本日11月2日、月探査情報ステーションは23回目の誕生日を迎えました。1998年11月2日の誕生以来、23年の月日が流れたことになります。

1998年当時、本サイトは、当時の宇宙開発事業団、文部省宇宙科学研究所などが主催する「インターネットシンポジウム ふたたび月へ」というサイトでした(現名称になったのは2000年11月より)。そのサイトの目的は、当時開発が進められていた日本の月探査衛星「かぐや」(当時の名称は「SELENE」=セレーネ)をより多くの方に知ってもらうことでした。ただ、単に探査機開発についての情報だけを掲載するのでは誰の目も惹きません。そのため、日本人が古来から月に特別な感情を抱いていたことに着目し、「月と月探査の情報」(この場合にはSELENEの情報となりますが)を掲載し、多くの人に月探査だけでなく、月そのものに対しても知ってもらおう…そのような思いと共にサイトをスタートさせました。

あれから23年。「月」探査情報ステーションが扱う範囲は大幅に広がり、月探査だけでなく、火星探査惑星探査全般へと進歩しました。つい先日の小惑星探査機「ルーシー」の打ち上げも、打ち上げから衛星分離、太陽電池パネル展開までを、サイト及びツイッターで随時お伝えするなど、月・惑星探査の今を伝えようという動きは今も変わらずサイトの根幹をなしています。

今年は私にとって、人生が大変大きく動いた年でした。
2020年11月に、長年勤めた会津大学を退職し、情報通信研究機構に移籍、しかし7ヶ月後の6月末で退職し、その後は自分自身の合同会社で生計を立てていく道を選択し、まさに月探査情報ステーションを根幹とした「(月・惑星探査)アウトリーチで食べていく」人生の実践を行うことになりました。
しかし、言うは易く行うは難し、生活を維持していけるだけの収入を得ることはなかなか難しい状況です。

そのような状況であっても、人生ではじめて、月・惑星探査アウトリーチに全力を投球できるという今の状況は、何者にも代えがたい幸せな時間となっています。
もちろん、上記のような生活面をはじめ心配なことは多数あります。しかし、23年間突っ走ってきた自分自身を見つめ直したとき、いまやるべきこと、今後なすべきことが、次第にみえてきた感じがします。
それは、自分自身が落ち着いて考えることができる時間が、少しずつでも持てるようになったこととも関係していると思います。

折しも、国際共同の有人月探査計画「アルテミス計画」が進んでいます。来年2月には1号機「アルテミス1」の打ち上げが行われます。アルテミス1は無人とはいえ、2024年に予定されている有人月探査に向けた重要なステップになります。23年前「ふたたび月へ」というスローガンを掲げて誕生したウェブサイトが、再び人類が月に赴く姿を解説し、速報する、そのような時代がいま目の前に来つつあります。
そして、アルテミス計画には日本も参加しています。いつかこのサイトで、日本人宇宙飛行士の月面着陸の様子を実況するときが来るかも知れません。
それは、100年来ともされるパンデミックに見舞われた私たち人類にとっても大きな希望の火となるに違いありません。

23年間実績と情報を積み重ねてきたこと、その間、「正しく」「すばやく」「わかりやすく」という方針をブレずに貫いてきたこと。月探査情報ステーションの大きな価値は、そこにこそあるのだと思います。それをこれからも愚直に貫いていくこと、私にとってはそれこそが求められていることであり、またすべきことであると認識しています。

そして、このサイトをきっかけとして始まった月・惑星探査アウトリーチというライフワークをどう発展させていくか、それがまた私にとっての新たな、大きな目標となりました。私としてはその目標を楽しく、しかししっかりと追いかけていくことで、日本という国の宇宙開発がより大きく進み、未来の世代が当たり前のように宇宙を目指す世界を作る、その役に立てればと思っています。

今後とも、月探査情報ステーションを、どうぞよろしくお願いいたします。

 

2021年11月2日

月探査情報ステーション 編集長
合同会社ムーン・アンド・プラネッツ 代表社員
寺薗 淳也