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月を知ろう

月に関する研究発表
7.パネルディスカッション「日本は何を目指すか?」
司会:
パネリスト:
宇宙科学研究所
TBS国際ニュースセンター長
宇宙開発事業団理事
漫画家
NHK解説委員
宇宙社会学研究者
宇宙開発事業団宇宙飛行士
的川泰宣
秋山豊寛
石澤禎弘
里中満智子
高柳雄一
津田幸雄
毛利 衛


的川: ありがとうございました。月の魅力、それから計画作り。後ほどこれは今日のパネルの主題になると思いますので、もう少し詳しく展開していただきたいと思います。毛利さん、よろしくお願いします。
毛利: ロケットに乗って打ち上がると体が重くなるわけですが、それが体の3倍になって、ある時突然、液体燃料タンクが外れると、体が浮きます。その時に私たちは、体全体で重力がなくなったことを感じるわけですが、その時点で頭の意識で、地球を離れたという感じはありません。ただ同じ空間が、重力、重さが急になくなったということです。その時に体がふわっと浮くわけですが、人間はどうも重さがない世界に適応して作られているのではないという感覚がします。というのは非常に不安定で、そのうちに体が変化してきて頭がボヤっとしてきますので、そういう意味で確かに人間は生まれてきて以来ずっと地球の重力に適応するように、いちばんいい状態になって活動できるようにきたわけですから、当然といえば当然です。その時に初めて重力が我々にいちばん適しているんだということがわかるわけですが、しかしその時になってもまだ地球という意識はないんですね。地球という意識は、やはり外を見た時なんですね。地球を見た時に、確かに自分が写真や映画で見た丸い地球が浮かんでいる。その時に「あ、宇宙へ出たんだな」という意識が芽生えます。しかしその時でもまだ、確かに地球は丸いけれど人間は見えません。個としての人間は見えないわけです。ずっと探していくうちに人間の活動の跡が見えるんです。それは都市とか港とか。その時に初めて、地球上に生物がいて、それを見ると自分がそこからやってきたという意識が強烈に芽生えてきます。
そうやって見ていくうちに「しかし、ちょっと待てよ」。地球全体というのは水が物凄く多いんですね。ほとんどが、太平洋、大西洋、水なわけです。それから陸があって、陸の上には森林が青黒くあります。もちろん砂漠は赤茶けて光っています。ところが森林を、先ほど言った人間の活動の跡が白っぽくなって侵食しているというのが意識として芽生えてきます。私の場合ですと、ペイロードスペシャリストで実験に忙しいので、ああ奇麗だなとか、あの川はどうかなとか、確かにあの川は汚れているかなとか確認する作業だけで、あるいはまた宇宙を見たり、それはまた別として地球ということで限定しますと、地球を見て帰ってきます。私にとって宇宙飛行は、ずっと小さい頃からの夢で、その実現したというのも、確かに地球が丸いというのも見て自分の意識で確認した。でもちょっと待てよ。でもそうやって夢を持って実現させて強烈な思いにさせた、なぜそういうことをさせたんだろうというのを、宇宙から帰ってきて思うんですね。宇宙にいる時は夢中なわけです。向井さんもきっとまだまだ夢中でハイな中にいると思いますが。帰ってきて、なぜ自分がそこまでワクワクさせようとしてきたのかなというところを冷静に振り返ってみると、深い意味があるんじゃないかなという気がしました。先ほど立花さん、あるいは石澤さんが言われたことと関連してくるかも知れませんが、ひょっとして、我々ずっと地球上に生命が生まれていろんな意味で変化してきているわけです。いろんなところに適応できるようになってきているわけです。それで私はもっと地上に生まれた生命的なものを調べる必要が、それを調べることで自分が宇宙に行った意味がもっと発見できるんじゃないか、それはもっと普遍的じゃないかということで、実は「生命」という番組を担当させていただいたわけですが。宣伝になりますがNHKのいちばん最後の日曜日の午後9時からやっていますが、私自身はマティリアル・サイエンティストですから、もともと生命とかそういうものに関しては思い入れがなくて、割と客観的に見ていたんですが、それ以来、非常に意義づけるという意味で、恐らくもっと普遍的な大きな意味があるはずだと、あれがスタートしたわけです。
いろいろと生命の歴史を見ていくうちに、もともと生命は水の中から生まれて、海から陸へ上陸してきたわけですが、実は海の中を見わたしてみると地球全部の中で、水の中でもっとも繁栄している生物というのは魚と貝類なんですよね。いちばん種類が多いですから。一方、魚が重力に逆らって陸地に上がった。理由はともあれ陸地に上がって、急に陸地に上がったために凄く活動領域が広がったわけですが。でもよく陸地を見ると、いちばん繁栄しているのは人間と思っているけれど、宇宙から見ると人間の個々はもちろん見えないし、とにかく侵食している様子は見えるけれど、でも種として見るといちばん繁栄しているのはひょっとして昆虫なんでしょうね。いろんな種があります。昆虫とか恐竜とかいろいろ過去にいたわけですが、どういうわけか急に大空を飛べるようになったんですね。空を飛べるようになった。どうして飛べるようになったのか、それもよくわからないんですね。空っていうのは、きっといちばん繁栄しているのは鳥でしょうね。魚、昆虫、鳥。人間は海にも潜れますし、もちろん地上で歩いていますし、いまいろんな他の植物や動物を採ったり大威張りですが、空も飛行機で飛んでいますが、根本的に恐らくいちばん繁栄しているのは、鳥なんか自由に飛び回りますから、自分の体で、大空っていうのは結局鳥のものだろう。人間は何かというと、彼らにできないものができたというのが宇宙なんですね。その時に自分自身の意義付けが、だんだんできたきたんじゃないかと思うんです。
とにかく遺伝子を考えると、ずっと連続的に地球上の生物は同じ遺伝子で進化してきて、種が増えて、しかしいま宇宙に行ったのは、同じ遺伝子を持つものの中で人間だけなわけですね。そうすると本当の活躍の場というのは、人間の活躍の場は、地球の生物の中で、宇宙なんじゃないかな。そういうことを目指して、宇宙は夢があるとか、挑戦しがいのある所だとか何とかいいますが、結局そういうところに帰するんじゃないかな。そうじゃないと、こんなにワクワクさせて宇宙を目指せないんじゃないかなという気がしました。したがって種としての人間としてこれから進出しなければならないのは宇宙であるという結論があるわけです。今月のテーマは「大空」なんですが、最終的にはなぜ人間が宇宙へ展開するかというところまで突き詰めたいと思っています。
ところで、無重力で、私たちの体はそれに適応するために作られていないと実感しましたが、宇宙に出た場合、しかし無重力なんです。重さがない世界でどのように生きるか。それは人工重力を作ればいい。あるいは、ある程度は恐らく人間も無重力で生きていけます。時には無重力の方が非常に心地好いこともあります。寝たり、負担がなくなったりする時には心地好いんですが、だんだん変わっていくと思いますが。とりあえず、宇宙に出るということがわかった。その時に足掛かりとして、無重力というのは恐らく旅行する過渡期的な期間だけが必要であって、当面は足場を地につけたような場所が、きっと宇宙に進出する時にも必要じゃないかという気がしまして、それは次のステップが月だろうなと直感的に感じます。地球は1Gで月は6分の1Gで、ずいぶん違うじゃないかという方がいるかも知れませんが、ほんの少しでも、私の感覚では0.1Gから0.2Gくらいだともう、ほとんど私たちの体は感覚的にあまり混乱するようなことはないと思います。ですから月は、そういう意味でこれから宇宙に私たちが展開していく時に、いちばんベースになり得るだろうと思います。これは有人が進出するという時ですが。無人とか有人とか先ほどからいっていますが、私にとって無人というのは単なる過渡期で、別に有人とか無人とかいうことを意識して、それはその時々に応じていちばん目的を達成するような方法を取ればいいので、無人の方がお金がかりそうだったら有人でやる時があるのかも知れませんし、新しいものが有人によって発見できそうな時には有人の方が有利かも知れませんし、それはその時々で考えればいいことだと思います。
それでは日本は何を目指すかというのが、先ほどから的川先生の、私たちに対する質問ですが、それはあまり皆さん具体的に答えていなかったような気がするんですが、それは里中さんに代表されると思うんです。他の国の、私はロシアとかアメリカの宇宙飛行士とか知っていますが、彼らの意識は我々といっしょだと思います。宇宙に出たい、宇宙で仕事をするというのは、日本だからどう、アメリカだからどうというのは、みんないっしょです。だから日本独自の宇宙進出っていうのは、あまり考えなくてもいいんじゃないかと思うんですね。宇宙進出というのは地球から脱出するということですから、それは全人類の観点でいいと思うんですが、なおかつそれを効果的に行うためには、それぞれの特徴を出すということですね。たまたまいま日本は、いろんな意味で、余裕という意味は経済的な意味ではなくて、考える余裕とかサイエンティフィックなレベルとか文化的なレベルとか、そういうものを全部含めて、宇宙を考える余裕があるんじゃないかと思うんです。いままではアメリカとかロシア、ソビエトだったんですが、それは地球的規模で考えると、行えるところが行う、いちばん余裕があるところがやるということだと思うんですね。そういう意味で日本が、いままさに宇宙に行くということを考えて、それを実行すべき、地球の中で選ばれたひとつの国じゃないかという気がします。
で、私たちの特徴は何かというと、先ほど里中さんの「私も行ってみたい」という気持ちが他の国民に比べると誰よりも強いんじゃないかと思うんです。同じ経験をしてみたい。私も自分で凄く面白い経験をしましたから、皆さんにもぜひ行っていただいて、新しい経験をできるだけ皆さんに分かち与えようという気持ちが、いまは向井さんがありありですね。新しいことをまた皆さんに言ってくださると思いますけれど。そういう意味で日本というのは、たくさんの人が同じ経験を積んで、大衆化路線というと聞こえが悪いんですが、そういうかなり均質な人たちがいて、高い、ある程度それを享受できる人たちがいるということで、できるだけ宇宙にはたくさんの人たちが行くということが日本の役割と目的だと思います。
的川: ありがとうございました。というように毛利さんは語りました。毛利さんは宇宙両生類ではないということがハッキリしました。毛利さんはサインをなさる時によく「宇宙の中の地球人になろう」と言葉を書かれるわけですが、NHKの番組に出る以前から、宇宙から帰ってきてすぐにそういう意識を持ったというのが、サインにもよく表れています。高柳さん、今度の毛利さんの番組、視聴率高まりますよ、いまので。
というように、いろんな意見が出ましたので、パネルディスカッションのコーディネーターって結構たいへんなんですよね、これからどうやって組み立てるかということなんですが……。いずれ月のことは月が主人公になりますが、月ということを語る前に、よくあるディスカッションで、特にジャーナリズムの方、予算・お金のことを担当する方と話していて出てくる言葉は「いったい、国民とか少年少女は宇宙へ行きたいと本当に思っているのだろうか」と。ですから、日本が有人飛行のための技術を磨こうなんて話が出ますと、そんなことをしたら国民から反対が出るに決まっているよという意見が出るわけです。そこでいつも水掛け論になるのは、いったい世論というのはどうやって測っているんだろうとうことなんですね。目に見える形でグングングングン、ジャーナリズム関係の方が書いてくだされば、だいぶ違いますけれど、我々の考えている実感を、いまのところ話し合ってみる以外にないと思います。
恐らく秋山さん、毛利さんのおふたり、子供たちにいろんなお話をされる機会がいままでも多くあったと思いますので、現在の日本の子供たち、あるいは国民の、自分たちも宇宙へ行きたいというところでの実感ですね、期待感がどんな感じなのか、お話しいただけないでしょうか。
秋山: 私の感じ、経験からいうと、宇宙に行きたいという人と宇宙飛行士になりたいというのは、全然別なんですね。宇宙飛行士になるってのは割が合わない。10年待って、あるいは20年のうちに2回とか3回とか、これを商売にするんではたまらないなぁ、これを結構みんな知っているんですね、子供たちは。だけど宇宙には行きたい、これはあるわけです。ですから先ほど申し上げました、日本も、毛利さんは独自でやらなくてもいいというお考えのようですが、私は日本独自の技術を開発し、それが周辺に流れるような形にし、それによって宇宙観光旅行ができるような形にする、ということがポイントだなと思う理由は、宇宙飛行士になったあの人たちは特別なんだとか、確かに夢は与えます。与えるけれど自分たちが行けるということでないと「あ、そうかいな」と、こういうことでしかないわけですね。ですから私の実感としては誰でも行けるような宇宙空間、誰でもというかほとんどの場合、アメリカのスペースシャトルには相当の年配の方も乗っているわけですから、技術的には楽しむための旅行ならそんなに難しくないと思っています。そういう意味でいうと、まず独自の技術がないとアメリカとかソ連とか、いまそれこそαの計画にしても、アメリカとソ連ががっぷりと組んで、その周りに日本やヨーロッパがぶら下がる感じ、これ何となく悔しくてしょうがないんですよね。なぜ悔しいかというと冷静な感情じゃなくて単純に悔しいんですよ。これは割合わかりやすい部分だろうと思うんですよね。自分たちに独自技術がないと、トレードといいますか、一人前に扱ってもらえないんじゃないかなという感じがします。ですから独自技術を開発することによって、日本がある程度、優位というか対等な立場に立ち、その技術を民間に流せることによって、さらに裾野を広げるという感じがします。最初の的川さんの質問からちょっと逸れたんですが、私の、子供とかいろんな人たちと話している経験からいうと、誰でも行けるような宇宙旅行ができるという。宇宙飛行士になるというのと宇宙旅行に行けるというのは、意識の中に明確な差があるんじゃないかと。
的川: 日本の独自技術という話は後ほど展開したいと思いますが、毛利さん、自分が宇宙へ行きたいという期待について、皆さんと接せられた感想を。
毛利: 秋山さんがおっしゃられたのと本当に同じですね。宇宙に行きたいけれど宇宙飛行士にはなれないだろうと思っている人がずいぶんいるわけですね。それはどうも我々の方に責任があるようで、いまスペースシャトルに乗る限りにおいては、まあ誰でもだいたい行けるんですね、健康とかそういう意味では。ただ何をするかというところで専門性を持っていなければいけないとか、あることをなし得るために宇宙に行くわけですから。それ以外ですと、物凄く宇宙に皆さん興味を持っていますし、誰でも、子供の手を挙げさせると60%は宇宙に行きたいということで、あとの行きたくない人は怖いから行きたくないということであって、本質的に宇宙に行きたくないというのは違うようです。途中のプロセスが、チャレンジャー号の爆発とかがあって怖いからという意味です。
秋山さんはあたかも、私は日本独自の技術は必要ないと解釈されているかも知れませんが、そうではなくて全体的に見ると、地球から人類が宇宙へ出て、宇宙開発に関しては日本だけということはあまり考えなくてもいいんじゃないかということで、しかしいま日本が、世界中の中でそういうチャンスを与えられている、リーダーになれる余裕がある立場にあるから、日本がいま率先してやるべきだということで、日本が有人をすべきではないという意味ではないです。
的川: 後ほど詳しく、その話は。そうですよね、ジェットコースターに乗りたくないという人を無理矢理乗せると、ジェットコースターが大好きになる人がいますので。宇宙も恐らく、怖いけれど行ってみるとたいへん好きになるという可能性はたいへんあるんじゃないでしょうか。
おふたりのお話だと宇宙へ行ってみたいという人はたいへん多いということですが、里中さんはいろんな講演会とか、いろんな方と接せられていかがですか。
里中: その質問からはちょっと外れるかも知れませんが、宇宙に子供たちが行きたがるからこそ価値があるとあまり考えちゃうと、やはり多くの賛成がなければできないとか、みんなが納得しないとできないということになっちゃいますので、そうすると、いま子供たちは義務教育を受けていますが、いったいあの中の何%が勉強したくてしているんでしょうか? となるんですよね。日本は国を挙げて、嫌がる子供たちに無理矢理勉強を押し付けて、それが子供にとって必要だし、絶対最低限これだけは知っていなければいけないんだよという親心で、国ぐるみで教えているわけですよね。宇宙開発も、それといっしょにするのは乱暴ですけれど、やっぱり必要だからこそやるというのが前提ですから、子供の中で20%ぐらいでも行きたいって子があればそれでいいと思うんですよ。いまやっぱりまだ宇宙というのを特殊に見過ぎていますので、だから50%、60%、いや70%の子が行きたいといわなければ、なかなか難しいんじゃないかなという厳しい基準を設けちゃっていますが、これがもうごく普通のレベルの話になれば、20%の子供が「行きたいなぁ」、残りの30%ぐらいが「そんなにお金がかかんないんだったら行きたいし、他の遊びの邪魔にならないんだったに行きたいな」とか、いろいろあると思うんですよね。だからおっしゃったように、私もつくづくいま、秋山さんと毛利さんがおっしゃって感じるんですが、宇宙には行きたいけれど宇宙飛行士なんか絶対なりたくもないしなれないと思い込んでますが、それはやっぱりいまのお役目がたいへんだからで、それでも宇宙飛行士になりたいって子供たちがいるんだから、なかなかいいなぁと思いますけれどね。
的川: 先ほど立花さんの話にありましたね、4位か5位くらいに職業として宇宙飛行士になりたいと、アンケートを取るとそれぐらいあるみたいですね。
あまり過半数でものを決めてはいけない。子供を育てるのに、そうですよね、大勢の人が賛成しているからというのではいけない。たいへん貴重なご意見をいただきました。
それで、人間が宇宙へ飛び出すうえで、ひとまず日本の役割は置きまして、月というのはどういう対象なんだろうか。月というのは我々の活動の目標になり得るんだろうかということが、今日のパネルの非常に重要なテーマだと私は思っています。秋葉先生の基調報告にもありましたが、南極にアムンゼンとかスコットとか、そういう人たちが行って、そのあと、国際地球観測年で南極観測が再び浮上してくるまで50年くらい、リターン・トゥ南極というのが50年くらいかかっているんです。月については25年で帰ってきたということで、同じようなケースを考えてみると、アポロでアメリカが人間を運んだあと、同じような形で我々は目指すのではない。長期ヴィジョンの中の表現ですと、一過性ではなく計画的・段階的に積み上げていく活動として月へ戻るのだという記述があるわけです。ここのところで、同じ月へ戻るにしてもレベルの違いが多少あるし、日本人としての考え方の違いもあるかも知れません。ただもう少し素朴に、宇宙へいったん出た人として月というのは行ってみたい所なのかどうか、感情的なところを秋山さんと毛利さんにお聞きしたいと思います。
毛利: 感情的にというか、月だとだいぶ楽だと思いますね。いろんな活動が地球と同じように、もちろん宇宙服を着ていますが、地上と同じようなサイエンティフィックな仕事ができると思います。
的川: それはGも多少あり、足場もあり……。
毛利: はい。でも逆に月に行くことによってマイクログラビティの実験が全然できないだろうなという気もありますが、それは目的によって違いますね。でも単純に、月にやっぱり行ったみたいというのは、スペースシャトルからいくら頑張ってみても地球全体が見えないわけですけれど、私いちばん本当にアポロの写真集の中で感動するのは、地平線じゃなく月平線に沈む地球ですね。その写真に、もっとも言いようのない感動を覚えますので、あれを自分の目で見てみたいという目的で行きたいと思います。
秋山: 毛利さんが言ってる通りスペースシャトルだと地上300kmですよね。ミールステーションでも400kmですよ。地球が見えるといっても弧を描いている地平線が見えるだけです。決して丸くは見えない。それこそ36000kmの通信衛星くらいまで行けば丸く見えるでしょうが、月に行けば38万kmですからね、手のひらに乗せるような感じで見えるだろう。つまり自分が生まれ育った星を手のひらに乗せる感じで見たら、どんな感じがするのかなぁ。そういう意味でいうと、月面に降りなくてもいいんですね。アポロ11号までいかなくても、その前の号でグルっと回って帰ってくるのがありましたが、それでも私は満足できると思います。

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