アポロ10号、及びアポロ17号で飛行を行い。アポロ17号では月面でのミッションを実施、「最後に月面を歩いた男」と称された宇宙飛行士のユージン・サーナン(ジーン・サーナン)氏が、1月16日(アメリカ中部時間)、テキサス州ヒューストンで亡くなりました。82歳でした。

ユージン・サーナン宇宙飛行士

アポロ宇宙服を着用したユージン・サーナン宇宙飛行士 (Photo: NASA)

ユージン・サーナン氏は、海軍の大佐でもあった方で、生涯に3回の宇宙飛行を行っています。そのうち2回がアポロ計画による飛行でした。また、アメリカ人として2回めの船外活動(いわゆる「宇宙遊泳」)を行った功績により知られています。

ユージン・サーナン氏は1963年10月にNASAにより選ばれた14人の宇宙飛行士の1人です。1966年6月には、トーマス・スタッフォード船長と共にジェミニ9号に乗り組み、地球を周回する3日間の飛行を行いました。その際、サーナン宇宙飛行士は2時間以上にわたる船外活動を実施しています。

1969年5月、サーナン宇宙飛行士はアポロ10号の乗組員として飛行を行いました。
アポロ10号は、その次に続くアポロ11号(人類初の月面着陸を行った宇宙飛行士を乗せたアポロ宇宙船です)のいわばリハーサルの役割を果たしていました。月に着陸しない以外はアポロ11号とほとんど同じ手順を踏んだといってよく、月を1周して地球に帰るというミッションでした。もちろん、着陸しないからといっても、それが大変なミッションであることには変わりありません。
アポロ10号では、ジェミニ9号でも乗り組んだトーマス・スタッフォード宇宙飛行士と一緒でした。スタッフォード宇宙飛行士が船長を、司令船のパイロットは後にアポロ16号で月の土を踏むことになるジョン・ヤング宇宙飛行士、そして月着陸船のパイロットをサーナン宇宙飛行士が努めました。
着陸しないとはいえ、本番そのもののリハーサルですから、月着陸船のパイロットは非常に重要な役割を負うことになります。このアポロ10号によって月着陸船が正常に機能することが確かめられ、その2ヶ月後、アポロ11号によって人類は月面に降り立つことになります。

2007年のインタビューでは、サーナン宇宙飛行士はこう語っています。「いつもニール・アームストロングに(アポロ11号の船長として人類ではじめて月に降り立った宇宙飛行士)言っていたのだが、私たちは上空から月にまで、約15キロの白い線を空に描いていたのだ。彼が迷わず降りるために。だから、あと彼がやることは着陸することだけだった。それを簡単にできるようにしておいたんだ。」

ただ、彼は裏方に徹してばかりではありませんでした。より大きな大役は、彼の最後となる宇宙飛行でやって来ます。
1972年12月、アポロ計画最後の宇宙船として、アポロ17号が打ち上げられます。サーナン宇宙飛行士は、アポロ17号の船長として、最後のアポロ計画を円滑に実行するという、まさしく大役、そして重要なミッションが与えられました。

アポロ17号は、アポロ計画最後ということもあって様々な役割を与えられていました。例えば、月の地質をより詳しく調査するため、初の地質学者の宇宙飛行士であるハリソン・シュミット宇宙飛行士が乗り組みました。彼の地質学者としての目により、着陸点周辺で非常に多くの月のサンプルが回収されました。その総量は約110キログラムに及び、アポロ計画中最大です(なお、アポロ計画全体では約380キログラムの月のサンプルが回収されていますので、アポロ17号だけでその3分の1近くを占めることになります)。
また、月面車による移動もアポロ計画中最長で、その移動距離は約35キロにも及びます。
当時としては最長の宇宙滞在記録(約301時間=約12日半)、月面における最長の活動時間(22時間6分)、月軌道上での最長滞在時間(147時間48分)など、アポロ17号は数多くの記録を打ち立てています。なお、サーナン宇宙飛行士とシュミット宇宙飛行士は、3日以上にわたって月面に滞在しました。

アポロ17号でのサーナン船長とアメリカ国旗

アポロ17号で月面に降り立ち、星条旗と共に写真に収まるユージン・サーナン船長。彼方には地球が写っている。(Photo: NASA)

アポロ17号で楽しそうに月面活動を行う2人の宇宙飛行士の様子は、世界でも話題になりました。

そして、最後に月を去るとき、ユージン・サーナン宇宙飛行士は、次の有名な言葉を残しています。

私たちはここにやってきたときと同じようにまた地球へと戻る。そして全能の神のご意思により、私たちは再び月へと戻るだろう。すべての人類の平和と希望と共に。

We leave as we came, and, God willing, we shall return, with peace and hope for all mankind.

(なお、正確には以下のようになります。
America’s challenge of today has forged man’s destiny of tomorrow. As we leave the moon and Taurus-Littrow, we leave as we came, and, God willing, we shall return, with peace and hope for all mankind.
「アメリカのこんにちの挑戦は人間の明日への運命を前進させた。そして、私たちは月、そして(アポロ17号着陸点である)タウラス・リトロー地域を去る。ここにやってきたときと同じようにまた地球へと戻る。そして全能の神のご意思により、私たちは再び月へと戻るだろう。すべての人類の平和と希望と共に。」)

こうして、月を歩いた最後の宇宙飛行士となったサーナン宇宙飛行士は、地球への帰途についたのでした。それから44年、彼以降に月に向かった人類はいません。

アポロ17号が撮影した地球「ブルー・マーブル」

アポロ17号が月へ向かう途上で撮影した地球。「ブルー・マーブル」(青い玉)として有名な写真。(Photo: NASA)

NASA設立50周年のインタビューの際、サーナン宇宙飛行士は、「アポロ17号はこれまでのミッションの成果に基づいて科学的に製造された。」と述べています。「私たちには月面車(有人月ローバー)があり、他のミッションのときよりもより広い領域にわたって行動することができた。私たちはそこ(月)でこれまでよりちょっとだけ長く滞在した。私たちは、月の起源と進化についてより詳しく知るために、山寄りのエリアにある特徴的な場所を着陸地点に選んだ。」
タウラス・リトロー地域は、月の「海」と呼ばれる黒っぽい部分と「高地」と呼ばれる白っぽい部分との、ちょうど境目に当たる場所です。そして、山がちの起伏に飛んだ場所です。アポロ17号はその山裾に着陸しています。着陸するためには、山のような起伏に飛んだ地形は危険を伴います。しかし、科学的に重要なデータを得るためには、起伏の多い高地の岩石のデータがどうしても必要でした。さらに、地質学者であるシュミット宇宙飛行士がいるということで、より良質なサンプルが取れる場所に降りる必要がありました。最後ということもあり、ある程度危険があることを覚悟のうえで、タウラス・リトロー地域が選ばれたのです。
私(編集長)も月の地質を調べると上でアポロ17号着陸点付近の地質データを(もちろん、周回機のデータから)調べたことがあるのですが、そのためには当時のサンプルの分析結果が非常に役立ちました。彼らがいなければ、彼らが月の石を拾ってこなければ(それも適切なサンプルを拾ってこなければ)、今の数多くの周回機のデータは役立たなかったことでしょう。そして、アポロのサンプルは今でも科学者によって分析が続けられています。

上の「ブルー・マーブル」の写真については、こう語っています。
「写真の意味だって? 私はいつも言っているし、言ってきたし、今でも信じてるし、きっとそうだろう—もう(月着陸から)50年になろうとしているし(インタビューは2007年)、でも、それが50年だろうが100年だろうが、人類が歴史を振り返ってアポロ計画の意味を知るときが来ると思ってるよ。人類が地球という、ただ1つしかない惑星を離れて、宇宙にたった1つしかない私たちの隣の星を訪ねた。私たちがいま宇宙で行っていることを考えると、アポロ計画は少し早すぎたのかも知れない。まるでジョン・F・ケネディ(アメリカ大統領。アポロ計画のきっかけとなる有名な演説を行った)が21世紀にやってきて、何十年もの時を引き寄せて、1960年代・70年代にぐっと戻して、私たちがアポロ計画と呼ぶものを作り上げたかのようだ。」
早すぎたのでしょうか。彼以降誰も月に行っていないということを考えるとあるいはそうかも知れませんし、いま人類が「ふたたび月へ」という動きをみせていることを考えると、機はあるいは熟してきているのかも知れません。

その後サーナン宇宙飛行士は1976年7月1日にNASA及びアメリカ海軍を辞職・退役し、その後は民間企業の職や宇宙開発のコメンテーターなどを勤めていました。

NASAのチャールズ・ボールデン長官は、ユージン・サーナン宇宙飛行士の死去に際し、次のように述べています。

アポロ宇宙飛行士であり、月を歩いた最後の男であるユージン・サーナン氏が、私たちの地球から旅立っていった。彼の死去を本当に悲しく思う。月を1972年に最後に訪れ、そこから去った際に、彼はこう述べている。「この月面からやがてくる未来に向けての最後の歩みの中で、アメリカのこんにちの挑戦は人間の明日への運命を前進させたということを記しておきたい。」彼はまさにアメリカのパイオニアであり愛国者でもあり、私たちの国の途方もない野心的な計画に果敢に挑戦し、それを成し遂げ、人類が到達できなかった場所にたどり着いたのだ。
かれは海軍パイロットとして軍務に就いた後、宇宙飛行士としてジェミニ9号での飛行を行った。アメリカ人として2人目となる船外活動を実施し、宇宙船のドッキング試験を実施した。この試験は後のアポロ計画で重要な役割を果たすことになる。そしてアポロ10号及び17号の乗組員となり、世界で3人だけとなる、月に2回飛行した人間となった(編集長注: 残り2人は、アポロ8号及び13号で月へ赴いた(が着陸できなかった)ジム・ラベル宇宙飛行士と、アポロ10号及び16号で月に赴いたジョン・ヤング宇宙飛行士)。彼はアポロ17号の船長として、未だ破られていない月への最長時間飛行記録、月面での最長活動時間記録、最大のサンプル回収量の記録、そして月軌道上での最長滞在時間の記録を打ち立てた。
ジーンの足跡は月に残されている。彼の活躍もまた、私たちの心に残り、深く刻まれることだろう。国のために大きなことを成し遂げ、チャレンジしようという彼の思いは、次のような言葉に要約されている。
「私たちはまさに挑戦の時代に生きている。挑戦することで機会が得られる。空はもはや限界ではない(原語: The sky is no longer the limit)。不可能という言葉はもはや私たちの語彙には存在しない。私たちは、やろうと決めたことはどのようなことでも実現できるということを知ったのだ。私たちに限界があるとすれば、それは私たちの中にある現状への自己満足である。」
彼についての話の最後に、彼は長い間、青少年への科学意識の向上(編集長注: アメリカでSTEM=Science, Technology, Engineering, Math…と呼ばれている、科学・技術・工学・数学という、4つの基本的な科学技術面での教育)の必要性を説いていたこと、そしてそれを通して青少年へ、挑戦すること、夢見ることの重要性を説いてきたことを述べておきたい。偉大なる人間の死を、私たちNASAのファミリーは悲しみ、悼んでいる。

ユージン・サーナン宇宙飛行士の家族は以下のようなコメントを発表しています。

深く愛された夫であり父でもあったユージン・サーナンを亡くし、私たちは深い悲しみの中にあります。私たちはもちろん、胸が張り裂けるような悲しみの中にありますが、同時に多くの方から寄せられた哀悼の気持ちに深い感謝の意を表します。ジーンは多くの方に知られていましたが、家族にとっては愛情に満ち溢れた夫であり、父であり、祖父であり、兄弟であり、友人でありました。
82歳という高齢にあっても、ジーンは人類の宇宙への挑戦という思いを共有しており、国家の指導者や若い人たちに対し、彼がいつまでも「月面を訪れた最後の人」のままになることがないようにするべく活躍を続けていました。
アポロ宇宙飛行士、そして海軍大佐という輝かしい経歴にもかかわらず、慎ましやかに彼は最近こう話したのです。「私は単に、アメリカという国で夢をみて育った子どもだった。いま私にとっていちばん重要なのは、次の世代を担う若い人たちの心に、不可能だと思った夢を現実にすることができるのだということを伝えていくことだと思っている。」
サーナン氏のあとには、妻のジャン・ナンナ・サーナン氏、娘と義理の息子であるトレーシ・サーナン・ウーリー氏とマリオン・ウーリー氏、継娘であるケリー・ナンナ・タフ氏とその夫であるマイケル、そしてダニエル・ナンナ・エリス氏と、9人の孫が残されます。
ジーンにお別れをするのに際し、彼の本『The Last Man on the Moon』の一節を借りましょう。彼が当時5歳の孫娘に、自分の月面での経験を語ったときの言葉です。「おじいちゃんはてんごくにいったんだよ。ほんとうにいったんだよ。」

アポロ11号による人類初の月面着陸は1969年。まだ2017年が始まったばかりですが、あと2年経ちますと、その月面着陸から半世紀を迎えます。
サーナン宇宙飛行士以来、私たち人類は月面に足跡を記していません。「いつか戻る」というサーナン宇宙飛行士の言葉はまだ実現されていないのです。それを実現させるのは誰、どの国、いつになるのでしょうか。というより、どのようにすれば実現できるのでしょうか。彼が天に召されたこのタイミングで、改めて考えてみるのも悪くないと思います。そして、「ふたたび月へ」というこの言葉が現実味を持つよう、私たちが政府、産業界を動かしていくことも必要ではないでしょうか。

改めて、偉大なる宇宙飛行士、ユージン・サーナン氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。