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月探査機
日本の月着陸探査の歴史

■「かぐや」でも計画はあった
日本の月着陸探査研究の歴史は、実に1990年代後半までさかのぼります。
この当時、日本は当時の宇宙開発事業団(NASDA: ナスダ)と文部省宇宙科学研究所(ISAS: アイサス)とで、合同の月探査計画を進行させていました。後に「かぐや」(SELENE: セレーネ)となる月探査です。
当時、NASDAは月探査には技術面を、ISASは科学面をメインとする、という前提がありました。当時の日本の宇宙開発は、応用(実利用の人工衛星など)の開発をNASDAが、科学面をISASが進めるという政治的な枠組みがあったため、両者ともその枠から外れないようにしながら協力して月探査を進めていったのです。
この月探査の中で、NASDA側が技術面として提案したのが、月着陸でした。当時の計画では、周回衛星がミッションを終了したあと、周回衛星に搭載されている「推進モジュール」(推進といっても、周回軌道の高度を維持するためのエンジンが搭載されているものです)が切り離され、自動で無人月着陸を行うという計画になっていました。
この計画は、初期の「かぐや」のイラストにも反映されています。
しかし、この無人月着陸計画はキャンセルされてしまいます。理由は、1998〜1999年に発生した、H-IIロケットの連続失敗事故です。
相次ぐロケットの失敗は、当時H-IIロケットを運用していたNASDAの存続をも揺るがす事態となりました。そのため、NASDAは組織の総点検を実施します。この中で、当時進められていたミッションについても全て総点検が行われ、「なるべくリスクを犯さないようにする」という方針が立てられました。無人月着陸についても「リスクが大きい」という判断が下され、この部分は計画から削除されることになったのです。

1998年頃の「かぐや」構想
1998年頃の「かぐや」のイラスト。探査機後方(右側)に搭載されている足の出た部分が「推進モジュール」。この部分が切り離されて着陸する計画になっていた。月探査情報ステーション「かぐや」のギャラリーより。

■セレーネBへの進化
しかし、月着陸技術は、周回探査の次に必ず必要になる技術です。また、単に着陸するだけではなく、その周辺をローバーで探査することによって、より広い範囲を精密に調べることも可能となります。従って、技術開発としてはあきらめてはいけない内容なのです。
キャンセルとなってしまった無人着陸実験を発展させる形で、技術的な検討として始められたのが「セレーネB」(SELENE-B)計画です。
このセレーネB計画ですが、当時はまだ日本の宇宙機関は現在のJAXA(宇宙航空研究開発機構)として統合されていなかったこともあり、当時存在した3つの宇宙機関、すなわち、NASDA、ISAS、そして航空宇宙技術研究所(NAL)の3機関の共同で行われていました(後述するパンフレットにも、この3機関の名前が出てきます)。
この計画が「B」と呼ばれた点は興味深いところです。このように「AとB」という使い分けをするのは、通常同じロケットで打ち上げられた機体の個々の部分についてですから、この「B」という名称には、まだ「かぐや」(セレーネ)の一部が残されたものという意識が残っていたのかも知れません。
セレーネBは、当時のパンフレットによると、打ち上げ時重量が約2トン、着陸機(ローバー含む)自体の重さが520キログラム、大きさは高さが約3メートル、長さ・幅も3メートル強という、立方体に収まるような形のものでした。この大きさは、2013年に着陸した中国の探査機、嫦娥3号(着陸機が約1200キログラム、ローバー重量が120キログラム)と比べるとほぼ半分の大きさです。
探査内容としては科学的な観点も重視されました。当時は、月探査機クレメンタインの成果が出てきた頃で、月のクレーターの中央丘に、月内部の物質が露出している可能性が指摘されていました。そのため、セレーネBでは、このクレーターの中央丘にローバーで探査を行うことを目標に検討が進められました。
クレーターは傾斜があり、内部も平坦ではない場所もあります。また、中央丘は山となっていて、無人で着陸させるには技術的な難しさを伴います。無人で着陸させるためには、障害物が少ない、比較的平坦で見通しがいい場所が好ましいからです。そこで、着陸機は中央丘の近くの着陸に適した場所(これは周回衛星により得られた写真や地形データであらかじめ選定します)に着陸し、そこからローバーで中央丘に向かい、岩石を採取したりその場で分析したりするミッションが想定されていました。
また、科学的な目標を達成するため、高精度な着陸を必要とすることも計画には明記されており、当時すでに「ピンポイント着陸」という目標が設定されていました。

■セレーネBからセレーネ2へ
こうして科学者や技術者が計画を推進してきたセレーネB計画ですが、大きな壁が待ち構えています。予算でした。
折しも、日本の宇宙機関の統合が行われ、かつてセレーネの検討を共同で実施してきたNASDAもISASも、宇宙航空研究開発機構(JAXA: ジャクサ)という1つの組織に入ってしまいます。しかも、統合直後のJAXAは、地球観測衛星の故障、火星探査機「のぞみ」の失敗、そして1100億円もの費用をかけた情報収集衛星を搭載したH-IIAロケット6号機の打ち上げに失敗し、世の中から大きな批判にさらされます。当然のことながら宇宙開発予算も減少していきます。
こういった逆風の状況の中でもプロジェクトを進めていくためには、より費用が安い…すなわち、小規模な計画を立てていくしかありません。そこで、無人月着陸のキーとなる技術、特に地形判断技術を実証するために小型の月着陸機を打ち上げる計画と、その技術を活かして、科学的な内容も含めた探査を実施してくという2つの計画を並行して検討する形になりました。
前者の計画はその後「スリム」(SLIM)として発展していき、後者の計画は、名前も「セレーネ2」と改められます。
地形判断技術は、下りる場所について高精度に判断する技術です。ただ下りられる場所に漫然と下りるのではなく、予定していた場所にできるだけ正確に下りる技術を実証します。また逆に、その場所(の周辺)に大きな岩やクレーターなど、事前のチェックでもみつけられなかった危険な地形があった場合には、それを探査機の判断によって避ける技術も必要です。スリムではこのような技術の実証を重点に開発を進めていく予定です。

■セレーネ2プリプロジェクト化、そして次のステップへ
名前は改められたものの、セレーネ2の考え方はセレーネBとそう大きく変わるところはありませんでした。科学的探査のためにピンポイント着陸を行い、ローバーで科学的に重要な地点を探査するというコンセプトは、セレーネBとほとんど同じといってよいでしょう。
セレーネ2は、その後しばらく停滞の時期を迎えました。この段階では、月探査衛星「かぐや」の開発が進められており、人員や予算などをこの「かぐや」に優先的に割く形をとったため、検討が遅れてしまったのです。
それでも、2007年にはプロジェクトの前段階の「プリプロジェクト」という形に昇格し、実現に向けての検討が進められてきました。
ただ、この8年間、打ち上げに向けての予算がなかなか確保できない、あるいは次の段階であるプロジェクト化に移行できないという形で進んできてしまいました。
セレーネ2は2015年3月末でプロジェクトとして終了しました。現在(2015年10月)では、スリムについては実現に向けてのJAXA内検討が進行しており、また新しい月探査計画として、月の極域への着陸が科学者・技術者の有志により検討され始めています。



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