本日(2019年11月2日)、月探査情報ステーションは満21周年を迎えました。

1998年11月2日、月探査情報ステーションの前身である時限形式のシンポジウム「インターネットシンポジウム ふたたび月へ」が開設されました。現在の名前での通年公開が正式にスタートしたのは2000年11月(ただし、1998年以降、ずっと通年公開されてきました)。それ以来、21年が経過しました。

当時の月探査といえば無人探査が主流であり、そもそもこの「インターネットシンポジウム」自体、当時日本が推進していた月探査「かぐや」(当時はセレーネ=SELENEと呼ばれていました)のプロモーションサイトとしてスタートしたものでした。
「かぐや」のミッションが終了して今年で10年。特に派手なお祝いなどもなく、淡々とその日(6月11日)が過ぎていきましたが、私自身が関わっていたプロジェクトが成功裏に終了し、そのレガシー(遺産…大量に取得されたデータ)が今でも科学者により解析され続けているということは、誇らしいことです。

そして今、月探査は新しいステージを迎えようとしています。「ふたたび」という言葉には、人類を再び月へ到達させるという意味合いがありました。20年前、それはかなり先のステージだと考えられていました。しかし、その実現への道のりは私の予想を超えて急速に進んでいます。
2年前に計画が明らかにされた「深宇宙ゲートウェイ」、そして今年NASAが発表したアルテミス計画。共に月を目指す計画ですが、特にアルテミス計画は2024年までに宇宙飛行士を再び月面に立たせることを目標としています。2024年まで、あと5年。月探査情報ステーションが当初掲げていた「ふたたび月へ」という言葉が、まさに現実のものになろうとしています。

さらに、アルテミス計画には日本も参加することが発表されています。日本人が月面に立つ日が5年後にやってくるのかどうかはわかりませんが、2020年代のどこかで、日本人宇宙飛行士の月面での活動を私たちがライブ中継で眺める日がやってくる、これは遠い夢物語ではなくなりました。

もちろん、こういった有人月探査計画をただ両手を挙げてほめそやすだけが月探査情報ステーションではありません。21年間にわたる情報の蓄積と探査の経験を踏まえ、冷静に状況を分析し、批判すべきところは批判し、提言をまとめていく。月探査情報ステーションに求められる役割は、これからますます大きくなっていくことでしょう。

とはいいながらも、近年は更新の停滞が目立つようになりました。特にここ2〜3年、編集長(寺薗)の多忙が常態化し、最新情報を提供するブログの更新が困難になりつつあります。多忙の中での無理が影響し、この6月には体調を崩し、1ヶ月にわたって休養し、更新を停止せざるを得なくなるという事態まで発生してしまいました。
現状この多忙状態が改善するめどは立っておらず、しばらくは苦しい運営が続くかと思われます。記事を楽しみにしていらっしゃる皆様にはたいへん申し訳なく思います。私自身にとっても、ブログ記事の執筆は月・惑星探査の情報分析という大きな役割を持っているため、更新が遅れることは非常に痛手でもあります。

来たるべき2020年(代)、月探査の10年になるかもしれない時期を迎え、月探査情報ステーション、そして私自身の体制を見直し、ふたたび皆様に迅速に、詳しくわかりやすい情報をお届けできる体制を作っていくこと、そしてより息の長い運営ができるように見直せるものを徹底して見直してくこと、これから1年をそのような「再構築」に向けていきたいと思います。

今後とも、月探査情報ステーションをご支援、ご愛顧いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

月探査情報ステーション 編集長/合同会社ムーン・アンド・プラネッツ 代表社員
寺薗 淳也