これまで、月の裏側には、直径が2500キロメートルにも及ぶ巨大盆地「南極-エイトケン盆地」が存在することは知られていました。そしてその形成は、月の進化にも大きな影響を与えたということはほぼ間違いないと、月科学者のほとんどは考えています。
このほど、産業技術総合研究所の中村良介氏を中心としたグループは、日本の月探査機「かぐや」のデータを分析することで、月の表側に、それを超える巨大衝突の痕跡を発見しました。今回の成果はそれだけではなく、その巨大衝突が元となって、現在の月の表側と裏側の姿、そしてその違いをもたらしたという推測も行なっています。
皆さんもご存知のように、月は表側と裏側で非常に異なる姿を持っています。月の表側(私達がふだん見ている側)には、海が広く広がっています。黒く見える部分が海と呼ばれる場所です。一方、裏側には海が少なく、白い場所(ここは「高地」と呼ばれます)が一般的です。
このように、天体が実は大きく2つの場所に分かれるような性質を「二分性」といいますが、月はもちろん、火星や水星など他の天体にもそのような性質が見つかっており、現在では多くの天体における基本的な性質とみなされています。
今回の発見は、この天体の二分性の成因について大きな知見をもたらすと共に、月の進化や初期の歴史についても大きな発展の元になる、重要な論文といえます。なお、本論文は、10月29日付で、科学雑誌「ネイチャー・ジオサイエンス」にオンライン掲載されます。
今回の論文では、「かぐや」に搭載されていたマルチバンドイメージャ、そしてスペクトルプロファイラという、2つの機器のデータが使われました。マルチバンドイメージャは、カメラの一種で、月のスペクトルをある領域にわたって取得する機器、スペクトルプロファイラは極めて高精度のスペクトルを線状に取得する機器です。この組み合わせで、広さと波長精度の両方を持つ月のスペクトルデータが得られるというわけです。
今回の論文では、スペクトルプロファイラの6900万点にも及ぶデータが使用されました。
今回、研究チームが着目したのは、低カルシウム輝石と呼ばれる種類の鉱物です。この低カルシウム輝石という鉱物は、大規模な衝突が起きた際に地殻が溶融したあと、最後の方に液体から固結してくる鉱物で、この鉱物が地上に存在することを手がかりに、大規模衝突が起きたということを知ることができます。
今回の分析では、6900万点(データ点数にして200億点)もの膨大なデータを分析する必要があり、そのためにコンピューターを利用した統計分析が行われました。
その結果、この低カルシウム輝石が存在する場所が、月面では主に3つの場所に絞られるということがわかりました。1つは月面の「雨の海」の周辺、もう1つはこの領域を含むように広がる「嵐の大洋」の領域(プレスリリース中では「プロセラルム盆地」となっています),そして3つ目が、南極-エイトケン盆地領域です。

低カルシウム輝石を多く含む物質の全月面上での分布。黄色が低カルシウム輝石の分布地点。

低カルシウム輝石を多く含む物質の全月面上での分布。黄色が低カルシウム輝石の分布地点。図はほぼ表側の中心が真ん中になっている。産業総合技術研究所プレスリリースより。

雨の海は、直径が約1000キロほどで、もともと巨大衝突でできた盆地であるということが知られています。つまり、ここに低カルシウム輝石が存在するということは、低カルシウム輝石が衝突により存在するという強い証拠となります。さらに、南極-エイトケン盆地も、かつて月に巨大な天体が衝突してできた盆地とされていますので、そこにも低カルシウム輝石があるということは、衝突との関連をさらに強めることになります。
さて、問題は「嵐の大洋」に存在する低カルシウム輝石です。ここにこのような鉱物が存在するということは、嵐の大洋(直径が3000キロもあり、まさに「大洋」と呼ばれるにふさわしい大きさです)もやはり衝突により形成されたものと考えて間違いがないということでしょう。
つまり、いま月を特徴付けている地形は、かつての巨大衝突の跡だということが確かめられたわけです。
嵐の大洋を形成したくらいの巨大衝突は、当然月自体にも大きな影響を及ぼすはずです。おそらく、衝突によって地殻は一気に溶融し、その影響で薄くなったことは十分に考えられます。さらにそのように薄くなった地殻には、下から溶融した物質が上昇しやすくなったでしょう。海の形成もこのような過程があったことが想像されます。
このように、表側で嵐の大洋を形成した巨大衝突が、月の海、さらにはいまみられるような月の二分性を形作ったことが明らかになりました。
今回の研究は、「かぐや」データが第一級の科学的成果をもたらすのに十分なだけの非常に優れたデータを取得していることを改めて示したものといえます。「かぐや」は膨大なデータを取得しており、解析にもかなり時間がかかっていますが(すでに探査終了から3年経過しています)、その膨大なデータを効率的に解析する手法が開発されたことにより、今後、教科書を書き換える、あるいはもっとより詳しい成果で埋め尽くすような新しい研究結果が次々に出てくるものと期待されます。
【ご注意】本記事については、現在論文著者ともやり取りをしながら改訂を進めています。若干内容が変わる場合もありますのでご了承下さい。
・10/29 13:26 一部語句を修正しました。
・10/29 21:40 最初の段落を少し修正したほか、一部単語の記述ミス(誤字)を修正しました。
<論文題名>
Compositional evidence for an impact origin of the Moon’s Procellarum basin
<著者一覧>
中村良介(産業総合技術研究所)、山本聡、松永恒雄、石原吉明(国立環境研究所)、諸田智克(名古屋大学)、廣井隆弘(ブラウン大学)、武田弘(千葉工業大学)、小川佳子(会津大学)、横田康弘(国立環境研究所)、平田成(会津大学)、大竹真紀子(JAXA宇宙科学研究所)、佐伯和人(大阪大学)