■外惑星を探査するために巧妙に設計された探査「グランドツアー」
私たちが住む地球は、硬い岩石などからなる惑星です。このような惑星は、太陽系の内側に固まって存在しています。水星や金星、火星などがそうです。このような惑星を「地球型惑星」といいます。
一方、太陽系の外側には、主にガスなどからなる巨大な惑星があります。木星や土星、天王星や海王星です。これらの天体は「木星型惑星」、あるいは外惑星と呼ばれています。
地球、あるいは地球型惑星とは全く異なるこのような天体の成り立ちや構造、さらには数多く存在する衛星については、ずっと謎のままでした。
従って、実際に行って探査し、その謎を解き明かすことが望まれました。しかし、1960〜1970年代の技術では、あまりに遠いこれらの天体に探査機を飛ばすことは非常に困難でした。
一方、1970年代末に、外惑星が(地球からみて)ほぼ一列に並ぶという機会があることがわかりました。この機会を利用することにより、まず木星へ探査機を送り、その時点で木星の重力を利用して加速、そして次の惑星(土星)へと向かい、今度は土星の重力を利用して加速…というように、外惑星を効率的に探査することが可能であるということがわかりました。技術者たちはこれを「グランドツアー」と呼び、この千載一遇のチャンスを利用することを狙いました。
この機会を利用し、1970年代末から1980年代にかけて、外惑星を一気に探査しようと計画されたのが、ボイジャー計画です。
ボイジャー計画は2機の探査機から構成されます。両者とも同じ構成の探査機で、カメラや磁力計、プラズマ計測器など数多くの科学機器を装備し、まだ明かされていない外惑星の謎に挑むことを目指しました。

■1977年に打ち上げ、外惑星や衛星の数多くの謎を解明
ボイジャー1号は1977年9月5日に、ボイジャー2号は1号より早く、同年8月20日に打ち上げられました(いずれもアメリカ現地時間)。
ボイジャー1号は1979年3月に木星に到着、土星には1980年11月に到着しました。
ボイジャー2号は1979年7月に木星に到着、土星には1981年8月に到着しました。さらに、ボイジャー2号は天王星と海王星の探査も実施、1986年1月に天王星を、1989年8月に海王星のそばを通過、写真を含め数多くのデータを取得しました。
これらの探査により、外惑星やその衛星についての数多くの発見がなされました。

木星では、衛星イオに活火山が存在していることが写真により判明しました。太陽系でまさにいま噴火している活火山を発見したのは史上はじめてのことでした。
また、エウロパやガニメデと行った巨大な氷衛星の表面の模様などが詳しく撮影され、後のガリレオ探査機による探査へとつながっていきました。
木星の輪の発見も、ボイジャーの重要な功績の1つです。

土星ではかつてない詳細な写真が数多く撮影され、土星の本体や輪に関して多くのことがわかってきました。
とりわけ輪に関しては、ねじれた輪の発見や「レコードの溝」と称される非常に細かい輪の構造など、これまで人類が見たこともない輪の様子を知ることができ、土星の輪の成因や構造について多くのことが明らかになりました。
また、土星の多くの衛星についても調べ、例えばミマスには巨大なクレーターが存在することなど、これまで知られていなかった氷衛星の世界も明らかにしました。

天王星と海王星については、ボイジャー探査機が現在(2017年)に至っても、人類が唯一送り込んだ探査機となっています。
天王星や海王星については、本体の大気の成分や大気の流れなどがわかってきました。さらに海王星にも、木星の巨大な斑点「大赤斑」のような模様「大青斑」が存在することがはじめて明らかになりました。
天王星の衛星の不思議な世界も明かされました。とりわけ、天王星の小さな衛星ミランダには、まるで引きずったかのような巨大な溝状の模様が存在することが明らかになりました。その成因は現在も謎のままです。
また、海王星の衛星トリトンに氷の火山が存在することも明らかにしました。

このように、実際に行かないとわからない世界を私たちの目の前に示したという意味で、ボイジャー探査機の功績は計り知れないものがあるといえるでしょう。

■太陽系の家族写真、そしてはるかなる宇宙空間へ
外惑星の探査を終えたボイジャー探査機には、新たな任務が与えられました。私たちの太陽系の境目(縁)の様子を探ることです。
ボイジャー探査機は、外惑星の探査が終わったあとは太陽系の外へ向けてひたすら飛行していきます。
1990年、探査を終えたボイジャー1号に対し、ある1つの指令が出されました。「振り返って、太陽系の惑星を撮影すること」。
地球から約60億キロ離れた宇宙空間から撮影された写真には、太陽系のほぼすべての惑星が点のように写っていました。地球はその写真でも、本当にかすかな、ごくわずかな点にしか映らない写真でした。「太陽系の家族写真」として知られるこの写真は、宇宙における地球のはかなさ、大切さを知らせる写真として非常に有名となり、そこに映る地球は、かすかな青い点、「ペール・ブルー・ドット」と呼ばれ、私たちの宇宙における存在を考えさせる、哲学的ともいえる写真となりました。
そしてボイジャー探査機は、太陽系の果てへと飛行していきます。
2012年、ボイジャー1号はついに、太陽系の境目を突破し、恒星間空間へと飛び出しました(実際に太陽系を脱出したと判明したのは2015年8月のことです)。人類が作った物体としてはじめて、太陽系の外に出た物体になったのです。
ボイジャー2号も太陽系の縁へ向かって飛び続けており、数年以内には同じように太陽系を脱出するものとみられています。

■いつか出会うかもしれない知的生命体に宛てた「ゴールデンレコード」
太陽系を脱出したボイジャー探査機は、やがて電源も切れ、ひたすら宇宙空間を飛び続けることになります。
やがて、私たちのような知的生命体が、ボイジャー探査機を発見することになるかも知れません。
ボイジャー探査機には、そのような場合を想定し、私たちの住む地球、そして私たち人類について、知的生命体に知ってもらうための情報を収めたレコードが搭載されています。
宇宙空間で数億年にわたって情報を保つことができるよう、金でメッキされたこのレコードは、「ゴールデンレコード」と呼ばれています。

ボイジャー探査機に搭載されたゴールデンレコード

ボイジャー探査機に搭載された「ゴールデンレコード」のおもて面。地球の位置を知らせるための各種記号などが刻印されている。(Photo: NASA, 出典: https://www.jpl.nasa.gov/voyager/galleries/making-of-the-golden-record/)

このレコードには、地球上のさまざまな民族によるあいさつ、古今東西人類が作り上げてきたさまざまな音楽、地球上の(自然、人工の)音、データ化された写真などが収められています。
また、レコードの表面には、私たちが住む地球の位置を表すための符号が刻まれており、知的生命体が、この探査機を作り上げた文明がどこにあるかを知ることができる手がかりを与えています。

もちろん、ボイジャーが将来知的生命体に拾われるという保証はありません。宇宙に知的生命体が私たちだけ、ということも当然ありうるでしょう。しかし、そうだとしても、このゴールデンレコードは「私たちが地球という、はかない青い点に生きている文明である」ということを宇宙に向けて発信した印であり、それは半永久的に宇宙空間に残り続けます。ひょっとしたら、人類が滅びたあとも、このレコードは人類の証として生き残るのかも知れません。
ボイジャー探査機の究極の任務は、私たち人類の存在を宇宙空間に刻むということなのです。


ボイジャー トップへ