大変残念なニュースをお伝えしなければなりません。
日本初の月面軟着陸、そして世界初の民間企業による月面着陸を目指していた、日本の宇宙スタートアップ企業「アイスペース」(ispace)開発の月着陸機「ハクトR 1号機」(HAKUTO-R M1)が、4月26日未明に月面着陸に挑みました。しかし、着陸後に通信が途絶し、ispaceでは着陸機は月面に激突した可能性が高いと発表しました。初の月面着陸ミッションは最後のところでの達成ができませんでした。
※以下、HAKUTO−R M1を「M1」とのみ表記することにします。
M1はispaceとして初の月面着陸機となります。
月輸送システムの確立、そして月輸送をビジネスとするispaceとして初の、そして自身の技術を試す重要な機会となるものです。
M1には、日本特殊陶業の全固体電池や、アラブ首長国連邦(UAE)の宇宙開発機関が開発した小型月面ローバー「ラシード」(Rashid)、JAXAやタカラトミーが開発した超小型変形型月面ローバー「ソラキュー」(SORA-Q)などが搭載されていました。パートナー企業やJAXA、UAEの宇宙機関など公的な組織が開発したローバーを輸送するという責務を担っていました。
着陸機は小型・軽量化を重点に設計されました。横幅が2.6メートル、高さが2.2メートルで、近くでみるとかなりの大きさではありますが、これまでの月面着陸機と比べると小型といえるでしょう。また、これらにいくつもの貨物(ペイロード)を搭載しているという点も注目です。
重さも着陸機のみで340キログラムと、軽量化の成果が現れています。
https://www.youtube.com/watch?v=q49UdKvoj8I
M1は昨年12月11日に、アメリカ・フロリダ州のケープカナベラル空軍基地より、スペースX社のファルコン9ロケットで打ち上げられました。
以降、地球から月への行程は順調に進み、3月21日には月周回軌道に到達。その後月着陸の日程を4月26日(日本時間)と設定し、準備を重ねてきました。
ispaceではミッションを全部で10段階に分け、着陸までにこの10の「関門」をクリアすることを目標としていました。それぞれを「サクセス○」(○は数字)と呼び、サクセス1は打ち上げ準備完了、サクセス2は打ち上げ及び分離という形です。
そして、サクセス8が月周回軌道上でのすべての制御完了、サクセス9が月面着陸の完了、そしてサクセス10で安定した動作の実施を行うこととしていました。
前述の通り、月周回軌道上でのすべての制御を4月14日に完了し、サクセス8をクリア、いよいよ着陸という段階に進みました。
4月26日午前0時40分ころ(日本時間、以下同じ)から月面着陸に向けた降下を開始、着陸態勢に入りました。予定では1時間ほどかけて着陸を実施、午前1時40分ころに着陸する予定でした。
月面への着陸では、まず軌道上でメインエンジンを噴射して速度を落とし、徐々に高度を下げながら着陸地点を確認、そして最後はサブエンジンを噴射してゆっくりと速度を落としながら最終降下フェーズに入り、着陸するという手順になっていました。
月周回軌道からの離脱は予定通りに行われ、その後着陸に向けて順調に進行していきました。
ところが、予定の午前1時40分を過ぎても通信が確立されず、午前2時過ぎにispaceの袴田武史・最高経営責任者(CEO)は通信ができていないことを報道陣に伝えます。着陸直前まで通信ができていたものの、着陸後となるタイミングから通信ができていないとのことです。
午前8時になり、ispaceは「着陸は困難」と発表しました。
着陸機に搭載された燃料がすでに亡くなっている時間であること、依然として通信が回復していないこと、さらに着陸機の降下速度が急激に上昇していることを示すデータが確認されたことなどから、ispaceでは着陸機が月面に激突した(ハードランディング)可能性が高いと発表しました。残念ながら着陸には失敗、月面に激突したものと推定されるとのことです。
午前10時より、ispaceの記者会見が行われました。袴田CEOに加え、野崎順平・最高財務責任者(CFO)、氏家亮・最高技術責任者(CTO)が出席し、約1時間30分にわたり説明と質疑応答が実施されました。
記者会見の模様 (THE PAGEより)
この記者会見の中で明らかになったこととして、着陸機自体が認識していた高度と実際の高度が異なってしまっていたらしいこと、またそのためにエンジンが燃料を使い果たし、最終的に加速して月面に激突してしまったらしいことがわかってきました。
なぜ高度を誤って認識してしまったのか、その肝心な原因は今後の究明活動によって明らかにされることと思います。
袴田CEOはプレスリリースの中で、今回の着陸失敗を受けて「着陸フェーズまで実行できたことで多くのデータと経験を獲得でき、このミッションの意義を十分に達成したと考えております。重要なのは、この知見と学びをミッション2以降にしっかりとフィードバックし、この経験を活かすことです。」と述べ、今回の事態を前向きに捉え、来るミッション2、ミッション3(M2・M3)に活かしていくことを強調しています。
今回の着陸については、JAXAの山川宏理事長もコメントを寄せ、「宇宙を目指す同じ日本の仲間として、ispace社の挑戦を誇りに思うとともに、ご関係の皆様のこれまでのご努力に心より敬意を表します。」と述べたほか、今後ともispaceを含めた宇宙開発企業とのパートナー関係を継続すると表明しています。
その他にも、ヨーロッパ宇宙機関(ESA)のアッシュバーガー長官や、アリアングループのマリン・シオンCEOなどがコメントを寄せています。また、Twitterでは岸田首相も、「日本のスタートアップ企業の宇宙への挑戦をこれからも応援していく」とメッセージを寄せています。
昨年11月に宇宙資源法の「宇宙資源の探査および開発」の許可を取得したispace社の世界初の商業的な月面着陸への挑戦。通信が途絶し、着陸の確認が取れないとのことですが、「我々は歩み続ける」との力強いメッセージ。私も我が国のスタートアップの宇宙へのあくなき挑戦をこれからも応援していきます。 https://t.co/XZajaH6q6V
— 岸田文雄 (@kishida230) April 25, 2023
今回月面着陸が最後の最後の段階で達成できなかったことは、編集長(寺薗)としても大変悔しいです。
思い返せば、全ては2007年に開始された技術競争「グーグル・ルナーXプライズ」から始まりました。
純民間資金のみで開発された月面ローバーを月に送り込み(輸送費も純民間資金でまかない)、500メートル以上の走行に成功したチームに2000万ドル(日本円で約26億円)の賞金が授与されるという、まさに破格のレースです(しかし、月への輸送費やローバーの開発費はとてもこの賞金で賄えるものではありません)。
このレースに呼応して2007年に設立されたチームがホワイトレーベルスペースでした。その活動を主導してきたのが袴田さん。2012年にはローバーを「ハクト」と名付け、開発を順調に進めていきます。2017年には「月面到達に最も近い5つのチーム」の1つにこのHAKUTOチームが選ばれ、ローバーも完成しました。しかし打ち上げのためのロケットが確保できず、レース自体も2018年3月、「勝者なし」で終了します。
このHAKUTOの経験を受け継ぎ、そして再起動する形で新たに着陸機とローバーによる月面輸送を計画、再起動の意味を込めて「HAKUTO-R」(最後のRは再起動=Reboot…リブートの意味)計画が始動します。着陸機は当初のグーグル・ルナーXプライズにはなかったため一からの開発となりましたが、これまでの経験を活かして順調に開発を進め、「再起動」から6年弱で月面への着陸機打ち上げにこぎつけます。
10年以上の時を経て、誰よりも月面到達に熱意をもって臨んできた袴田さん、そして彼の周りに集まったispaceのメンバーたち。1人の「月に行きたい人」の情熱が、ここまでの会社に成長してきました。彼らがいまいちばん悔しいであろう、私も本当にその気持ちを共有したいと思います。と同時に、「次の挑戦へつなげていく」という、袴田さんの意思を大切にしたいと思います。
ispaceは2024年にミッション2(M2)、2025年にもミッション3(M3)が予定されています。M2ではいよいよ自身が開発したローバーを月面で走らせる予定です。2024年は来年。非常に速いサイクルで開発が進んでいくことになります。
一方、今回の着陸失敗を受けて、現在同時開発中のM2、M3にも何らかの設計変更が必要になるかもしれません。また、ispaceはこの4月12日に東証グロース市場に上場しましたが、今回の失敗を受けて株価が大きく下落するといった影響も出ています。
しかし、最初の挑戦者には必ず困難があり、リスクがつきまといます。
リスクを取らない限り、明るい未来は生まれません。まして、民間企業による月輸送ビジネス確立という壮大な目標には、このようなリスクが必ず存在します。
また、月着陸自体、そう簡単なことではありません。
半世紀前にアメリカや旧ソ連が月着陸に成功しているとはいえ、それは何機もの探査機を月面に「激突」させ、経験を積んでようやく行えたことでした。2019年にはイスラエルの探査機「べレシート」が、そしてインドの月探査機「チャンドラヤーン2」が、いずれも月面着陸に失敗しました(チャンドラヤーン2は周回機のみ成功、現在月周回中)。両方とも、探査機は月面に激突したとみられています。
月は地球の6分の1の重力しかありません。しかし、空気がないために空気との摩擦により減速するということができません。
また、実際のところは6分の1「も重力がある」というのが正しい表現でしょう。例えば「はやぶさ」や「はやぶさ2」が着陸(タッチダウン)した小惑星は、地球の重力の10万〜100万分の1しかありません。これであれば探査機は自身が動きたいように動けます。しかし月のようになまじ重力がある天体では、ちょっとした機器の誤動作が命取りとなります。重力に抵抗し、減速するための噴射がちょっとうまくいかなかっただけでも、月面への激突という運命を招いてしまいます。
月は決して、私たちにとって友好的な環境ではないのです。
今回の失敗を教訓に、より確実な月着陸機・ローバーの設計、そしてその成功を、心から願わずにいられません。そして、袴田さん、ispaceのチームならきっとやってのけるでしょう。M2でのリベンジ、そして吉報を期待しましょう。編集長(寺薗)も応援し続けます。
- ispaceのプレスリリース
https://www.ispace-inc.com/jpn/news/?p=4659 - NHKの報道
※時系列を追ってわかりやすく解説されています。また、動画もあります。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230425/k10014037261000.html