世界最大の電気技術関連の学会であるアメリカ電気電子学会(IEEE, アイトリプルイー)の記事「スペクトラム」に、このほど失敗したフォボス・グルントについての記事が載っていました。私も会員ですので記事を読むことができましたので、街役をお送りいたします。
既にご存じの通り、昨年11月9日(日本時間では10日)に打ち上げられたフォボス・グルントは、地球周回軌道からの離脱に失敗、さらに通信がほとんど途絶した状態となり、制御ができないまま、今年1月15日、南太平洋に落下しました。
この探査機の失敗について、ロシア連邦宇宙局は2月3日に報告書を発表しました。ただ、この報告書の発表により、原因については何らかのハードウェア、あるいはソフトウェアの不具合だったといううわさが広まると共に、安全基準についても大きな問題があったのではないかという情報が伝わってきています。
報告書では、探査機の動作停止について、搭載されていたメモリーチップが宇宙線によって損傷を受けたためと述べています。これによって、探査機は非常信号を出す間もないほど突然に機能を停止した、というわけです。しかし、調査を担当した技術者によると、このようなことが起こるためには、搭載されている2つのコンピューター系(編集長注=このような事態を避けるため、通常は複数のコンピューター系が搭載され、どちらかに不具合があってもすぐどちらかが動作する仕組みになっていることが普通です)の両方のメモリーチップに同時に同じ事態が起こらなければなりません。コンピューターが再起動した場合、探査機は「セーフモード」と呼ばれる安全モードに入ります。この場合、探査機は太陽の方向を向いた姿勢をとります。
フォボス・グルント探査機は、この状態で地球からの指令を待っていたのですが、それは永遠に受信できませんでした。なんと、設計段階でのとんでもないミスで、非常時の指令は、地球周回軌道離脱後にしか受け取れないということになっていたのです。
この報告書の2.3節では、このような深刻な事態を引き起こした「ダブル再起動」の原因について、「もっとも可能性が高いのは、宇宙から飛来した重荷電粒子による局所的な影響である。」と書かれています。要はこれは宇宙線のことであり、電気を帯びた原子がはるか彼方の宇宙から光速に近いスピードで飛来してくるものです。
報道によると、このようなコンピューター系の動作不具合は、「にせもの」チップが原因ではないか、と述べています。これは以前の本ブログ記事でも書きましたが、本来こういう宇宙線などの粒子から保護するべきカバーが薄い製品を使ったためということです。しかし、最終報告書ではこの点については触れられていません。ロシア連邦宇宙局のポポフキン長官は、外部メディアに対する発言では言葉を非常に慎重に選んでおり、偽造品のチップが出回っていることは広汎な問題として認識しているとしながらも、「(この探査機に)使用されたチップがにせものであったかどうかについてはわからない」としています。
ロシア当局の結論を実証するため、IEEEではNASA・ジェット推進研究所(JPL)のスティーブン・マクルーア氏にインタビューしました。マクルーア氏は、NASAの放射線影響評価グループの評価委員であり、NASAとしては今回の事態についての最初の「防衛線」となる人でもあります。
マクルーア氏は、翻訳された報告書をもとに、今回の報告書では、WS512K32というメモリーチップが焦点になっていると指摘しました。このWS512K32は、512キロバイトの容量を持つSRAM(メモリーチップの一種。電源を切っても記憶を残すことができる)という種類のメモリーチップで、探査機にはこのチップが4枚使われていたようです。マクルーア氏は、「ロシア当局は、数年前のジョー・ベネデット氏(コンピューターチップの放射線による影響の専門家)の報告に注目しているようだ。これによると、このチップは『シングル・イベント・ラッチアップ』という現象にもっとも敏感らしい。」と語っています。
シングル・イベント・ラッチアップ(Single Event Latch-up: SEL)とは、探査機に搭載されているメモリーチップなど、電子機器に発生する現象です。こういった電子機器はとても微細な回路を搭載しており、その中を電子や電流が行き交うことで情報のやりとりをしています(これは地上のコンピューターでも同じですが)。ところが、こういうところに宇宙線のような電荷を帯びた粒子が飛び込むと、電子の流れが乱れたり、蓄えられていた情報が変わってしまう、あるいは破壊されるという事態が起こります。そうなれば、コンピューターの動作は当然のことながらおかしくなってしまいます。これが、シングル・イベント・ラッチアップという現象です。
蓄えられている情報が変化してしまうため、通常この現象を解消するためには、機器の電源をオフにするしかありません。通常はその後電源を再度投入すれば問題はないのですが、場合によっては、損傷がハードウェアに及んでしまっている場合もあり、そうなると機器自体が問題を抱えてしまうことになります。
このWS512K32というメモリーチップは、「航空マーケットでは軍用グレード品として販売されている…つまり、宇宙用ではない、ということだ」とマクルーア氏は述べています。また彼は、製造業者も販売業者も放射線に関するテストは行っておらず、放射線に対する性能についても特に定めてはいないと語っています。彼は、「(もし探査機にこのチップを使うという提案が製造業者から行われたとすれば)使用は認められないだろう」とも述べています。
もちろん、近年は民生品が宇宙機にも多数搭載されていますが、マクルーア氏は、「往復数年にもわたる火星探査にこのようなメモリーチップを使うということは考えられない。このような場合には、失敗確率が(探査全体において)1万分の1以下になるような製品を使う必要がある。」と語っています。
・IEEEの記事 (英語)
  http://spectrum.ieee.org/aerospace/space-flight/did-bad-memory-chips-down-russias-mars-probe/
・フォボス・グルント/蛍火1号 (月探査情報ステーション)
  http://moonstation.jp/ja/mars/exploration/future.html#PHOBOSSOIL