1969年に人類初の月面着陸を成し遂げたアポロ11号の船長であり、はじめて月面を歩いた人間として知られる、ニール・アームストロング氏が亡くなりました。82歳でした。死因は、心臓血管手術に伴う合併症とのことです。

ニール・アームストロングが1969年7月20日(アメリカ現地時間。日本時間では21日)月面着陸、そして月面に足を下ろしたときに発した言葉、「これは1人の人間にとっては小さな一歩だが、全人類にとっての大きな飛躍だ」(That is one small step for (a) man, one giant leap for mankind)(編集長注)という言葉は、いまも多くの人の記憶に残り、語り継がれています。

ニール・アームストロング宇宙飛行士

アポロ11号のミッション当時のニール・アームストロング宇宙飛行士
(Photo: NASA)

アームストロング氏は、夫人、2人の息子、1人の継息子、10人の孫、そして兄弟姉妹がおります。
家族は声明を発表し、その中で、「彼(アームストロング氏)は英雄視されるのを嫌がる人であった。彼自身は国家に貢献したことを誇りに思っていた。もし彼のことを思ってくれるのであれば、今度月をみたとき、彼のことを思い、月にウィンクを投げかけて欲しい。」と述べています。
オバマ大統領もツイッター経由で声明を発表し、「彼はその時代だけでなく、すべての時代における英雄だった。ニール、ありがとう。私たちに小さな一歩の大きな力を見せてくれた。」と、お悔やみを述べています。
NASAのチャールズ・ボールデン長官は、「どんな歴史書にも彼の名前は残ることだろう。世界を小さな一歩により、そのさらに先へと進めていった偉大な人物だ。」と賞賛しています。
アポロ11号に一緒に乗り込み、共に月面を歩いたエドウィン・「バズ」・オルドリン氏は、「死去されたことを非常に悲しく思っている。ニールと私は一緒に訓練を受けた仲間というだけではなく、よき友人であり、アポロ11号を通じていつもつながっていた。私が月を見上げるときには、40年前のことをいつも思い出す。そのとき、2人の人間があそこにいて、私たちは決して1人ではなかったのだ。」との声明を発表しています。
また、3人のアポロ11号乗組員のうち、周回船に残って月面着陸をしなかったマイケル・コリンズ氏は、「彼は最良の人物だ。そして、彼が死去したことはとてつもなく悲しい。」と、短いコメントを寄せています。

ニール・アームストロング氏は1930年8月5日、オハイオ州ワパコネタという町に生まれました。パデュー大学で航空工学の修士号を、また南カリフォルニア大学で航空宇宙工学の修士号を受けています。
1949年から52年にかけては海軍の戦闘機パイロットとなり、この間朝鮮戦争では計78回における作戦行動に従事しています。
1955年には、NASAの前身となる国家航空宇宙アドバイザリ委員会(NACA)に所属しました。このときの立場は、オハイオ州クリーブランドにあるルイス研究所(現: NASAグレン研究センター)の研究パイロットでした。
その後、NACAの高速飛行研究パイロット(テストパイロット)に転身し、試験機X−15の飛行では時速6400キロ(概算でマッハ5)の飛行にも成功しています。テストパイロットとして合計200機の飛行機を飛行させ、その中にはロケット飛行機からヘリコプターまで含まれています。

1962年に宇宙飛行士として選抜され、ジェミニ8号に乗務しました。彼は軍属ではなく通常の市民としてはじめて宇宙飛行を行った人物となりました。宇宙におけるドッキング操作などの実績を残しています。
このとき、宇宙船はドッキング後予期しない回転を起こすというトラブルに見舞われました。アームストロング船長は一旦ドッキングさせた衛星を切り離しましたが、回転はさらに速くなって1秒間に1回というとんでもないスピードになってしまいました。さらに、ジェミニ宇宙船に搭載されていたスラスターは、電気系統のショートのために使えない状態となっていました。
このとき、アームストロング宇宙飛行士は、再突入用のスラスターを使用して回転を抑えることに成功しました。わずか10時間41分の飛行でしたが、この際にとった冷静沈着な行動は、後のアポロ宇宙船の飛行での手腕を期待されることになるわけです。

アポロ11号の飛行では、着陸の際、予定地に大きな岩があることから急遽場所を変更。さらに、搭載コンピューターが命令を消化しきれずに過負荷状態になるなどのトラブルに見舞われました。アームストロング船長はこの際も、冷静に手動操縦に切り替え、燃料の残りを見極めながら、ぎりぎりのところで着陸船を無事着陸させることに成功したのです。
月面での滞在は合計21時間37分。単に月に降りただけではなく、科学機器の設置など、科学的な探査も行なっています。
アポロ11号の帰還後、全米では英雄として大歓迎を受けることになります。また、海外にも親善大使として各地へと赴きました。

その後、アームストロング氏はNASAの高等技術研究部門の副部門長となりますが、1971年に退職します。その後は1979年までシンシナティ大学で教鞭を採り、研究・教育の両方の面で活動しました。
また、実業家としても活動し、バージニア州のシャーロットビルにある飛行コンピューターテクノロジー(Computing Technology for Aviation Inc.)の社長に就任、10年間を過ごしました。また航空宇宙関係の別会社の社長も10年間務めています。
一方では航空宇宙工学の経験を求められ、1986年のスペースシャトル「チャレンジャー」爆発事故の際には、事故原因調査委員会の副委員長を務めました。
彼はアメリカの大統領自由勲章を始めとして多くの章を受賞しており、また17の国からも賞を受けています。

オバマ大統領と会談するアポロ11号乗員

アポロ月着陸40周年となる2009年7月20日、オバマ大統領と会談するアポロ11号乗組員。左から、バズ・オルドリン、マイケル・コリンズ、ニール・アームストロングの各宇宙飛行士。
(Photo: NASA/Bill Ingalls)

アポロ11号の月面着陸から43年。アームストロング氏が亡くなっても、彼の業績と、そこへ到着したという実績は、永遠に語り継がれていくことでしょう。そして、いつかそこへ戻ろうという人が必ずや現れるということも、また確かなことであると私(編集長)は固く信じております。
改めて、ニール・アームストロング氏の偉大なる業績に敬意を評し、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

(編集長注)この「1人の人間にとっては…」という言葉で、「a」にかっこがついているのには理由があります。どうもアームストロング船長は、この「a」を発音しなかったらしいのです。aを外してしまうと、英語の意味としては「人類」となってしまうため、この文章の意味がかなり大きく変わってしまいます。後年、この「a」についてはいろいろな議論がなされており、実際には発音していた、という意見もあります。なお、アームストロング氏自身は引用符つきで「”a” man」と記述されることを望んでいたとのことですが、ここではNASAの記事に従って記述しました。