今回の記事はやや私(編集長)の個人的なニュースである側面があることを、あらかじめご承知おきください。

JAXAの「はやぶさ2」チームは23日、2012年に亡くなった宇宙研助教・飯島祐一氏の名前が小惑星に付与されたと発表しました。
小惑星番号は120741番、英語名はiijimayuichiです。
今回の小惑星は、「はやぶさ2」チームが見つけたわけではありません。埼玉県入間市のアマチュア天文家・佐藤直人さんが発見した小惑星に、氏のご厚意で飯島氏の名前がつけられたものです。

飯島祐一さんは、名古屋大学(大学から大学院)で博士号を取得、その後宇宙研へ移り、宇宙研の月・惑星探査に精力的に取り組んでこられました。
月探査衛星「かぐや」では開発全般を指揮、自身の数多くの実験などを通した知見から、開発全体や個別の機器開発に多くのアドバイスを与えました。機器開発の経験が少ない固体惑星科学分野の研究者がはじめて開発する月・惑星探査の機会ということで、彼のアドバイスに助けられた方も非常に多かったのではないでしょうか。

しかし、その彼にガンという病が襲います。入退院を繰り返しつつ、それでも進行中のミッションについて気にかけてきました。「はやぶさ2」に関しては、最後に搭載が決まった分離カメラ(DCAM3: 「はやぶさ2」の衝突装置を監視するカメラ)の開発に関して病床から会議に参加したとのことです。病に冒された体を、それでもすべての力を振り絞り、「はやぶさ2」「セレーネ2」(セレーネ2自体はミッション終了となりました)、そして日本の月・惑星探査に、まさにすべての力を尽くしてくださいました。
しかし2012年、闘病、そして周りの方々の祈りも虚しく、44歳という若さでこの世を去りました。

私(編集長=寺薗)は、飯島祐一氏は名古屋大学時代から知っています。当時あった教養部の同じクラスの1年先輩でもあり、私が進学した地球科学科の1年先輩でもあります。
私からみると少しとっつきにくいところもありましたが、学問や実験(彼は月・惑星などのクレーターを再現するための衝突実験を研究対象としていました)に関しての熱意はまさに「すごいもの」がありました。私も学部生として実験のお手伝いをすることもあるのですが、その実験の準備や解析への熱意は本当に学ぶべきところが多々ありました。
不思議な縁で、やがて宇宙研で(といっても、私はすでに宇宙研から宇宙開発事業団に移っていましたが)飯島さんと一緒になるわけですが、その探査への並々ならぬ意欲は私にもしっかりと伝わってきました。
彼が病気に侵されている、ということを知ったのは私が会津に移ってからでした。彼が全人生を込めた、といってもよい「かぐや」がミッションを終え、そしてその次に「はやぶさ2」がやって来る、というその段階で、彼は帰らぬ人となってしまいました。本当は彼自身が開発に心血を注いだ探査機が得た、別世界のデータをみたかっただろう、科学者として解析し、論文を書きたかっただろう、そう思うと、あまりに早い死に私もいまでも涙を禁じえません。

「はやぶさ2」チームによると、小惑星iijimayuichiは、「はやぶさ2」の目的地である小惑星リュウグウよりも外側の軌道を回るそうです。本当の意味で星になった飯島氏が、「はやぶさ2」、そしてその成果をみてくれる、そして安全を見届けてくれると私は信じています。
ここに改めて彼のご冥福を心よりお祈りすると共に、彼が達成できなかった分を私たちが必ず成し遂げると、私自身誓いを新たにしたいと思います。