「月に行く」ということを小説として表したのだとすれば、おそらく世界ではじめての「月に行く小説」は「竹取物語」といってかまわないでしょう。

一方、科学的考察を含めた内容で「月に行く」ということを描写した文学作品となると、1634年に発刊された、ヨハネス・ケプラーの「夢」(ソムニウム)が最初となるでしょう。
ケプラーは、惑星の運動を記述した「ケプラーの法則」で有名であり、天体の運動について、現在の科学につながる基礎を残した偉大な天文学者です。
一方で、自分自身の天文学への信念や発見などをわかりやすく一般の人たちに伝えるということも行っていたのです。「夢」もその流れの中で書かれたものですが、残念ながらケプラーが生きているうちには発刊されず、死後、遺族が出版したのです。
「夢」の中では、主人公は精霊に祈りを捧げることで月旅行へと旅立ちます。月についての描写は、現在の私たちの月の知識とはかなり離れており、空気が存在したり人が住んでいたり、ということはありますが、月の満ち欠けや運動については、ケプラーの天文学の知識が大いに活かされています。
「夢」は、日本語訳が2009年の世界天文年に合わせて復刊されています。

さて、月への行き方について、「祈る」といったような非科学的な方法ではなく、科学的な考察に基づいた形で書かれた小説としては、フランスの小説家ジュール・ベルヌによる「月世界旅行」になるでしょう。この作品は1865年に書かれました。
この「月世界旅行」では、主人公(3人のアメリカ人男性)は月に行くための巨大な大砲を建設し、それを垂直に打ち上げることで月を目指します。
もちろん、現在ではこのような方式ではなく、ロケットを使用します。しかし、大砲の大きさを逆にすると、現代のサターンV型ロケットとほぼ同じになるという点は驚くべきことです。また、大砲の設置場所がアメリカ・フロリダ半島であったり(アポロ宇宙船は、同じフロリダ半島にあるケネディ宇宙センターから打ち上げられました)、乗員がアポロと同じ3人であったり、最後には太平洋に落下して帰還する、という点など、まるでアポロの宇宙計画を100年以上前に先取りしたかのような点もみられます。

もっとも、この「月世界旅行」は予言の書ではなく、当時最先端の天文、科学、技術の知識を総動員し、さらにベルヌ得意のエンターテイメント性を盛り込んだ、科学小説、まさにSFだったわけです。
当時(19世紀中頃)は、科学技術、特に機械技術の発達がめざましい時代でした。また、天文分野では、技術の発達に助けられ、精密な月面地図が作成されるなど、大きな進展を迎えた時代でした。ベルヌはこういった内容を余すところなく作品に盛り込んでいます。
一方、作品の舞台を、当時新興国として大きな勢いをつけ、また国土が広く、舞台設定上の自由度が高いアメリカに設定したというのは、当時のヨーロッパからみて「新興の国が古い慣習に縛られず新しいことを成し遂げる」というベルヌの思いを受け止めたものといえましょう。

なお、現在の月面の地名の命名規約では、月の地名は科学者の名前をつけることになっています。しかし、そのルールが決まる前、旧ソ連のルナ3号がはじめて月の裏側の写真を撮影した際に発見したいくつかのクレーターの1つに、「ジュール・ベルヌ」という名前がつけられています。
これは、アポロやルナ探査機よりも100年以上前に、月の裏側の世界を描いた作家に対して敬意を表したものです。


強烈な光と煙を発し、月に向かう砲弾を発射する大砲。「月世界旅行」1872年初版本の挿絵より。
(出典: Wikipedia ※ウィキペディア・コモンズの下でライセンス)


なお、この「月世界旅行」は1902年にジョルジュ・メリエス監督により映画化されました。当時の映画は、既に著作権が切れているため、インターネットで視聴できます。こちらは、世界初のSF映画といってよいでしょう。

出典: The Baker Street Bakery
音楽及びナレーション部分はクリエイティブ・コモンズ・ライセンスのもとで公開され­ています
(CC BY-NC-SA)。


■ 参考資料

  • ケプラーの夢 (ヨハネス・ケプラー著、渡辺正雄・榎本恵美子訳、講談社学術文庫、講談社)
  • 詳注版 月世界旅行 (ジュール・ヴェルヌ著、W.J.ミラー注、高山宏訳、ちくま文庫)
  • 月世界へ行く (ジュール・ヴェルヌ著、江口清訳、創元SF文庫、東京創元社)
  • ニュートン別冊・月世界への旅 (ニュートンムック、ニュートンプレス)