中国の宇宙開発、あるいは月・惑星探査は非常に着実に前進しているようにみえます。このほど人民網日本語版で報道された、中国の2030年までの宇宙科学発展構想によると、しかし、そのような外側からみた「堅実さ」「華やかさ」とは一歩違った、中国の宇宙科学における悩みが垣間見えてきます。

中国科学院は17日、「2016−30年宇宙科学計画研究報告書」という報告書を発表しました。約30人の科学者によってまとめられたこの報告書は、中国の科学技術、とりわけ宇宙科学、科学衛星ミッションなどの方向性を示した文書ということです。
それによると、今後中国が宇宙科学において目指す分野として、

  • 宇宙の形成と進化
  • 太陽系外惑星および地球外生命体の探査
  • 太陽系の形成と進化
  • 現在の基本物理理論を超越する新たな物理法則、宇宙環境における物質の運動および生命活動の法則の解明

が挙げられています。最後の「基本物理理論を超越する」というのはちょっと大げさなようにみえますが、例えば重力波やダークマターといった、これまで理論的に提唱されていても実態として見つかっていないものを検出・発見することを主眼にしているものと考えられます。

また、これに呼応した形で、2020年、2025年、2030年にかけての宇宙探査計画を打ち出しており、その中には、ブラックホール探査計画、パルサー探査計画、太陽系外惑星探査計画、火星探査計画といったものが含まれています。ブラックホール探査計画、パルサー探査計画はおそらくエックス線観測衛星と思われます。太陽系外惑星探査は宇宙望遠鏡、及び(あるいは)赤外線観測衛星ではないでしょうか。火星探査計画は本ブログでも既報の通りです。
ここで興味深いのは、中国が月や火星といった「華々しい」目標だけでなく、天文衛星といったある意味地味な分野へも着実に進出しようとしているということです。この点については、記事の広範に興味深い指摘がなされています。

記事では、中国はこれまで宇宙開発、及び月・惑星探査(とりわけ月探査)分野では大きな成果を上げてきたものの、宇宙科学全般でいえば他国が取得したデータに頼った研究を続けており、「宇宙大国、宇宙科学小国」から抜け出せていないと指摘しています。
当然、こういった状況では、探査機を打ち上げた国や機関、あるいはそのプロジェクトに属する科学者がまっさきにデータにアクセスでき、論文を書く権利を得ます。ですから、その後に公開されたデータを使った研究というのは結局後回し、あるいはいいところをすっかり取られた「出がらし」による研究にしかなりません。これでは最先端の研究に到達することも難しいですし、科学者の意欲も削がれるでしょう。

さらに興味深い指摘は続きます。中国科学院国家宇宙科学センター長の呉季氏は、「現在の宇宙科学任務の多くは単発的で、持続性と安定的な経費・予算が欠けている。NASAや欧州宇宙機関のように、宇宙科学の経費・予算を、宇宙事業の予算全体の固定的な比率に基づき拠出することはできないだろうか?」と述べています。
これは、中国として、いわゆる「プログラム探査」の必要性を述べているものといえます。
実際、中国は月探査においてはプログラム探査を着実に実施しているといえます。3〜4年に1回の打ち上げチャンスが必ず保証されることで、技術が継承され、若手研究者・技術者が育成され、その国においてその分野は非常に強固になるというものです。
ただ、上記の呉氏の発言は、少なくとも月探査以外の分野はそうなっていないということを示唆しているものといえるでしょう。

例えば日本では、エックス線観測衛星や赤外線観測衛星などの天文衛星は継続して打ち上げられており、ベテランのノウハウが若手にしっかりと受け継がれています。2月にも新しいエックス線観測衛星「ひとみ」が打ち上げられましたが、ちょうどその直前に、前の観測衛星「すざく」が機能停止しています。本来であれば2機の観測期間が重なるのが理想的なのですが、それでも次の衛星の計画が進んでいるということは、その道に進もうとする若い科学者の卵(学生)にとってその分野が有望であることを指し示すものといえます。
一方では、月・惑星探査計画は必ずしもそうはなっていません。小惑星探査は「はやぶさ」「はやぶさ2」と計画が連続しましたが、これも綱渡り的な連続であり、しかも月探査の分野では、「かぐや」の後継計画として計画された「セレーネ2」が10年以上の議論の末に計画中止となるなど、プログラム探査が実現されているとはいいがたい状況です。

ちょうどこの点は中国と日本は裏表の関係にあるといえるでしょう。
中国がプログラム探査の重要性を認識し、宇宙科学に力を入れていくということを宣言した意味には、国の発展に基礎科学が重要であることを示すと共に、単に国威発揚の意味での月・惑星探査ではなく、科学者や技術者がきちっと育成され、次世代に技術が継承されていくことを保証する探査計画が必要であることを認識している(あるいは国家の上層部に認識して欲しい)という意味もあるでしょう。
その意味では、日本も他山の石として見習うべき箇所はあると思います。