開始してすぐに、グリソム飛行士は「酸っぱいにおい」がするという異常に気がつきました。また船内に満たされる酸素流量が高すぎるという警告音が繰り返し鳴りました。さらに宇宙船と外部との通信機器が不調でした。職員達は何度も中断して調査しましたが、結局原因が見つからないまま問題はないと判断され、試験は続けられました。

通信の問題が解決され、午後6時31分にカウントダウンを再開する準備ができたとき、また酸素流量が異常に高くなりました。その4秒後、インターフォンからチャフィー飛行士の声がしました。「火事だ!」さらに2秒後、今度はホワイト飛行士が叫びました。「コックピットで火災発生!」
緊急時には最低で90秒で脱出できることになっていましたが、宇宙船内部からロックを解除するには飛行士は無理な姿勢をとらなくてはならなかったため、実際には短時間で脱出は不可能でした。
職員達は、火事が広がりつつある中でなんとかして飛行士を助けようとハッチを開けましたが、遅すぎました。
さらに3分後に消防隊と医師が到着しました。医師の診断によれば着ていた宇宙服のおかげで3人は焼かれずにすみましたが、出火から4分後には一酸化炭素中毒で亡くなっていました。職員の中では煙を吸った27人が手当をうけ、2人が入院しました。

2月3日、NASAは事故調査を開始しました。現場の徹底的な調査と当時の現象を再現した結果、グリソム飛行士の座席の足下にある電線の束付近で出火したとわかりました。電線の絶縁体が裂けてむきだしになっており、船内に満たされていた純粋酸素が、電気の火花で引火して燃えだしたのです。
事故調査と司令船の再建の間、NASAのすべての有人打上げは延期となりました。

1967年春、NASAはグリソム、ホワイト、チャーフィによるミッションをアポロ1号とし、1967年22月に計画されたサターン5型ロケットの打ち上げをアポロ4号とすると発表しました。従って、アポロ2号、3号と称されるミッションはありません。
アポロ1号の事故はアメリカの人々に衝撃をもたらし、アポロ計画を中止するべきだという世論がしばらくの間おこりました。

注: この文章は以下のサイト(スミソニアン航空宇宙博物館)の情報(英文)をもとに作成しています。
“Apollo 1 Summary of Events”
http://www.nasm.si.edu/collections/imagery/apollo/AS01/a01sum.htm



火災後のアポロ1号司令船 (写真: NASA)
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