アポロ計画は人類初の人類による地球外の天体へ到達です。そして、この成功により世界的に宇宙開発が大きくクローズアップされることになったと考えられます。しかし、この計画は、人工衛星、有人宇宙飛行、月面到達と宇宙開発に関して、次々と旧ソビエト連邦の後塵を拝することとなった米国がその立場を逆転すべく打ち出した計画であったとも言えます。「1960年代中に米国人を月面に着陸させ、安全に地球に帰還させる」。これが、アポロ計画の目標でした。
この計画を達成するために、サービス・モジュール(SM)/コマンド・モジュール(CM: 司令船)/ルナ・モジュール(LM: 着陸船)からなる宇宙船、そしてそれを打ち上げるためのサターン・ロケットが開発されました。
アポロ計画は、のべ40万人、総額約250億ドルを投入して、27人を月へ送り、そのうち12人が月面に降り立ちました。ここで、いろいろな観測や調査が行われ、400キログラム強の月の石が地球に持ち帰られています。
この計画を進めることにより、宇宙開発そのものだけでなく、その周辺の広範囲にわたる技術や信頼性、特にシステム工学と呼ばれる分野の発展がなされ、地球外天体の直接観測により惑星科学への貢献があったなど、当初の「月まで行って帰ってくる」以上の大きな成果が残されました。その一方で、開発途中に人的な犠牲も払うこととなりました(アポロ1号)し、運用段階でも危機的な状況にも遭遇しました(アポロ13号)。しかし、アポロ計画の大きな成果は、人類に対して「やればできる」という自信を植え付けたことかもしれません。
データ |
寸法
(17号) |
直径3.9メートル×高さ3.6メートルの円錐形状(司令船)
直径3.9メートル×高さ4.6メートルの円筒形状(サービス・モジュール、ノズル含まず)
幅(脚対角)9.5メートル×高さ7メートル(着陸船) |
質量
(17号) |
5.843トン(司令船:打ち上げ時)
24.5トン(サービス・モジュール:打ち上げ時)
16.4トン(着陸船:打ち上げ時) |
推進系 |
A50/NTO2液式 91840ニュートン(サービス・モジュール)
A50/NTO2液式 4700~43900ニュートン可変(着陸船降下)
A50/NTO2液式 15500ニュートン(着陸船上昇)
姿勢制御用スラスタ |
その他 |
ルナ・ローバ搭載(アポロ15~17号)
司令船は地球大気投入後はパラシュート降下
着陸船は降下用と上昇用に分離
着陸脚による接地
着陸船は司令船+サービスモジュールと地球軌道上でドッキング |
年表 |
(サブ・オービタル試験は除く) |
1964.05.28 |
SA-6 |
アポロ計画最初の打ち上げ。
サターンI(S-4ステージにアポロのペイロード、ブースターを取り付けたもの)の打ち上げ。サターン開発のためのデータ取得。無人。 |
1966.07.05 |
AS-203 |
アポロ計画最初の軌道ミッション。
S-4BステージにサターンVの機器ユニットを取付け地球周回軌道上でのデータ取得を実施。無人。 |
1967.01.27
2.21打上予定 |
1号 |
地上での飛行前試験中に司令船内で出火。搭乗員(G.グリソム、E.ホワイト、R.チャフィー)が死亡。
ちなみに「アポロ1号」という呼称はこの事故の後に付けられたものであり、事故当時はアポロX号という呼び方はまだ認められていなかった。有人(になるはずであった)。 |
1967.11.09 |
4号 |
3段のサターンVによる初の打ち上げ。
司令船とサービス・モジュールを地球周回軌道上に打ち上げる。ロケットと宇宙船の適合性や、構造、熱遮蔽等の状態に関するデータ取得を実施した。無人。 |
1968.01.22 |
5号 |
アポロ着陸船の初の宇宙空間試験。
上昇・降下のフェーズ、推進系の確認を実施すると共に、オペレーション再起動、構造、機器の特性などの試験を実施。無人。 |
1968.04.04 |
6号 |
有人飛行の宇宙船の最終的確認。
サターンVにサービス・モジュール、司令船、着陸船の試験モデルを搭載して打ち上げ。ロケットと宇宙船の適合性、構造や熱等の設計確認、分離、誘導、コントロールを始めとする個別システムの確認のためのデータを取得。 途中、振動のためロケットの外板が外れる、推進系の不調による投入軌道の変更(円が楕円に)等があったが、データ取得は終了した。無人。 |
1968.10.11 |
7号 |
アポロ計画初の有人飛行。
サターンIBによる打ち上げで、着陸船は搭載されていない。地球周回軌道での性能確認。飛行時間約260時間、173周回を行った。 有人(W.シラー・Jr、D.アイゼル、W.カニンガム)。 |
1968.12.21 |
8号 |
アポロ計画初の有人月周回飛行。
サターンVによる打ち上げで、着陸船は搭載されていない。飛行時間約147時間、月を10周回した。有人(F.ボーマン、J.ラベル、W.アンダース)。 |
1969.03.03 |
9号 |
アポロ計画初のフルセット(サービス・モジュール、司令船、着陸船)での打ち上げ。
サターンIBで地球周回軌道への打ち上げ。飛行時間約241時間、地球を161周回した。乗員の移動、切り離し、ランデブー、ドッキング、宇宙遊泳(月面宇宙服の試験)を実施。有人(J.マクディビット、D.スコット、R.シュワイカート)。 |
1969.05.18 |
10号 |
アポロ計画初のフルセット(サービス・モジュール、司令船、着陸船)での月周回飛行。
サターンVで打ち上げ、月近傍で着陸機の試験を実施。飛行時間約192時間。有人(T.スタフォード、J.ヤング、E.サーナン)。 |
1969.07.16 |
11号 |
アポロ計画初の月面軟着陸。
サターンVで打ち上げ、7月20日16:17:40(日本時間7月21日5:17:40)に「静かの海」(23.49E、0.67N)に人類初の有人月面着陸成功。21時間36分20秒の月面滞在(月面活動が2時間32分)を実施。22キログラムの月の石を持ち帰る。飛行時間約195時間。有人(N.アームストロング、M.コリンズ、E.オルドリン)。 |
1969.11.14 |
12号 |
サターンVで打ち上げ、「嵐の大洋」(23.41E、3.04S)に着陸。31時間32分の月面滞在(月面活動が2回で約4時間)を実施。32.7キログラムの月の石とサーベイヤー3号のミラー等を持ち帰る。飛行時間約244時間。有人(C.コンラッド、R.ゴードン、A.ビーン)。 |
1970.04.11 |
13号 |
アポロ計画初の月への有人飛行中の事故。
サターンVで打ち上げ、フラウマロ高地への着陸を狙ったが、発射後55時間54分後に酸素タンクが爆発、月着陸ミッションをあきらめ、月周回をして地球に帰還。飛行時間約143時間。有人(J.ラベル、J.スワイガート、F.ヘイズ)。 |
1971.01.31 |
14号 |
サターンVで打ち上げ、13号で到達しなかった、フラウマロ高地(17.48W、3.67S)へ着陸。4時間を超える月面活動2回を含めて33時間30分の月面滞在を実施。42.75キログラムの月の石を持ち帰る。飛行時間約217時間。有人(A.シェパード、S.ルーサ、E.ミッチェル)。 |
1971.07.26 |
15号 |
サターンVで打ち上げ、アペニン山脈とハドリー谷との間(3.65W、26.10N)へ着陸。計18時間37分の月面活動を含めて66時間55分月面に滞在。月面車を用いた調査、観測を実施。約77キログラムの月の石を持ち帰る。飛行時間約295時間。有人(D.スコット、A.ウォードン、J.アーウィン)。 |
1972.04.16 |
16号 |
サターンVで打ち上げ、デカルト高地(16E、10S)へ着陸。計20時間15分の月面活動を含めて71時間3分月面に滞在。月面車を用いた調査、観測を実施。99.5キログラムの月の石を持ち帰る。飛行時間約266時間。有人(J.ヤング、T.マッティングリー、C.デューク)。 |
1972.12.07 |
17号 |
アポロ計画最後の月着陸ミッション。
サターンVで打ち上げ、タウルス・リトロー地域(31.76E、20.16N)へ着陸。計22時間5分の月面活動を含めて74時間59分月面に滞在。月面車を用いた調査、観測を実施。115キログラムの月の石を持ち帰る。飛行時間約302時間。有人(E.サーナン、R.エバンス、H.シュミット)。 |
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出典: |
「スペースガイド1999」 (財)日本宇宙少年団編 丸善株式会社刊
NASA、NSSDC website
アポロ17号プレスキット |
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