本日、2020年11月2日、月探査情報ステーションは満22年を迎えました。
1998年11月2日に、前身となる「インターネットシンポジウム ふたたび月へ」が始まってから、22年の歳月が流れました。
宇宙開発、月・惑星探査でもその間、本当にさまざまなことがありました。もともとサイトの設立目的であった日本の月・惑星探査衛星「かぐや」は2007年に打ち上げられ、2009年にミッションを終了、データは今も解析が続けられています。宇宙開発組織自体も、当時は宇宙科学研究所・宇宙開発事業団・航空宇宙技術研究所の3組織体制でしたが(前身のサイトはこの宇宙科学研究所と宇宙開発事業団が共同で運営する形でスタートしています)、いまはそれらがJAXA(宇宙航空研究開発機構)に統合され、一体となって動いています。
22年の歳月で、月探査も大きく変わりました。
1998年は、新たな月探査の時代の夜明けであったともいえます。この年に打ち上げられたアメリカの月探査機「ルナープロスペクター」は、月面に水の痕跡を発見します。これが、いまに続く「月の水」の端緒となりました。
その後21世紀に入ると、前述の「かぐや」を含め、中国、インド、ヨーロッパ、アメリカによる月探査が相次いで実施され、月の素性が一気に明らかになってきます。さらに、2010年代には40年ぶりとなる月着陸を中国が実施、2019年には同じ中国の「嫦娥4号」が、史上初となる月の裏側への着陸を果たします。
その先にあるのは、まさに「ふたたび月へ」、有人探査です。
アメリカはアルテミス計画を全面的に推進しており、2024年には宇宙飛行士(そのうち1名は史上初の女性)を月面に着陸させることを狙っているようです。そして、その後も有人月面探査を推進し、2030年前後には月面基地も設営することを目指しています。一方、中国やロシアも同じ2030年頃をめどに月面基地構築を構想しているようで、にわかにアポロ時代の「米ソ対立」に近い様相を呈してきています。
このアルテミス計画には日本も積極的に参加することになっています。先月13日には、日本を含めた8カ国が「アルテミス協定」に署名、本格的な協力体制の構築に向けて第一歩を記しました。先ごろ13年ぶりの日本人宇宙飛行士の募集が報じられましたが、ここで選ばれた宇宙飛行士は、間違いなくその活躍の場が月面になることでしょう。
22年前に構想し、CGでその姿を描いていた「ふたたび月へ」は、いまや私たちが現実の問題として語る状況になってきています。
月と私たちの関係は古代から身近でした。そのような私たちの心と月とのつながりを大切にすることが、月探査情報ステーションの大きなコンセプトです。アルテミス計画が進行し、月面で人間が活動することが当たり前という時代になったとしても、私たちが受け継いできた月への思い、月との共存ということを決して忘れてはならない。そのように私は思います。
日本人が長い歴史の間で培ってきた月への思いが、最新の宇宙開発技術による有人月探査につながっていくのであれば、諸外国とはまた異なる、日本独自の月探査を世界に見せることができるでしょう。それはきっと、世界に対して、「よい」影響を与えるものになるに違いありません。
誕生から22年、月探査情報ステーションに課せられた役割はますます重くなってきています。しかし一方、編集長の多忙状態はますますひどくなり、定期的なブログ記事のアップデートもままならない状態となっています。情報をクリップしただけで下書き状態になっている記事は400に迫ろうとしています。
これに対して今すぐ有効な処方箋はなかなか思い浮かびません。本業をおろそかにするわけにはいきませんので、ともかくもいまは、細く長く出会っても続けていくことを第一に考えていきたいと思います。
そして、皆さんのより強いご支援をいただければ、将来的には月探査情報ステーションをはじめとする月・惑星探査の広報普及啓発が私自身の職業として成立することもあるかと思います。
ぜひ今後とも、皆様のご支援をどうぞよろしくお願いいたします。
2020年11月2日
月探査情報ステーション編集長
合同会社ムーン・アンド・プラネッツ 代表社員
寺薗 淳也