水星探査機メッセンジャーは、アメリカ東部夏時間4月30日午後3時26分(日本時間では5月1日午前4時26分)、水星表面に制御衝突し、探査を終了しました。
制御衝突とは、探査機をあらかじめ決められた場所に衝突させる、探査終了の方法です。周回衛星の場合、そのまま周回軌道に放置しておくと、将来の探査機に悪影響を与えたり、思わぬ場所に落下して汚染などの影響を与えるという問題があります。そのため、探査機の燃料が少なくなるなど、探査の最終段階を迎えたときには、残りの燃料などを勘案しつつ、衝突させる場所を決めた上で、燃料が残っているうちに軌道を制御してその場所へと落下させます。このような手法は、例えば月探査衛星「かぐや」や同じく月探査衛星の「ラディー」でも採用されました。

メッセンジャーは、2004年8月3日(日本時間・現地時間とも)に打ち上げられ、地球、及び水星のスイングバイを経て、2008年1月15日に水星に初接近、その後、水星を2回フライバイして軌道を修正しました。2011年3月18日に水星を周回する軌道に投入され、その後約4年間にわたって、水星の探査を続けてきました。
基本ミッション期間は1年間の予定で、2012年3月には予定通り終了しましたが、探査機の状態が良好であったことから、探査はその後2回にわたって延長されました。

最後の延長となった今回は、メッセンジャーの高度を可能な限り下げるという運用を実施し、探査機の高度は最高で35キロ、最低ではなんと5キロという、ほとんど飛行機並みの運用を実施しました。最後だからできたことです(実際「かぐや」でも、探査機の最終段階では周回高度をギリギリまで下げて運用しています)。それによりより高精度な写真が取得できたり、地表の磁場などをより精密に観測できたりすることができるという利点があります。

4月28日、運用チームは軌道を維持するために必要となる軌道修正のコマンドの送信を実施しました(全7回のうちの初回が火曜日)。すでにこの段階で探査機の燃料は尽きかけていて、このようなことをするのはぎりぎりの判断であったのですが、探査機の科学機器が水星の磁気異常や極地域の氷が存在するかも知れないクレーターの情報を取得するためには必要なことでした。しかしもはや燃料も枯渇し、これ以上軌道を維持することも難しく、特に水星の「すぐそば」にいる太陽という巨大な天体が周回軌道を引っ張ってしまうこともあり、今回の制御衝突となったものです。

この制御衝突に先立ち、メッセンジャーは最後の写真を撮影しています。この写真は、直径93キロのクレーター「ジョカイ」(Jokai)の中を撮影したものとのことです。

メッセンジャーが最後に撮影した写真

メッセンジャーが最後に撮影した写真 (Photo: NASA/Johns Hopkins University Applied Physics Laboratory/Carnegie Institution of Washington)

今回、メッセンジャーの水星表面への衝突に際しては、ちょうど地球からみて裏側の地点に衝突したことから、地球からの観測は行えませんでした。また、宇宙望遠鏡も、水星が太陽に近く、太陽の光で望遠鏡がダメージを受けてしまうため、やはり観測することはできませんでした。衝突場所は、シェイクスピア盆地のすぐ北側とのことです。
探査機の運用を行っているジョンズホプキンス大学応用物理学研究所(JHUAPL)では、この衝突時間のあと、4月30日午後3時40分(アメリカ現地時間。日本時間5月1日午前4時40分)になっても探査機からの信号が送られてこないことから、探査機が地表に衝突したと判断しています。この時間は、もし探査機が周回軌道に乗っていれば、再び信号を捉えることができるはずの時間です。

地表への衝突の速度は秒速約4キロメートル(プレスリリースの表現をそのまま用いれば、時速8750マイル=時速1万4000キロ)と見積もられています。ミッションチームでは、この衝突によって、幅15メートルほどのクレーターが形成されたのではないかと推定しています。

今回の「メッセンジャー最後の日」の最終運用は、午前11時15分(日本時間5月1日午前0時15分)にはじまりました。ここで、NASAの深宇宙追跡ネットワーク(DSN)の1つ、スペイン局のアンテナを使い、最後の画像のデータ受信が始まりました。運用が今度はカリフォルニア局のアンテナに2時40分(日本時間・同午前3時40分)に移り、その後探査機はビーコンだけの通信に3時4分(日本時間・同午前4時4分)に切り替わりました。

JHUAPLの運用室の雰囲気は、やや沈んだ雰囲気の中にも、運用の終わりを祝うというようなムードにもなっていました。個人的には、私もかつて、月探査機「ひてん」の運用終了にお付き合いしたことがあり、やはりやや重苦しい雰囲気の中にも終了を祝うようなムードがあったことを思い出します。きっと似たような雰囲気だったのでしょう。
メッセンジャーからの信号は、約4年間、水星4105回の周回をもって、途絶えました。

ミッション終了に際して、関係者がコメントしています。
NASAの科学探査部門の副部門長であるジョン・グランズフェルド氏は、「私たちはメッセンジャーの探査終了を、衝突という華々しい形で締めくくった。このミッションの成果は、科学者たちに、次のステップ、すなわち取得されたデータの解析による新しい成果を生み出す、という形で続いてくことになるだろう。」と述べています。
JHUAPLの運用担当者であるアンディ・キャロウェイ氏は、「メッセンジャーからのビーコン信号を、私たちは(再び出てくるとされる時間、午後3時40分から)さらに20分見守った。これをもってメッセンジャーが衝突した、と確実に判断するのは不思議なことではあるのだが、遠く離れた天体で、これ以上確実に判断を行える材料はない。」と語っています。
「今日私たちは、もっとも耐久力があり、いろいろな成功を収めてきたメッセンジャーという探査機に、お別れの言葉を送ることになった。機知に富み、努力を惜しまなかった技術者、運用担当者、科学者、そしてマネージャー…チームメンバーによって、このメッセンジャーミッションが、当初考えていたよりもはるかに大きな成果を生み出し、当初予定してよりもはるかに長い間運用され、多くのデータを私たちにもたらしてくれた。そのことを、私は本当に誇りに思っている。メッセンジャーの成果により、私たちが発見したもののリストは長大なものになる。それらの発見は、単に太陽系の1惑星の見方を変えたのではない。太陽系全体の見方を変えたのだ。」(メッセンジャー計画のミッションマネージャーである、ラモント・ドハーティ地質研究所のシーン・ソロモン教授)

 

記事もある通り、2004年8月の打ち上げから約11年、そして構想からはもっと長い間にわたり、水星という過酷な環境に向かい、そして史上初の周回軌道投入を成功させ、水星の全表面の撮影に成功するという快挙は、私たちの世界を広げる上で、大きな意義があるといえるでしょう。
そして、水星探査は、2016年度打ち上げ予定の、日本とヨーロッパの共同探査計画「ベピ・コロンボ」へと引き継がれていきます。太陽に最も近く、謎の多いこの天体の素顔を明らかにする第2幕…いや、1970年代の「マリナー10号」の探査を含めるならば、第3幕は、間もなく開けようとしています。
メッセンジャーにより大量のデータが得られたとはいえ、それを科学的に解釈し、水星の数多くの謎を明らかにする作業は、むしろこれから本格化します。メッセンジャーが残したデータが、水星の謎の扉を開くのかどうか。私たちもしっかりと見守っていきましょう。

  • NASAのプレスリリース 
[英語] http://www.nasa.gov/press-release/nasa-completes-messenger-mission-with-expected-impact-on-mercurys-surface
  • メッセンジャー (月探査情報ステーション)
    https://moonstation.jp/ja/pex_world/MESSENGER/