月探査にとり、大変ショッキングなニュースです。
NASAは18日、今年11月打ち上げ予定であった月探査用小型ローバー「バイパー」計画を中止すると発表しました。

クリーンルーム内のバイパー

アメリカ・テキサス州のジョンソン宇宙センター内にあるクリーンルーム内で開発が進んでいたバイパー探査機。
Photo: NASA

バイパー(VIPER: Volatiles Investigating Polar Exploration Rover)は、NASAが開発を進めていた、月の南極の水(氷)を探るための小型ローバーです。ゴルフカートほどの大きさで、月の南極のクレーター内の永久影にあるとされる氷を探ることを目的としていました。永久影はその名の通り暗闇のため、ライトをつけながら探査を行うことが想定されており、また永久影の極低温にも耐えるための装備が施されています。
また、氷は地下に存在する可能性もあるため、ドリルも装備していました。

現在月探査が世界的な盛り上がりをみせているのは、月(の極地域)に水が存在する可能性が高まったためでした。ただ、それらの探査結果はすべて上空から周回機によって行われたものでした。月の地面を直接探り、水(氷)を見つけたということはありません。そのため、月の水を直接探査する試みには大きな期待が寄せられていました。
月に本当に水があるのか、そしてあるとすればどれくらいの量なのか。これらがわかれば、将来の有人月面探査…アルテミス計画にとっても大きな助けとなりますし、人類の月面滞在にも道が開けることになります。その、いわば先駆けとして月面に向かう予定だったのがバイパーでした。

探査中のバイパー想像図

月の南極を探査する月面ローバー「バイパー」の想像図。永久影領域で水を探査するため、暗黒の中での探査となる。
Photo: NASA/Daniel Rutter

NASAは今回のリリースで、バイパー計画中止の理由を、予算超過、スケジュール超過、長期的な(将来の)コスト増加の見通しが不安定であることを挙げています。
バイパーの開発は確かに遅れ気味でした。そもそもが2023年11月に打ち上げ予定でしたが、開発の遅延から1年延期され、2024年(今年)の11月に打ち上げ予定とされていました。

バイパーは、NASAが実施している商業月輸送プログラム(CLPS: Commercial Lunar Payload Service=クレプス)の一環として打ち上げられる予定でした。
クレプスは、NASAが民間企業に資金を提供して月着陸機を開発し、打ち上げてもらう計画です。民間の技術を活用し、また複数の民間企業の競争による技術力の向上やコスト低減により、より早く、より安く、そしてよりよい月着陸機の開発、打ち上げが行われることが期待されています。

クレプス第1号機は、今年1月、アストロボティック社が開発した着陸機「ペレグリン」でした。しかし月へ向かう途中に探査機が故障、最終的には地球大気圏に突入して消滅させることとなり、計画は失敗に終わりました。
2号機は2月に打ち上げられた、イントゥイティブ・マシーンズ社の着陸機「オデッセウス(オディシアス)」でした。こちらは2月に月の南極に着陸することに成功しましたが、横倒し状態での着陸となりました。月の夜を越えることができず(そもそも月の夜を越えるための装備は持っていません)、そのままミッションは終了しています。

問題は、このバイパーはアストロボティック社の着陸機で月面に運ばれる予定となっていたことです。
アストロボティック社は次の着陸機「グリフィン」の開発を進めていますが、NASAによると、「飛行前テストにより時間を要することとなったため」打ち上げが2024年後半に延期、そして「追加のスケジュールとサプライチェーンの遅延」(additional schedule and supply chain delays)により、打ち上げを2025年9月に延期されることが要請されていました(なお、NASA内のどこが誰にどのように要請したのか、詳しいことは書かれていません。ミッションチームがNASA本部に対して要請した可能性があります)。

この結果、さらなるコスト増大とスケジュールの遅延の可能性が発生し、他の月ミッション(おそらくはクレプス)に影響が及ぶことが懸念されたとして、NASAはバイパー計画の中止を決定し、その意向を議会に伝えたということです。
議会はNASAの開発計画承認の権限を持っています。そのため、ただでさえ遅れている探査機にさらなるコストとスケジュール遅延が及ぶことには反対するでしょうし、他の月探査計画にも同様に反対を行う可能性もありました。バイパーはそのための「いけにえ」として早々に(といってもすでに遅れていますが)中止された可能性もあります。

今回のNASAのプレスリリースでは、バイパー自体の開発が遅れたのか、グリフィンの開発の遅れだったのか、詳細については書いていません。ぼかされているとも取れる書き方になっています。ただ、これまでの経緯(バイパーの開発、グリフィンの開発・打ち上げ)を見てきた限り、グリフィン開発の遅延が直接的な引き金になったのではないかと考えられます。バイパーの開発自体は遅れが生じているものの着実に進められてきていましたので、やはり着陸機の開発に問題が生じたいのではないかと考えられます。

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NASAは、今回のバイパー計画中止に対し、今後も月探査を続行していく旨を表明しています。
NASA本部科学ミッション局の副管理者であるニコラ・フォックス氏は、「私たちは商業月輸送プログラムにより、人類の利益のために月を研究し、探査することに取り組んでいる。NASAは、今後5年間で月面の氷やその他の資源を探すための一連のミッションを計画している。われわれの今後の道筋は、バイパーに投入された技術と作業を最大限に活用すると共に、NASAの強固な月面ポートフォリオを支えるための重要な資金を保全していく。」と語っています。
要はバイパーにより開発された「遺産」を十分に活用して将来のミッションに活かす、ということです。

このプレスリリースには、バイパーにより開発された機器について、アメリカ政府が無償で使用させることについて、関心がある事業者を国際的に募集していると書かれています。また、バイパー自体も今後分解され、それぞれの機器が将来の月面ミッションで再利用されるようです。

また、バイパーなき後のグリフィンについては2025年秋の打ち上げを目指して開発が進められるとされ、その目的が着陸機とエンジンの技術デモンストレーションとなるということです。要は着陸機の健全性を確認する「だけ」のミッションにダウングレードされるということす。

さらに、バイパーが目指していた、月の南極における氷の発見についても、代替方法を探るようです。今年第四半期(10〜12月)に打ち上げ予定のクレプス第3回打ち上げ(これはイントゥイティブ・マシーンズ社の着陸機「IM-2」となります)には、ドリルを利用して地下の揮発性物質の量を探る探査装置「プライム1」(PRIME-1: Polar Resources Ice Mining Experiment-1)が搭載されます。バイパーすべての代わりにはならないとしても、地下の水(氷)の量を探る試みとしてはバイパーの目的を引き継いでいるともいえるでしょう。
バイパーが搭載する予定であった4つの機器のうち、3つの機器のコピーが、将来の月面探査機に搭載される予定であると、NASAは述べています。ただ、具体的にどの探査機に搭載予定なのかについては触れていません。

「月の南極における水(氷)の存在の有無、そして量を探査する」という意味では、実は日本も大きな役割を持っています。
2025年度に打ち上げ予定の、日本とインドが共同で進める月着陸機・ローバー打ち上げ計画「ルペックス」(LUPEX)です。ルペックスでは日本が開発するローバーとインドが開発する着陸機により、月の水(氷)の存在を確かめることを目指しています。
ある意味、少し遅れてもルペックスがあるため、バイパーの目的をルペックスに引き継ぐこともできたともいえるでしょう。ただそれは結果論であり、ルペックスだけではなく、バイパーの結果と相互参照することはできなくなり、その分ルペックスが飛躍的に大きな役割(プレッシャー?)を持つことになります。

月極域探査ミッション(LUPEX)

月極域探査ミッション(LUPEX)の想像図。月着陸機はインドが開発し、ローバーはJAXAが開発する。
Photo: © JAXA
出典: JAXAプレスリリース(2017年12月6日)

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もともとクレプスは遅れに遅れていました。

本来であれば2021年にも1号機が打ち上げられる予定でしたが、開発の遅れなどからズルズルと遅れ、ようやく打ち上がったのが今年1月。
しかも1号機は失敗、2号機は着陸したものの横倒しという形でした。

クレプスは上述の通り、本来は民間の力を使い、「より早く、より安く、よりよく」月ミッションを達成することを目指していました。しかし蓋を開けてみれば、ミッションは遅延し、予算は超過の危機に瀕し、ミッションは予定されたようにきれいには達成できていないという状況です。しかもNASAとしても、複数の民間企業が次々に月輸送機を打ち上げるという構想を持っていたはずがなかなかうまくいっていない状況です。
議会から責められるのも当然ですし、そもそもクレプスの枠組み自体が正しかったのかという意見が出てもおかしくないでしょう。

また、アルテミス計画についても議会内での批判があるのではないかと推測されます。
現時点では、次の打ち上げであるアルテミス2が2025年9月、月着陸を行うアルテミス3が2026年9月と予定されています。しかし、宇宙服や月着陸船(スペースXのスターシップの月着陸専用版を投入する予定。アルテミス4以降はブルーオリジンの月着陸船も加わる)の遅れ、さらにはオライオン(オリオン)宇宙船の帰還後の予想外の損傷など問題は山積しており、このままのスケジュールで進められるかどうかは大変疑問です。

スケジュールが遅延すれば、予算も増えます。ミッション規模が大きいほど、増える予算も大きくなります。
アルテミス計画は、日本も含めた国際共同計画です。また、中国・ロシアに対抗するという意味合いも持ちます。NASAとしてはそう簡単に辞めるわけには行きませんが、かといって議会の意向も重視しなければなりません。そのためにもNASAとしては「削れるところは削り、辞めるものは辞める」といういう姿勢を見せざるを得なかったと考えられます。

ただ、バイパーはアルテミス計画の目的とも直結するだけに、中止のダメージは相当大きなものがあります。
比較してはいけないのかもしれませんが、中国が先月、嫦娥6号を無事に(というよりは平穏に、スケジュール通りに)帰還させたのとは大きな差が出ているといえるでしょう。

NASAには今後、有人・無人を含めた月探査全体について、より透明性を持って枠組みを進めていくことが求められます。
また、民間へのミッション委託についても、いままでのような形でよいのかどうかを再検討する必要があるのではないでしょうか。「民間だから全てうまくいく」というのではなく、ある程度リスクを背負う部分はNASAなど政府側で行うといった役割分担、リスクヘッジを行うように方針を変えていく必要があると考えます。

バイパー中止は大変残念ではありますが、この決定が今後の月探査に教訓として生かされることが、将来の月探査へのせめてもの貢献になるのではないでしょうか。