探査が増えてくると、意外なところで「利益のぶつかり合い」が発生します。利益といっても今回はお金ではなく、科学的成果の影響です。
この12月に打ち上げが予定されている中国の月探査機「嫦娥3号」のミッションによって、現在進行中のアメリカの月探査「ラディー」のミッションに影響(それも悪い影響)が出るのではないか、という記事が、space.comに掲載されました。

ラディーはこのほど科学観測を開始した最新の月探査計画です。ラディーは、月の周辺にあるごく薄い大気層や、月の周囲を漂う地理(たいていは月面からまき上げられたものです)の観測を行うことによって、月の表面と太陽風などとの相互作用の度合いなどを調べることを目的としています。
さて、そこで問題になるのが、嫦娥3号です。これもご承知の通り、12月初めの打ち上げが予定されている嫦娥3号は、月に着陸し、さらにローバーも走らせ、月の表面探査を行おうという計画です。
となると…心配されるのは、この嫦娥3号の着陸やローバー探査の際に、月のチリを巻き上げ、それがただでさえ微細な月周辺のチリの量を測るラディーのミッションに影響してしまうのではないか、ということです。

ジョンズホプキンス大学応用物理学研究所の宇宙科学者、ジェフ・プレシア氏は、「嫦娥3号の月着陸は、その推進剤が月の熱圏に影響し、ラディーの観測の妨げになることが懸念される。」と述べています。
もちろん、ミッションとして、この嫦娥3号の推進剤についての測定を行うという可能性もあります。
「嫦娥3号が月の割と高い高度に存在している時点で推進剤が噴射されることになると思われる。その後、探査機が高度を下げていく時点で順次推進剤の噴射が行われるはずだ。ラディーは、この過程を通して、嫦娥3号の推進剤がどのように月の大気の中で拡散し、さらにはなくなっていくのかという過程を追跡できる。」(プレシア氏)
また、嫦娥3号が着陸したときに巻き上げる砂煙を観測できる可能性があるとも、プレシア氏は指摘しています。

アメリカ・インディアナ州のノートルダム大学の市民・環境工学・地球科学部に所属し、私(編集長)の友人でもあるクライブ・ニール氏も、似たような見解を示しています。
ニール氏は、「確かに、嫦娥3号の着陸によって、ラディーのミッションに影響が出る可能性はある。」と述べており、またそれこそが、ラディーが、嫦娥3号の着陸の影響を受けないと思われる月の熱圏についての基本観測を早めに終えようとしている理由とも述べています。
ただ、ニール氏は「逆に、ミッション同士で何らかのコミュニケーションをとることができれば、両方の探査に有益である。」と述べています。例えば現在月の周りを周回しているルナー・リコネサンス・オービター(LRO)も含めてこういう枠組みが成り立てば、それぞれのミッションの利害を調整して、問題を少なくしたり、あるいはより大きな科学的な目標を達成できるだろうという考え方です。
ニール氏は、月探査を世界で進めていくというグループ、月探査解析グループ(LEAG: Lunar Exploration Analysis Group)の共同議長でもあり、このあたりバランスがとれていると私も感じます。

現在、私も所属する月科学関係のメーリングリストでもこのあたりについて議論が行われていますが、大勢としては「(ラディーへの)影響はないのではないか」という結論になってきています。

ところで、このspace.comの記事ですが、嫦娥3号の月着陸点が月の「虹の入り江」という場所になったことについても触れています。
LROの主任科学者であり、アリゾナ州立大学の地球・宇宙探査教室のマーク・ロビンソン氏は、嫦娥3号の着陸地点は、まだ公式の声明は出ていないものの、おそらくは虹の入り江にある「ラプラスA」というクレーター付近ではないかと述べています。
ここには1970年に、旧ソ連の月探査機、ルナ17号が着陸しており、このときには世界初の無人月面ローバー、ルノホートが稼働しています。このときの着陸点はラプラスAから約250キロほど南西でした。
ロビンソン氏は、着陸には科学的な目的だけでなく、技術的な制約も働くとした上で、もしこのクレーターの縁に下りられたら、科学的な意味だけでなく様々なメリットがあると指摘しています。
もちろん、クレーターの縁からの壮大な眺めも見ものですが、科学的な観点からいえば、クレーターの底にある溶岩や、壁に露出している岩石(これはLROでも確認されています)、壁の地すべりなど、地質学的に興味深いポイントがいくつもあるようです。
ただ、クレーターの壁は急であるだけに、ローバーを運用するには非常に慎重に動かす必要があり、はっきりいえば危険です。私(編集長)としては、おそらく中国としては、最初の探査は慎重を期して、平坦な場所に降下させるのではないかと考えていますし、それこそが「虹の入り江」という割と着陸させやすい場所を選んだ理由だとみています。