アメリカのホワイトハウスの科学技術政策局(OSTP)が、地球以外の天体における時刻についての標準に関する覚書を発表しました。今後月面における有人活動が活発化していくことが予想される中、月面、及びその他の天体についての時間の標準を確立させ、宇宙におけるアメリカのリーダーシップをさらに確実なものにしたいとのことです。

満月

アラバマ州マディソンで撮影された満月。
Photo from Wikipedia, CC-BY-SA 3.0, photo by Gregory H. Revera. From: https://en.wikipedia.org/wiki/Moon#/media/File:FullMoon2010.jpg

地球上でも時間は大切なものです。私たちも海外旅行に出かけると、時差を実感します。
また、時間の定義そのものも重要です。世界全体で、例えば1秒の長さをどう定義するか、といったことは統一されていなければなりません。逆にいいますと、いまは世界でこういった時間についての標準が確立されているからこそ、国際的な物流や情報のやり取りが成立しているわけです。
とある国が世界とは別の秒の定義を採用して、その国だけ時間がずれていると想像してみてください。その国とのやり取りが大変になることは想像に難くないでしょう。

さて、人類の活動領域は今は地球だけでなく、宇宙空間、さらには月など別の天体にも及ぼうとしています。
実際、現在計画されているある有人月探査計画であるアルテミス計画では、ただ月に行くだけでなく、将来的に長期にわたって人類が滞在することを目標としています。さらにはその先には、人類の火星への探査、そして滞在ということも考えられます。
さらには小惑星の資源採掘など、人類が他の天体や宇宙空間で暮らすということはもう遠い未来の話ではなく、現実問題となっています。
その場合、考えることはたくさんありますが、その中でも重要なものの一つが時間です。

今回、アメリカのホワイトハウス科学政策局(OSTP: Office for Science and Technology Policy)では、この宇宙における時間についての政策の覚書を発表することになりました。
OSTPのスティーブ・エルビー国家安全保障担当副局長は、「NASAをはじめ、世界中の宇宙期間や民間企業が月や火星へのミッションを開始する中、安全性と正確さのための時間標準の確立は重要な課題である。」と述べています。

この「安全性と正確さ」、そして宇宙という環境における特殊性について少し考えてみましょう。
アインシュタインが発表した一般相対性理論では、重力の違いによって時間の進み方に差が出てくることがわかっています。重力がわずかに違うだけで、地上(地球上)と時間の流れが変わってきます。
また、アインシュタインのもう一つの理論である特殊相対性理論では、動いている物体に乗っている場合、時間の流れが静止している(あるいは相対的に速度を持っている)物体に対してずれるということがわかっています。

例えば、地球の上空400キロを飛行する国際宇宙ステーションでは、1年間に0.008秒だけ時間がずれてきます
小惑星リュウグウへの往復飛行を行った「はやぶさ2」では、0.4554秒ほど時間が進んでいることが計算されています。もしはやぶさ2に人が乗っていたとしたら、6年後帰ってきたときに地球上と0.4秒程時間がずれているわけです。
また、今回のホワイトハウスの文書では、月面にいる人からは、地球の時間が(地球の)1日あたり58.7マイクロ秒(0.0000587秒。1マイクロ秒は100万分の1秒)ずれるとしています。

ほんのわずかな差に思えるかも知れませんし、実際のところ実生活でまず問題になるとは思えませんが、精密な実験や地上の時計との動機などで問題が発生する可能性があります。
私たちの生活に欠かせない位置情報を提供する衛星(GPS衛星など)は、精密な時間の動機が前提です。これらの衛星には、12〜13桁というとてつもない精度で時間を刻む原子時計が搭載されており、この衛星同士の時間差から位置を求める仕組みです。したがって今述べてきた宇宙空間での時間のズレは、こういった精度では問題になってしまう可能性があるのです。

さらに、地球との時間のズレも考えなければなりません。
国際宇宙ステーションでは、協定世界時(UTC)という、世界共通の時間を採用しています。ただ、月でも同じようにUTCを採用すれば問題解決かどうかはわかりません。
また、「宇宙では必ずUTCを採用しなければならない」という規定もありません。例えば、ソユーズ宇宙船はモスクワ標準時を使っていますし、中国の宇宙ステーション「天宮」は北京標準時を使用しています。

宇宙ステーションのように小さくかつ他と分離されたスペースですと、その中で使う時間はバラバラでもそれほど大きな問題にはなりません。しかし、月面だとどうでしょうか。
月は昼が14日、夜が14日という環境です。地球と同じような時間帯をとろうとすると、1日が経過しても昼のまま、あるいは逆に夜のままということになります。
また、月面の異なる場所でどのように時間帯を設けるか、あるいはそもそも設ける必要があるのかというのも問題です。月全体を1つの統一された時間で管理してもいいのかもしれません。
しかしそうすると、例えば同じ「午後6時」でも、真っ昼間のところもあれば真夜中のところもあります。時間を「そう決めてしまえば」問題はないとはいえ、地球の時間帯に慣れた人類にとっての違和感は避けられなくなるでしょう。

このような時間の問題に対して、ホワイトハウスが提案しているのが「月面標準時」(LTC: Coordniated Lunar Time)です。
現在地球上では、UTCを決定するために、地上にある複数の原子時計の時間をもとにしています。同じように月面に原子時計を設置して時間を決めていく一方で、地球のUTCとの調整も行う、といったことが考えられるようです。

また、LTCを決めていく上では、国際的な調整は欠かせません。
ホワイトハウスの文書では、アルテミス協定の締結国との調整を行うとのことです。
この文書では、ホワイトハウスはNASAに対し、商務省、国防総省、国務省、運輸省と協力し、遅くとも 2026 年12月31日までにLTCを実施するための戦略を策定するように指示しています。
アルテミス協定は当然日本も加盟しています。今後日本でも、LTCに向けた検討が始まってくることになるでしょう。

LTC、あるいは他の天体における標準時を策定するために検討が必要なことをもう一度振り返ってみましょう。

  • 各天体の重力の差による時間(1秒)の違い
  • 高速で移動する物体における時間の流れの変化
  • 地球上の標準時(UTC)との調整
  • 天体の各場所における時差の設定

さらには他にも検討すべきことが出てくるかも知れません。例えば、宇宙ステーション間で時間設定を標準化すべきかどうかなどです。

今回はアルテミス協定加盟国間での検討になっていますが、将来的には国連や国際標準化機構など、世界で統一された基準が必要になってくることでしょう。
どのような検討が行われていくのか、将来の月面開発にも大いに関わってくる話ですので、興味を持って見守っていきたいと思います。