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月を知ろう

月に関する研究発表
7.パネルディスカッション「日本は何を目指すか?」
司会:
パネリスト:
宇宙科学研究所
TBS国際ニュースセンター長
宇宙開発事業団理事
漫画家
NHK解説委員
宇宙社会学研究者
宇宙開発事業団宇宙飛行士
的川泰宣
秋山豊寛
石澤禎弘
里中満智子
高柳雄一
津田幸雄
毛利 衛


的川: 先ほど海部先生から、ハッブル・スペース・テレスコープの1000倍の分解能が、月面の南極の天文台から得られるだろうというお話がありましたが、こういうのはハッブルの迫力ある画像を見た人にはちょっと驚きですね。あれより1000倍凄いってどんなものだろう。恐らくそういうものが好きな人は、「それじゃぜひ日本で作ろうじゃないか」という話になるかも知れませんね。そういうわかりやすい例でいろんな方とコミュニケーションを図るのはたいへん大事なことかも知れません。
月についてかなりいろいろな意見が出まして、ほぼだいたい同じような意見になってきたかなと思いますが、それでは次の段階として、日本はじゃあその中でどうするかということ。これは今日の主題でもありますが、高柳さんの発言の中で、日本が独自の方針を持ちながら、どこで途中下車するかを考えてやってていく、最初から相乗りだけを期待していったんでは国際協力そのものが成り立っていかない、独自性を貫きながら国際協力をやっていくことが大事だというご意見が出ました。この点について皆さんのご意見をおうかがいしたいんですが。特に月面活動をやるうえでという条件付きで皆さんのご意見をうかがいたいんですが。
秋山: あまりシーンとするのに耐えられない性格なもんですから……。月面活動に限定してというのがよくわからないんですが、あえてわかったつもりでいうと、とりあえずどのくらいのサイズのロケットが必要なのか、とりあえずどのくらいの資金が必要なのか、計画が立てやすいからだろう、先人がいるからですね。そういう意味で月を目標とする。そして日本独自のと言いますか、日本の有人飛行システム、これ凄く難しいと思うんです。本当に難しいと思う。世界帝国、ロシアとアメリカがそれぞれ有人ができた、有人のシステムを作り上げてこれたのは、海外にいろんな基地を持てたからなんですね。毛利さんが上がる時も向井さんが上がる時も、私はフロリダで取材しましたが、あの時に4分後にはもう元に戻ってこないんですね。海外の、大西洋をわたってモロッコとかガンビアとか、あるいはスペインとか、そこが緊急着陸基地になる。つまりそのくらいの形で世界展開できないと、システムとしての有人というのは難しい。それはわかったうえであえて言うんですけれどね。有人を目指す技術、本当、何かあったら人が死んじゃうんだよ、その精密さを求める技術を目指していくということは実際のオペレーションあるいはシステムとしての困難さは逆に言うと、宇宙国家を目指すというと変な話になっちゃいますが、国の全体の外交についても何についても、そういう努力が必要になってくるでしょう。 そういう意味でいうと、単なる技術集団のプロジェクトじゃなくて、まさに国家プロジェクトとして海外にどのような形で協力関係を作っていくのか、ODAのバラ撤き方、バラ撤き方じゃないな、ODAへの関係の仕方にしても国家戦略に基づく形でやっていくかという日本自体のプロジェクト、どういう形で日本の我々の税金を使っていくのかというプロジェクトとしてね、日本国内、川を全部三面底にするという発想はもうなくなったと思いますけれど、そういう形でどんどん国内に蓄積するんじゃなくて、世界に上手い具合に展開する日本の資源といいますか、税金を上手く使っていく方法としてのものと考えると、私は有人活動を日本独自でやるのを目指していく、その結果、ロシアなりアメリカと、ある意味では対等のパートナーとしての扱いをしてもらう、どうも見てると、何だか対等じゃないんじないかと、あとで何となく、取材してみるとそんな感じがすることが多いんですね。さっき申し上げた「悔しいじゃないですか」というのは、まったくわけのわかんない感情じゃなくて、何となく多少は取材の結果による感情でありまして、そういう意味で言うと有人の技術をどんどんやっていく意味がある。
それから先ほど石澤さんがおっしゃった月の最適な使い方をやっていく。これは本当にフラジャイルなもの、地球もフラジャイルですが、月はもっとフラジャイルでしょう。そういうものに対するアプローチの姿勢そのものも、ある意味ではさまざまな教育のプロセスのひとつなんじゃないかなという気がするんで、月というフラジャイルなものに対するアプローチの仕方、人間の心に対するフラジャイルという部分でのアプローチの仕方も関係するでしょうし、いろんな月を目指した形でいろんな技術を積み上げ、あるいはPR活動についても技術を積み上げ、そういうものとして考えられるんじゃないかな、そんな気がします。
沈黙に耐えられずつい、わけのわからないことを喋ってしまいました。
的川: 秋山さん、口が悪いんで損しているんですよ、いろいろ。ちょっと私の質問が悪かったかも知れませんね。じゃあ言い方を替えまして、もう少し明確に、いまおっしゃったのは恐らく、月面に行っていきなり人間が動き出すのじゃなくて、地球から、地表から人間を打ち上げて宇宙へ運んで、宇宙がステーションだったり月だったりするわけですが、そういう地上からの発進技術が、日本が多少お金がかかっても開発すべきかどうかという形で問題を考えていただきたいと思います。
石澤: 事業団という立場を離れて、個人的な意見として申し上げたいと思います。やはり人間が宇宙へ出て行く、人類が宇宙活動をするというのは、日本としても有人の技術は必須のものではないか。どういう計画をこれから展開していくかは別にしまして、あまりに地道な計画では世界も相手にしてくれない。あまりに大風呂敷な計画、日本の技術から見てとても達成できないような計画を世界に広めても、これも信用してもらえないだろう。それからもうひとつ重要なのは世界を相手にして日本が「こういう計画をやりませんか」と提案する時に、日米ロ、いわゆる宇宙先進国だけで計画を立てていくのか、あるいは開発途上国を巻き込んだ全人類的な計画としてものを言っていくのか、このへんの言い方を考えた時にも、やはりある程度日本がイニシアティブを取って、しかもその日本の技術というものが、確かに日本はそのへんの技術を持っているなと、ただそれを日本だけでやるのはたいへんだから共同でやろうというような、理解してもらえる計画、このへんがどのへんになるのか私もよくつかめてないんですが、そういう計画を立てることがいちばん大切ではないかと。それにはやはり相当の有人技術を日本が持っていないと、それなりの信用してもらえる計画が立てられないんじゃないかというのが私の意見です。
的川: 宇宙関係者の覚悟ということもありますし、高柳さんの言われた独自の技術を持たないと国際協力もできないという話でした。そういう観点からロケットの開発、輸送システムの開発はどういう風に、地上から人間を運ぶんでしょう。
高柳: 私あまりそういうところに強くないんですが、でも非常に順調にH-IIが成長していますし、そのあとの発展型というか、つまり長期のプランのステージをきちっきちっと踏まえて進められていることは非常にいいことだと思っていますし、だからどこへ着地するというか、どこを目指すかというターゲットをきちっと意識することが独自性を保ついちばん重要なことだと思うんです。非常に抽象的な返事ですが。
毛利: もしH-IIにカプセルを乗せて行かないかといったら、すぐ手を挙げて行きたいと思います。しかし私自身が行きたいと言っても、社会が、もちろん事業団を含めていろんな社会がそれを許す、日本社会が宇宙に対する理解を持っているかというのが、非常に大きい、技術的なこと以上のものがあるんじゃないかと思います。アメリカ、ロシアはそれを許して、過去に恐らくH-IIよりも不安な状況下で既に60年代に行ってるわけですね。そういうことも踏まえて、ただ技術的に確率が云々かんぬんでは論じれないところも有人にはあるわけですが、これは経験ですので、実際問題として経験が日本はないわけです。ですから初めからいまロシアやアメリカと比較しても勝負にはならないんですが、しかしいま月面のこの構想は、2024年ですからあと30年後ですね。30年後くらいにこれが実現できるような社会的・技術的レベルに達していればいいわけです。そのための戦略をいまからすれば、30年もすれば人間の意識は、世代交替もありますし、変わることができると思うんですね。実際に30年というと、コンピュータのことを考えてみると、30年前の日本はどういう生活レベルにあったか、あの時に世界旅行すら普通の人には考えられない状況にあったわけですね。ですから、いまから戦略を考えて有人基地を作るということならば、例えば宇宙ステーションでは最大限そういう有人の経験を積む、それから当面は国際協力しかしょうがないわけですね。 先ほど秋山さんが言ったように、訓練ひとつ取ってみても、例えば私たちが行ったのは、サバイバル・トレーニングでも、すぐアメリカの空軍のヘリコプターがサっと来てすっと助けてくれる、そういう全部の体制がひとつ取ってみても必要ですが、どこまで行えるかということを考えると、現状ではできるだけ国際協力できるところは行って、いろんなノウハウを蓄積しながら、しかしそれは私たち自身、日本自身も貢献できなければいけません。貢献できる分野を探しつつ、それはひとつはロボティクス的なところだと思います。ロボティクスやってるから有人に貢献できないということではなくて、日本の得意分野をうんと全面に押し出すことによって、やはりNASAの人たちもスペースシャトルの中でラップトップ・コンピュータは日本製のものを使いたいとか、具体的に言ってるわけです。そういうところでお互いに日本の貢献を戦略的に考えながら行えば、2024年くらいには、H-IIロケットから派生した人間を乗せられるレベルのものが可能だと思います。何せ、10年以内にアポロは行ったわけですね。アメリカの社会は許したわけです。日本の社会なら30年あればできるんじゃないかと。
秋山: 10年と30年と言っても、やる気の問題なんですよね。30年経つと何かが生えてくるみたいに、木が茂るのとは違うと思うんですね。毛利さんのは凄く世間体を気にしているというか、世間がどう見るかを気になさっている、確かに大事なことだと思うんですけれど、問題は、確信犯はどのくらいできるかっていうことじゃないかって気がするんです。どう理解してもらうかというより、どういう目的で俺は何をやるんだ、何をアピールしたいんだ、これをきちんとすることが大事だと思うんです。ですから、日本の社会が許すか許さないかといったら、これ許すようにしちゃうんですよ。駆け落ちでもして、世間に認めさせる手もいろいろあるわけですね、一般的には。
毛利: それは30年の戦略という意味ですね。
秋山: ええ。だから例えば、こないだの「きく」の時に科学技術庁長官の田中さんが怒った、感じはわかるんですよ。つまりパブリックリレーションといった時に事実を素直にどうしてどんどん発表していかないのか。何か隠しているんじゃないのかというところから、あの失敗の時に「宇宙のゴミ」とマスコミが書き立てて不正確だという意見もありますけど、僕らの世界では、あまりいいことじゃないけれど「江戸の敵を長崎で」、日頃広報が非常に態度悪かったりした時に、いつかやってやるぞといつも心に秘めたりするんですね。そういう意味で言うと、例えばアメリカのNASAの広報スタイルは、これはまず技術より広報のスタイルを勉強して欲しい。NASAの広報は非常にバシっとしています。それから予算がどの州でどれくらい使われているか、どの州で宇宙産業にどれくらい関っているかという統計もバっと出てくるんです。じゃあ日本のそういう役所の資料はどうなのか、どこ突っついても何だかわけがわからないことが本当に多いんで、「よーし、こんな横柄な態度を取る役所にはいつか」という思いを秘めた記者が結構いるということも含めて、広報体制はきちんと考えていただきたいなと思います。
的川: いまNASAの例を取って言われたんですね。NASDAじゃなくてNASAです。
先ほど立花さんの講演の中で、有人ということを最初から志向して技術を積み上げるのとそうでないのとでは、技術の完成していくスピードやレベルの高さが違うという話がありました。この点は皆さんいかがでしょう。どんな考えをお持ちでしょうか。座して待つのではなくて、初めからビシっと目標を有人と決めて、輸送システムなり何なりの開発をするということを立花さんはおっしゃったと思うんですが。H-IIのリーダーをされた五代さんも見えているので意見を聞きたいような気もしますが。
石澤: 有人と無人とどう違うか。私は、確かに有人は人が乗っている、人の命は代え難い、ですから絶対失敗は許されないということではあるんですが、技術的なレベルがそう大きく違っているのかといいますと、有人の技術と無人の技術が、雲泥の、月とスッポンの差があるとは思いません。ただそれを、とことん突き詰めるまでやるかどうか、有人というのはやはり人の生命があるから、経済的な制約は、それを第一の理由にしてはいけないということだと思いますが、無人というのは経済的な問題は抜きにしてもいいのかというのが、ひとつあると思います。例えば、いまの人工衛星、301条で日本がアメリカに押し込まれている、これは何かというとやはり確かに数は少ないという問題はありますが、やはり無人であっても失敗してはいけないということで相当のプレッシャーがかかっている。今度の失敗の手抜きはどうかというお話がございますが、そのへんはやはり経済性というもの、特にコマーシャルのベースを考えた宇宙開発をやる、その分野においては、やはり経済性というものを置かなきゃいけない。経済性と失敗とどう取るか? 失敗をある程度の率で見込んで、それで経済的に成り立つというのがコマーシャルベースの宇宙だと思うんですね。そこの切り分けをハッキリ意識して、これから行かないといけないんではないかと思っています。
的川: いろんな意見が出ましたが、有人反対という意見でございませんで、どういう戦略でやっていくかという点については、少しいくつか考え方があるかなという感じがいたします。
時間がだいぶ過ぎておりますが、最後に、立花さんの講演でもありましたし、他の方も言われたわけですが、日本のこれからの社会を作るうえで、宇宙開発が果たす役割について、たいへん宇宙の関係者も含めて責任があるという意見が出ました。これは広い意味での教育普及とか、啓蒙という言葉は私自身好きじゃありませんが啓蒙活動とか、そういう風な問題だと思うんですね。里中さんがさっきおっしゃったPRも、それに入るかも知れません。そういう観点から宇宙開発、これからそういう点をどのように考慮していくべきだろうか、そういう立場からの発言をどなたかお願いしたいんですが。
津田: 私はNASDAとISASの他に第3の主軸を作れと言いたいですね。現在この両機関が主軸になって宇宙開発を進めておられるわけですが、当然テクノロジー主体の素晴らしい実績、あるいは未来志向の技術を持っておられるわけです。ひとつ前の質問に戻りますと、独自の有人計画は日本ではやれると思っています。ただし、その意志と理解が必要ですが、日本の現在の国力、GNPを見ますと、アメリカのアポロ時代のGNPの10倍以上になっていますから、これはやれる素地があると思いますので、意志さえあればやれる。ただ問題は理解、国民の理解だと思うんです。その理解はじゃあどうしたら得られるか? これを具体的に考えないで、ただ言葉で有人だ独自の宇宙開発だと言っても、まったく一歩も先へ進まないわけです。そこで私なりに、独自の日本の有人計画を夢でなくするために、夢を達成するために何をすればいいかのひとつの私案として、NASDAとISASの他に、第3の主軸を作ったらどうかと。第3の主軸というのは、宇宙テクノロジーに対して宇宙ソシオロジーを推進する宇宙社会大学、あるいは宇宙文化総合研究所といったものが日本には必要ではないか。これは第3の主軸でなくてもいいと思うんです。NASDAの中でもいいと思うんです。ISASの中でもいいと思うんです。何も頑張って3つ目の翼を広げることはないと思うんです。ただ必要なことは、こうした人間と宇宙、宇宙社会圏を視野に入れたその関りを研究し、コンセンサスを求めていく機関を作らないでは、私は国民の理解を得ることはできないんではないだろうかと。そうなれば独自の有人計画を、ただ絵に描いた餅になってしまいます。ですから、正常な宇宙開発、国民の理解が得られる、莫大な宇宙開発予算を理解していただける宇宙開発、その土台を作るためには、いまの両機関の他にもうひとつ、現在ない分野を研究する部門を作って欲しいと、これは今日の「日本は何を目指すか?」ということの、私なりのひとつの意見です。
的川: 私ども宇宙科学研究所の予算が、赤ちゃんも含めて国民1人頭で割りますと200円くらいになります。ある講演会で私がそれを言いましたら、「え? 200円、それは少ないなあ。僕の小遣いからちょっとあげようか」と言ってくれた小学生がありまして、現実に1000円送ってくれた女子高校生がいます。「私の小遣いの中から1000円を同封しましたので宇宙の実験に使ってください」。私どもは、それでハンバーグを食べないで、ちゃんとそれは残してあります。大事に封筒に入れて残してあります。たいへん涙の出るようなお金で、ひとりひとりの理解をもっと大事にしなきゃいけないと、その時、非常に思いました。いまの子供たちの将来と宇宙開発との関係、これは里中さんは漫画をお描きになっている時に、いろいろと子供たちのことも考えながらお描きになっていると思いますが、そういう側面からいかがでしょうか。
里中: 冒頭で申し上げたのとダブってしまうんですが、やはり宇宙を通じて視野を広める、視野を広めることによって価値観を広げる、そういう世界を子供たちに与えると言うとちょっとおこがましいんですが、そういう義務が大人たちにあると思いますので、宇宙開発もただ科学的な面や経済的な面だけでなくて、そういう面から人類の精神社会形成のためにも必要なものだと思って考えていきたいと思っています。
高柳: 先ほど秋山さんがNASAの広報の素晴らしさをお話になっていましたが、教師に機会を与えるということもMSAあたりがやっていますが、カイパーに高等学校の先生を夏休みや春休みに呼んできて、科学者のアクティビティに参加させて、教室に帰って、科学者はいまこんなホットな話題を調べているんだというレスポンスがあるような、そういうプログラムがちゃんとあるんです。これは、的川さんがおっしゃったいまの研究予算ではとてもできないと思うんですが、先ほどの「セチ」も、相当立派な、例えば私どものNHKスペシャルの「生命」のプロローグに出てきたような先生方が中心になって子供のためのテキストを書いているんですね。「セチ」のテキストを実際に見せてもらいましたが、宇宙の中で生命がどういう風にして生まれてきたか、本当に子供向けのテキストなんですが、そういうことにお金をかけているっていうのは凄いなぁと思って、日本では恐らく、余裕ないですよね。でもそういう部分はやはり、誰かが考えていかなきゃいけないのではないかなという気がしていて、現実に私どもも、極端な話CATVなんかあちこちに空きチャンネルがあるわけですから、そういうところでそういうソフトを流すとか、いろんなやりようがあると思うんですが、みんながバラバラにいまいて、そういうことでも集まって考えることをやってもいいんじゃないかとか、結局ボランティアでやるよりしょうがないような気がしているんですが……。ちょっと最後の方は独り言です。
石澤: 先ほどから宇宙はPRが下手だというお話が出ていましたが、これは私は宇宙だけではなくて、全体の日本におけるエンジニアリング、工学の一般の方へのPRが非常に下手なんではないか。例えば私の小学生の頃の家庭の中を考えてみますと、当時の電気製品はせいぜい真空管を使った4球のラジオしかなかった。あとは電球があるくらいなものだった。ところが現在の生活では皆さんの家庭ではテレビもあるし、そのテレビには気象衛星からの映像も出てきている。ビデオもあるしクーラーも入っていれば電気もある。というように人間の生活を進歩させているのは、あくまでも工学なんだと、その大きな工学の力でもって人間の生活が改善されている。ただ、いま申し上げたのは道具ですから、道具は使い慣れてしまうと、それが当たり前になってしまう。そういう素晴らしい道具を作り出しているもとが工学にあるということが、一般の方はあまり認識されなくなってきてしまっている。ですから理工学離れということもだんだん起きてくる。お金を出せば手頃な非常に便利なものが手に入るということが当たり前になってくると、こういう風になる。ですから、やはり我々の生活を良くしていくためには、工学が必須のものである。これによって公害が出るという問題も出てきていますが、しかし我々が人類を進歩させるためには、やはりエンジニアリングが必須のものである。そのエンジニアリングを進めていく中で、スペースというのは、ひとつの進める種である。こんなことをPRしていかなきゃいけないんじゃないかと思っています。
秋山: もうだいぶいろんなことを言ってしまったので、あれなんですが。戦略、戦術、いろいろあると思いますが、基本的には、長い目で見た時の教育と絡んでいるのかな、それこそ20年30年のレンジで考えるとすると。そうすると、子供の好奇心をすうっと育てていく、いま周りの目ばかり気にしていい子になろうとすることによって、自律神経がおかしくなっている子供が多いとか少ないとか報道があったりしますが、つまり周りの目に関係なく「俺はこれやりたいんだ、これやってると楽しいんだ」という子供がいっぱい出てくると、これはもう自然に宇宙に目が行くんじゃないかな。凄くそこには飛躍があるんですが、だけど何かに熱中する子供というのは必ずもっと遠くの方を見たくなる。そういう基礎教育投資といいますか、高柳さんがおっしゃっていた、そういう塾と言うと変ですが、日本風に言うとやはり塾になっちゃいますね、道場というか塾というか、そんな感じで子供の好奇心の延長として宇宙を位置付けられれば、人的資源、例えばいま月探査あるいは有人宇宙機を作る、ということをやった時に、日本の基礎的な頭脳がどれくらい集められるのか、いまある頭脳だけで十分だとおっしゃるかも知れないけれど、でもやはり裾野はもっと広いんだろうと思うんです。それこそ毛利さんのところの「ふわっと」とか、いろんなところの実験の装置なんか見せてもらう機会がありましたが、どうしてこんな不調になっちゃうのか、我々取材陣もハラハラしたんですが、あのへんを作る技術も含めての有人技術だと思うんですね。裾野をずっと広げていくための努力も同時にやらなきゃいけないだろうなという気がします。
毛利: いま理工系離れという話が出ましたが、理工系離れの文部省関係の方にいさせていただいて、いろいろと議論していくうちに、そう社会的現象として単純ではないな。やはり日本社会全体の中での、もちろん受験偏重もありますし、いろんな要素が関りあって理工系離れにどうも行き着いているようなんです。しかし一方、まだ宇宙というのは日本にとって新しい分野ですので、いまシンパというか宇宙を理解してくれている人たちが広がっている間なんですね。しかしやはり何といっても、そういう新しい思想を取り入れるというのは、既に30歳を越えた人に説明しても、なかなか、頭では理解しても体がなかなかというところが多いと思うんです。いまの子供たち、先ほど国語の教科書に出るという立花さんのお話がありましたが、まさにああいう子供たちに、現在、いかに宇宙というものを理解してもらうかというのが、30年後、まさに月面の基地ができる時に重要になってくるんじゃないかと思います。私もいま、いちばん重要視している仕事が実は宇宙授業の延長で、できるだけ子供たちに向かって、ビジネスマンよりは子供たちということで、講演をしているんですが、その反応は本当に純粋に来ます。私たちが選ばれたのは85年ですが、あの時以来、何度も講演会をしていると、85年、86年に私たちの講演会を聞いた子供たちが、既に大学生や社会人になって宇宙を目指す人が増えてるわけですね。着実に手応えがあるわけで、そういう意味で、宇宙というもののイメージを、もっともっと若い世代に膨らませて、やりがいのある仕事であると。本当にそうなんですね。 今日こうして議論しているように私たちの未来にとって大事であるということを、子供は理解してくれるんです。それをいかに、いろんな機会をとらえて訴えていくかということだと思うんです。具体的に、教科書に取り入れてもらったり、私も中学1年と2年の理科の教科書に、サイエンス的なものじゃなくて、感動、感じをコラムに、理科の教科書に載せるということを頼まれて載せたんです、200字で。そういうセンスの教科書を、文部省は入れるようになっているんですね。ですから理工系離れは、いわゆるテクノロジー、サイエンスばかりじゃなくて、もっと一般的に理解できるようなものになりつつあると思いますし、また宇宙というのはそういう意味では、もっともっと取り込みやすいと思いますので、ここに出席されている方々が、いろんな機会に次の世代ってのを考えながら、具体的な、自分の子供も含めて考えていくことが大事じゃないかって気がします。
   
的川: 長時間にわたって議論していただきましたが、30分ちょっとオーバーしました。30分全部パネルディスカッションのせいではありませんで、前の演者がたいへん長かった部分もございます。ただし司会が不手際なので多少伸びた部分はお詫び申し上げます。まとめることはしませんが、今日の議論の中で私自身がたいへん感じたのは、宇宙の関係者が、あまりおずおずと意見を述べないで、自分自身の夢とか計画を、しっかりとしたものを持って、大胆に訴えていく必要があるのではないかと。ただし多少トレーニングが必要な部分もあって、宇宙関係者以外の方とのコミュニケーションについては気をつける必要があるけれども、根幹の夢がしっかりしていれば、大人の人たち子供の人たち含めて納得してくれるんではないかという点が、かなり多くの人たちから語られたという印象を受けました。
今日ご出席いただいている中には、今度の宇宙開発政策大綱を改定していくうえで、たいへん大きな役割を果たされる方が何人もいらっしゃいます。今日の意見をぜひ参考にしていただいて、さすがにあの時期の宇宙開発政策大綱だという風な反映の仕方をしていただきたいと思います。今日ご出席の方々皆さんが、その政策大綱を大いに支持して、これから日本の宇宙開発を盛り上げるための核にぜひなっていただくようにお願いして、今日のパネルディスカッションを終わりたいと思います。パネラーの方、ありがとうございました。

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