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> 月を知ろう > 月に関する研究発表 > シンポジウム「ふたたび月へ」 > 第1回シンポジウム(1994年) > 7.パネルディスカッション「日本は何を目指すか?」
月を知ろう

月に関する研究発表
7.パネルディスカッション「日本は何を目指すか?」
司会:
パネリスト:
宇宙科学研究所
TBS国際ニュースセンター長
宇宙開発事業団理事
漫画家
NHK解説委員
宇宙社会学研究者
宇宙開発事業団宇宙飛行士
的川泰宣
秋山豊寛
石澤禎弘
里中満智子
高柳雄一
津田幸雄
毛利 衛


的川: 丸ごとの地球を見る魅力は凄いでしょうね、きっと。足場があり、6分の1Gがあり、地球が丸ごと見える、いろんな特徴があると思います。先ほど石澤さんの話の中で、これからの有人活動の柱として無重力と月、2本柱を立てて言われたわけですね。そういう意味でもう少し詳しく、環境として月面にどういう魅力があるかを石澤さん、お話しいただけないでしょうか。
石澤: 実は月の使い方はどういう使い方ができるかと、これは定性的にといいますか、というのはいろんな方がいろんな意見を出されておりますんで、いま出てると思うんですが、ただ先ほどから、25年経って再び月へ帰ってきた時に、じゃあ月がどういう使い方ができるのかということを考えた時に、月は、宇宙の活動といって人間が宇宙へ飛び出して、コロニーみたいな見方として月を使った場合には、やはり月は地球よりずっと小さな天体なんだ。秋葉先生の説明にありましたように、大きさから見ると南極大陸くらいの大きさしかない。面積も小さい。資源的に見ても、たぶん地球より小さいんじゃないか。だから、これを何も考えないで行き当たりばったりに使い出すと、たちまち壊してしまう恐れがあるんじゃないかと。月というのは非常に壊れやすいものじゃないかと私は感じています。研究の場として使うのか、あるいは生産の場として使うのか、あるいは生活の場として使うのか、それを決めるためのデータは、確かにアポロが行って持って帰ってきましたが、まだ月の最適な使い方をするというデータを我々は手に入れていないんじゃないかと。ですから、月の最適な使い方をするためのデータをまず集めるのが、これから何年かかるかわかりませんが、そういうデータを収集し、これは有人であれ無人であれ、最初に取り掛かれるのは無人だと思います。こういうことでデータを集めて、月の環境は確かに昼間は非常に温度が高くなる、夜間は非常に冷えると、空気はない、重力は6分の1、いろんな条件があります。それから月面上での月の表面の特性、鉱物あるいは資源の話もありますが、そういうのが全部わかっているわけではないわけです。ですから特徴をつかんで人類の宇宙開発のために、最適な使い方はどうあるべきかを、これから真剣に考えていかなきゃいけないのではないか。そのためには必要なデータを集める。そのデータはどうやって何を集めるかを検討しなければならないというのが私の意見です。
的川: 月の最適の使い方。これは後ほどもう少し皆さんから意見をいただきたいと思います。先ほど海部先生と水谷先生のおふたりから、たいへん迫力のある講演をいただいたわけですが、海部先生は、月は宇宙科学者の夢の舞台とおっしゃいました。水谷先生は、やはり人間が行った方がいいんじゃないかというお話をされました。科学のメスが月に入るということが人間の将来の活動にとってもたいへん大事だし、先ほどどなたかが触れられた、月はたいへん大事な対象だけれど、冥王星と火星とかを除外するのではなくて、その中でも月というのがたいへん魅力的な対象として近くにあるということになるのだと思います。月の科学としての魅力を高柳さんに語っていただきましょう。
高柳: 毛利さんと秋山さんの話を聞いていまして、宇宙の番組でいろいろ編集するんですが、地球の引きサイズで手前に月面が引っ掛かっているのが最高なんですよ。周回軌道で月を撮る絵も素晴らしいとは思うんですが、手前に月面が引っ掛かっているという絵が、いろんな番組を編集していますけれど、あのカットだけはベストなんです。あれしかないんです、しかも。だからぜひ、あそこへ人間が行って、人間の心の目で、カメラマンの目を通して地球を撮ることがもしされたら素晴らしいという気がします。
話は前後しますが、このあいだ宇宙と地球の間というのは何かという、ボーダーレス時代をテーマにしたラジオ番組がありまして、その時に、宇宙と地球の違いをいちばんハッキリ決めているものは、いまだ生命活動というか生命を、我々は地球の外、低軌道中軌道は置いておいて、外側に見つけていない。生命があるのかないのかで決まっているのかどうか知りませんが、一応その話ができる。だから月面に行って「セルス」のような活動ができるとしたら、人間の地平線がポンと広がるわけですし、それからアポロの土を持ってきてNASAの人たちが温室で何か植物を育てていたカットをよく見ていましたが、見事にたいへん青々と茂っているんです。だからきっと植物は上手く生育するんじゃないかと思うんですが。私が言いたかったことは、海部先生と水谷さんの、月を通して宇宙を知るという部分は物凄く私たちぜひそうやって欲しいという部分がもうひとつあるんですが、もうひとつは人間の意識が、あそこへ行って、つまり地球を見ることによって変わるんじゃないかと、左脳と右脳の理解両方が必要なんじゃないかなという気がします。上手く通じるかどうかわかりませんが、たまたま昨日、羽生名人の左脳と右脳の動きというのをテレビでやってまして、右脳の方は見事にパターン認識するんですが、手前に月面、向こう側に地球ということで地球の見方とか、地球ってものの意識の仕方って人間変わるんじゃないかと思うんですよ。
もうひとつは月面を科学の探求の場として知ることによって宇宙の理解が、これは左脳の理解の仕方になると思うんですが、いずれにしてもそういう意味で、最近、関西新国際空港でハブっていうのが流行ってますが、月はある意味で地球のハブになれる場所なんじゃないかと私は思っています。
的川: なるほど。先ほどのおふたりのレクチャーと、いまのお話で科学の対象としての月の大切さは浮き彫りにされていると思うんですね。先ほど秋葉先生の方から、月の研究あるいは月面の活動の3つの側面ということで、リンカーンじゃありませんが「オブ・ザ・ムーン、フロム・ザ・ムーン、オン・ザ・ムーン」。オブ・ザ・ムーンは月そのものの研究ですから、これは水谷先生の言われた、月の内部を調べる、あるいは月とか地球の起源とか進化の歴史を調べるといったことにつながるものだと思います。フロム・ザ・ムーンは、月を足場にして月面天文台から宇宙を見る。これは海部先生がかなり迫力のある講演をされました。もうひとつ残っているのはオン・ザ・ムーンで、月の上でどういう活動を人間として展開していくのか。そういう側面が恐らく我々の宇宙活動の対象として月が本当に目標となり得るのかという側面だと思います。先ほどの月面基地の建設という時に、報告書はかなり膨大なものができたということをおっしゃっていましたが、日本は非常にそれが進んでいるところなんですね。その研究がずいぶんされている時に、実は日本は月に行ってなかった。宇宙科学研究所の「ひてん」という衛星が月に近づいたことはありましたが、まだその頃にはできてなかったんですね。ですからアメリカの人たちは「月に行ったこともないのに、よくこんな研究ができたな」と心配されたことがあります。でも月への魅力があったからきっといろんな研究ができたと思うんで、月に人間が行くことの意味をしばらく皆さんの意見をお聞きして、次の我々の活動の目標に月を置いていいのかと、科学という側面はかなりわかりましたから、それ以外の側面ですね、どういう側面を浮き彫りにすれば我々は月をターゲットとして選び得るかという話をお聞きしたいと思います。里中さん、いかがですか。
里中: 私、素人ですのでわからない面もあるんですが、月をターゲットにしていいかという面で言いますと、せざるを得ないと思うんです。それより遠くで何かをするよりも、とりあえず近くというのは、これはもう常識だと思いますので。しかもいい足場として存在しているわけですから、使わないで無視して先に遠くへ行っちゃうのは、かえって変だと思います。行って何が得られるのかというのは、これは行ってみないとわからないんですね。だからこそ行ってみたいんです。行くことが、またそこでいろんな論議がなされるんでしょうが、これから先、短いと10年くらい、長いと30年くらいの間に月をどう使うかという、まず有効性の面からいろいろ論議がなされて、いろんな意見が出てマスコミでもいろいろ取り上げられるんでしょうが、そういう時に予想されるのはまたさっき言った「それが役に立つか」というのが最初にくると思うんです。これ前提として必要なんだからということで突っ切っちゃって、「みんなで行けば怖くない」と、古い流行語ですが。かつて人類が海に馴染んでいなかった頃は、海を恐れていたでしょうし、そこからの恵みはごく少量しか得られませんでした。いまでも国によっては海には魔物が棲んでいるといって近づかないというか、漁をする人がある時間だけ海に出るだけであとの人は海に入らないという国がありますが、宇宙に対しても人類は長い間やはりそうだったわけですよね。 いま、お金と細心の注意があれば、ある程度のことはできるんですから、これを克服するとか何とかではなくって、いま流行の言葉で使うと気持ち悪いんですが「宇宙と共存していく」人類の文化というのを目標に置いて、みんなで高めあっていければいいと思うんです。月をどう使うか、使っているうちにいろんな問題が出てきて、こんなはずではなかったとか、やっぱり人類は傲慢だとか、失敗して汚してしまったとか出てくると思うんです。だけど失敗に気付いて反省して軌道修正するのが人間のいいところなので、人類の持っている「知りたい。もっと知りたい」、それは何のためか、もっと高みに行って人間として必要なことは何かをわかるために知りたいという哲学的なことさえ忘れなければ、いずれは上手く月で暮らしたり月を利用したり、また精神的思索の対象としてともに生きていけると思います。私も早く行きたいんですが、本当に個人的なことを言えば、若くて元気でなくっても、どんなサンプルにでもなりますから。そこへ老女が行った時に骨がどうなるかとか、そういうのでもやってみたいなと思いますので、どうかご縁があったら皆さんよろしくお願いします。
的川: もっと知りたいという好奇心、よその世界へ行ってみたい。そういうものがいちばん大事にすべきことで、先ほど石澤さんが言われた最適の使い方というのは、その中で求めていくべきだというご意見だと思います。津田さん、いかがですか。
津田: 最適の使い方を考える。とにかく行ってみる。私もまったく同感です。さらに言いますと、私がいまのご質問にお答えする背景は、21世紀、人類は歴史上かつてない重大局面を迎えるわけですね。人口が爆発的に増加しまして、食料やエネルギーの危機に見舞われる。私はやっぱり自分のライフワークとしてどうしてもこのことが頭から離れないわけなんですね。それで、なおかつ人間が進化した進化したといいながらも、世界のいたるところで戦争をしている。自分の欲望をあからさまに競争原理、際限のない悪しき競争原理にのっとって現在の世界体系が作られて、人類の歴史を覆い尽くしているわけですね。このことがどうしても頭から離れないバックグラウンドになっているわけでして、このことを念頭に置きますと、あるいはキーワード風に言いますと、月は人類を救う、あるいは月は地球を救うのではないか。その可能性があるのではないかと思っているところがありまして、しかしこれはまったく自信がありませんで、石澤先生がおっしゃられた、とにかく使い方の最適な手法を考えなきゃいけない、里中さんのとにかく行ってみようと、これがいちばん正解だと思いますが、これに加えまして私は「月は人類を救う」という理念がもし可能である、真実味を帯びるならば、やはりいま割と否定的な見方をするかたもいらっしゃいますが、月面にヘリウム3、あるいはその他の資源を探す、これが1番。2番目が月面発電衛星ですね。 LPSを建設して太陽エネルギーを地球に供給する。この物質的な理由がふたつありまして、さらに3番目に人類の宇宙活動あるいは宇宙居住の空間の創出、低重力や宇宙空間への生命的適応、科学的知見の探求をも含めまして人類が将来、太陽系あるいは恒星系に進出するための初歩段階ではあると思うんですが、そういったロマンというんでしょうか、知的探求心を満足させる宇宙生活の創出というんでしょうか、そういったものが3番目。4番目には人類の新しい自然観の創出。と言うとちょっと大袈裟かも知れません、大風呂敷かも知れませんが、やはり宇宙飛行士の方々に聞きますと、地球を丸ごと宇宙から見ますと、非常に感動的で人間の本質をえぐるような、えも言われぬものがあると言われますから、そういうことが長い宇宙生活の末に、人間の、いま地球意識というものを持っているようですが、それが立花先生のおっしゃる宇宙知性あるいは宇宙意識にまで拡大しないだろうかという希望的観測ですけれど、いま言いましたようにヘリウム3その他、水も製造できるわけですね。私は調べたんですがレゴリスは2m3から1kgの水を製造することができますし、この水は非常な資源ですから、使うことができますから、こういったことも含めまして、月の資源の開発、それと月の発電、人類の宇宙居住の創出、4番目に自然観の、現在の憎むべき世界体系を変えられないかという希望。この有形、無形、物質的、精神的な4つの理由によって私は月は人類を救う可能性を持っているんではないか、その可能性を訪ねるがゆえに行ってみるべきではないかと思っていまして、いわば月は人間の腹と心を満たす場所であると現在考えております。
それと月から人間の自然観を変えるモチーフを得られるんではないかということについて言いますと、月あるいは月面都市は地球を明察する都市と位置付けていまして、ただ単に観測するだけではなくて、明察する都市。この地球上で戦争ばかりしている人間が宇宙で生活して、地球を明察して、そこから何か新しい世界観、世界体系を築き上げる何かキッカケを手にするという希望を私は託さざるを得ないんですが、そういう意味で、私は冒頭、月を選らんだのは最善の判断であったと思いましたのは、それが人間の人口爆発によって食料とエネルギーが危機に瀕する、その時の腹を満たす、そしてまた心を満たす、それはすぐには無理です。何百年、何千年かかるかも知れません。でもいまからやらなければ、それはとうてい手に届くにはいたらないわけですね。ですから私はそういう意味で、キーワード風にいうとそういう風に思います。
的川: ありがとうございます。宇宙社会学っていうのは、いろんなことを考えなきゃいけないってことがわかりました。きちんと理論武装されて月への魅力を語っていただきました。月が地球を救うというのは、キャッチフレーズになりそうです。ツキがなくて損している人はいっぱいいますから、これからもツキを大事にしていきたいと思います。
月の魅力を語る時に、どうしても月に行きたいんだと、科学の世界の方は、資源とかエネルギーがあるから行こうとか、人類が将来、地球から月へ移住する、あるいは他の星へ移住するための準備だとか、そういうことをゴチャゴチャ言う必要はないではないかと、月のことを知りたいとか行ってみたいというのでいいじゃないかという里中さんのようなご意見の方は結構たくさんいらっしゃいます。その意見について、皆さんいかがですか。そんなんじゃ、やっぱダメだという方いらっしゃいますか。
津田: 私たちが留意しなくてはいけないのは、宇宙開発には必ず反対の方々がいらっしゃいます。ここにお集まりの方々は宇宙開発に理解を示されている方々でしょうし、私は過激な有人活動派ですが、やはり予算の使い方に関しても必ずクレームをつける方々がいます。社会資本の充実にお金を使うべきであって宇宙にお金を使うべきではないという手強い意見を持った方が必ずいます。そういう人間に対して、私たちは水と油になるのではなくて、何かそういう方々に心を持って、ひとつの意見なりを申し上げるという姿勢を持たなければ、かつてのように「あ、意見が違うね」と別れてしまう、そういう乱暴な姿勢を取ることはできないと思うんです。それは現実逃避であって現実から逃げていると思うんです。宇宙に莫大なお金を使うのは、私は当然必要なことと思っていますが、それに絶対反対する人がいる。そういう人たちといっしょになって考えるという姿勢が非常に大事だと思うんですね。我々は我々だけで仲間を作って、宇宙開発推進派だけでこういうシンポジウムを開いているのは非常にハッピーなんですが、一歩街へ出れば、非常に宇宙開発に恨みを持っている方もいるわけですね。ですからそういう人々の意見も謙虚に聞いて、なおかつ我々もそれに四つに組んでやっていかないと、いつまでも水掛け論になってしまうと思うんです。 私は、月というのは太古から人間の心身と交感といいますか交わってきた天体だと思うんです。人間の体にある水分が体内潮汐を月によって受け、あるいは心がインスピレーションを受けて常に月と話をしてきた。ですから世界の民族にはほとんど、月についての民話・伝承・神話がたくさんあるわけですね。そういう月に対して、いま我々はブルドーザーを入れようとしているわけです。ところが月にブルドーザーを入れたくない人々は、自分にとって月は自分の体と同じ存在、自分の体にブルドーザーを突き刺すような気持ちを持っているわけです。そういう人々に対して我々推進派はどう表現し、どう応えたらいいかというところまで、私どもはやはり悩み抜いておかないと、宇宙開発はいつまで経ってもお金が取れないと思うんです。宇宙開発の予算を取るためには、このソシオロジー、このコミュニケーション、これの努力を払わないと、ただ賛成派だけが集まって宇宙予算をくださいといっても無理な話です。私は社会資本に対して人類予算という言葉を使っていますが、人類予算がやはり人間にとって非常に大切なんだと思っています。
里中: もしかして誤解があったらいけないと思うので。私「行っちゃえばいいじゃないか」と言うのは、この場の話で……。そのためにもPR不足だと申し上げたのもそういうことで、理解を得るためのPRが本当にあまりお上手でないと思うのが、そういうところなんです。私自身の周りでも同じ年頃の主婦の方が多いですから、どうしてあんなお金を使って、福祉に使えばいいじゃないか、そういう時に、さっきおっしゃった食糧問題とかエネルギー問題をいうと、女性というのは正義感があるのもありますが話が早いこともあってコロっと変わるんですよ。「あ、そういうことだったら宇宙開発は必要なんだね。何よ400億、500億」と言ってくれるんですよ。だからやはりPRはそういう意味でも必要で、それはいまおっしゃったことと同じで予算がなければ何もできませんし、反対の嵐の中でやるのではなくて、私はこの場に部外者として来て、何だかこの世界全体の方が凄く世間に対して気を遣っていらっしゃるような気がするんですよ。だからそのへんはもう自信を持って、必要なんだからやるということで、やらなければいけないということですので、どうも言葉が足りなかったらすいません。
秋山: 本当に、物質的とか資源を探すとか、利益誘導でやるプロジェクトじゃないって気がするんです。コロンブスが行く時には、あそこに行けば金が採れるっていって王様騙したか騙されたかわかりませんが、そういうことで言い寄った、500年前ですよ。500年の間に人間の意識、人類の意識が、いまだに利益誘導でないと海に出られないのか? これはとんでもない恥ずかしいことだと思います。ですからこれは単純に好奇心の延長なんだ、人類の知的な資産を増やすんだ、もし資産という言葉があるとすれば、人類の知的な資産・知的な資源を拡大するためのプロジェクトだ。何かを持ってくるんじゃない、略奪するんじゃない、取ってくるんじゃない。そういう旗を掲げてそのプロセスそのものが逆に言うと、人間あるいは日本の宇宙意識の拡大と言いますか、そのプロセスそのものがそうなんであって、理解ができない人に対して、言い方によれば「女衒」のように言い寄る、「赤いオベベを着て白いご飯が食べられるよ」というのは21世紀になって通じる論理だととても悲しいと思います。
高柳: さっき科学の方に期待されて僕に聞かれたと思ったんで、あんまりちゃんと答えてないんで答えようと思うんですが、例えばケックというのが動き出した途端に、いまの宇宙の4分の1くらいのサイズの時の温度がわかったり、物凄く何か新しい知的な……。
的川: 望遠鏡ですね。
高柳: そうです。ごめんなさい。専門家ばかりいると思ってついあがると言葉を忘れまして申し訳ありません。月面に天文台ができて、どれくらい知的フロンティアが増えていくか、これはもう、それで何かPRを作れと言われたらたちどころに作りますよ。つまり若い人たちに夢を与えられると思うのは、我々が知るべき、知るとワクワクするような、あるいは知ることによって私たちがどういう宇宙の中の生き物なのかわかるような、素晴らしいヒントも手に入るし、素晴らしい知的足場も得るわけですからね。さっき科学のことをあえていわなかったんですが、そこのところはむしろ、資源とか何とかっていうより、やはり知的フロンティアを広げていく、そういう意味でのハブになると思うんですよ、月面というのはね。さっきそこのところを僕は言わなかったんですが、これは当然のことだと思ってたもんですから。
毛利: サイエンティストの方は、ともすると自分の仕事はサイエンスのためにあるのではないか、サイエンスがいちばん崇高で、サイエンスをすることで酔ってしまうところがあると思うんですね。サイエンスというのは極論して言うと、私にとって技術とか芸術とか演劇とか音楽とか同じレベルで、つまり私たちの生活ないしはそういうものを豊かなものにするためのひとつの、私たち人間が生み出した新しい事象なんですよね。だからサイエンスのためにじゃなくて、究極的には人類のためにということを認識するのが第一で、そのためにはちょっと努力が足りないかなという気がします。つまり私たちがやっているサイエンスを皆さんに還元できるPRというか、わかりやすい言葉で自分がやっていることがどんな意味があるかっていうことで、恐らく一般の方々が納得して「それならお金を使いましょう」となると思うんですが、月面のことを急に言っても、私たちのコミュニティはすぐわかりますけれど、一般の方々にとっては月面のサイエンティフィックな使い方ってのは、もっともっと言葉を噛み砕いて、といっても日常生活にすぐに結び付かないかも知れませんが、いかにそれが素晴らしいかっていうことは恐らく伝わるんだと思います。いちばん障害になるのが、サイエンスがプロジェクトのために、予算を使うためにやっていると考えているサイエンティストがいるってこと、時々見掛けるんですが、そういう人たちは顔を見ればだいたいすぐわかります。やっぱり内部からサイエンスが面白いと思ってやっている人は、ちゃんと説得力があると思います。

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