NASAは9日声明を発表し、現在進められている有人月探査計画「アルテミス計画」の2回め、3回目の打ち上げを延期すると発表しました。今年(2024年)中の打ち上げが予定されていた2回めの打ち上げは2025年9月に、2025年末の打ち上げとされていた3回目の打ち上げは2026年9月と、それぞれ約1年程度延期することとしています。

以下は、NASAのビル・ネルソン長官のツイートです(日本時間で10日午前5時22分)。

アルテミス計画は、アメリカが主導し、日本も参加する国際共同の有人月探査計画です。その目的はずばり、人間を再び月へ戻すことです。
アルテミス計画における月面着陸は3回の打ち上げからなります。1回目の打ち上げは無人で、使用されるシステム(ロケット=SLS,及び宇宙船=オライオン(オリオン))の健全性を確かめること。これはすでに2022年11月に実施されています。
2回目の打ち上げは実際にオライオン宇宙船に宇宙飛行士を搭乗させ、月の周りを周回して戻ってくることになります。すでに4名の宇宙飛行士が選定され、訓練も開始されていました。
そして、3回目の打ち上げで、月面着陸に挑戦する、ということになっていました。

アルテミス2に選定された4名の宇宙飛行士。左からジェレミー・ハンセン、クリスティーナ・コッホ(女性)、ビクター・クローバー、リード・ワイズマンの各宇宙飛行士。2023年9月20日、搭乗当日の手順リハーサルのため、宇宙飛行士宿舎から乗員輸送車に乗り込むところ。
Photo: NASA

アルテミス2の打ち上げは2024年12月、アルテミス3の打ち上げは2025年12月となっていました。
NASAはこのたび、このスケジュールを変更し、アルテミス2の打ち上げを2025年9月、アルテミス3の打ち上げを2026年9月と再設定しました。合わせて、アルテミス3のあとの継続的な月面アプローチとなるアルテミス4についても、2028年の打ち上げを目標とすると表明しました。
2と3に関しては約1年の後ろ倒しとなります。

アルテミス計画については、もともとスケジュールに無理があったと考えられます。
そもそも、当初アルテミス3の予定は2024年となっていました。これは、このアルテミス計画の発案者であるトランプ前政権の問題です。トランプ前大統領がもし2期目を達成していた場合、2024年は任期最終年となります。つまり、大統領としてのレガシー(遺産)を有人月着陸成功という形で残せたというわけです。
もっとも、技術と政治は別であり、現時点ではより無難な「2025年」の予定となっていました。

そして、アルテミス計画の重要要素の多くに開発の遅れが目立っています。
まずは着陸船です。アルテミス3以降の月着陸には、現在スペースXが開発している大型宇宙船「スターシップ」の月着陸向け改良版を利用する予定なのですが、すでに皆様ご存知の通り、そもそものスターシップの開発自体が進んでおりません。当初2022年もといわれていた初打ち上げも現時点では成功しておらず、どんなに早くても今年できるかどうか、というところです。
さらに、これがアルテミス計画で利用できるようになるためには、月着陸運用に向けた改造、有人試験、そして着陸試験など、さらに様々な過程を経る必要があります。そう簡単な話でないことは明らかです。

その他の要素の開発や検証にも問題があります。
例えば宇宙服です。宇宙服についてはアクシオム・スペース社が開発する予定ですが、こちらもまだ着手したばかりで、いつでき上がるかは定かではありません。
また、2022年に打ち上げられたアルテミス1においてオライオン宇宙船の検証が行われましたが、耐熱シールドの一部に想定外の損傷が認められるなど、すぐに人間を乗せて打ち上げられるという状態ではないようです。少なくともアルテミス2に利用するためにはさらなる検証が必要で、NASAはこの春までに検討を終えるとしています。

このような事情から、昨年11月、アメリカ会計検査院(GAO)は、アルテミス計画を2027年以前には実施できない(no earlier than)という結論を下していました。
今回のNASAの発表は、その2027年よりは前となりますが、それでも遅れることは既定路線といえるでしょう。
上記のような複雑かつ多数の開発要素が絡み合うアルテミス計画は、1つの物事の遅れが他に波及する、といった形で、まだこれからも遅れを呼ぶ要素は出てくるかと思います。

ただ、アルテミス計画全体でみた場合、2と3の遅れは想定された範囲内にまだ収まっているといえるでしょう。
その先の4・5については2028年~2029年という案内がNASAから出されていますので、全体としてみた場合(かつ、2及び3がすべて問題なく進行したとして)、まだ遅れを吸収できる余地が残っているとはいえます。

また、アルテミス計画は有人月探査計画、すなわち人間を乗せる計画です。
無人とは違い、絶対的な安全性が求められる有人宇宙船であれば、開発に慎重にならざるを得ないことは確かです。
NASAのビル・ネルソン長官も、上記ツイートで「安全はNASAの最優先課題である」と述べています。

振り返れば、NASAはスケジュールを優先して人名を失う事故を過去にも起こしています。
例えばアポロ1号の火災です。1967年に発生したこの事故では3名の宇宙飛行士の命が失われましたが、背景には、「1960年代に月に人類を送り込む」というケネディ大統領の言明の元、無理なスケジュールで開発を行ったことが指摘されています。
また、1986年のスペースシャトル「チャレンジャー」事故でも、打ち上げスケジュールを優先し、安全性に対する技術者の懸念を無視したという批判がなされました。このときには7名の命が失われました。
これらの事故のたびに、NASAは安全を軽視しているという批判が巻き起こり、開発姿勢を変更することを余儀なくされていました。ビル・ネルソン長官の発言も、有人であるからこそ安全を第一にするという方向性を示したもので、妥当なものであると考えられます。

一方でアルテミス計画は、アメリカの国威発揚という面も持っています。また、同じく月への存在感を急速に高め、有人計画も持つ中国への対抗軸という側面もあります。いくらすでに一度月に行っている国とはいえ、中国が「先に」月に降り立ち、それを大々的に宣伝されれば、1960年前後のスプートニク・ショックのような事態の再来も考えられます。
ビル・ネルソン長官も、「アルテミス計画は、私たちが国家として、あるいは連合として何ができるかを示しています」と述べています。日本も加わるアルテミス計画はいわば西側の結束の証であり、失敗はできないが、かといって大きな遅れは許されないというジレンマを抱えています。

また今回、月周回宇宙ステーション「ゲートウェイ」についてもスケジュールが見直され、当初2025年10月とされていた最初のモジュールの打ち上げを、アルテミス4との「適切な調整」のため見直すとのことです。これも上記の通り、「安全第一」の原則に照らせばやむを得ないことであると考えられます。

アルテミス計画は日本も参加しており、先日も日本人宇宙飛行士が月面に降り立つことで日本とアメリカ間で最終調整がなされているという報道があったばかりです。
当然全体的な計画の遅れは、この日本人宇宙飛行士の月面到達の遅れにもつながりますが、ここでいたずらに焦るよりは、しっかりとした計画のもとに十分な安全対策が施されたロケット及び宇宙船が開発されることを、ぜひとも優先させて欲しいと思います。