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編集長倉敷講演・2010冬 (その2)
〜編集長、「あの神社」に行く〜

「あの工場」といえば「あの神社」も忘れることができませんね。
2009年11月、地球帰還を目の前にした「はやぶさ」のイオンエンジンが全機停止、まさに「絶体絶命」のピンチが訪れました。最終的に、組み込んであった回路を使って、壊れていたイオンエンジン2機の生きている部品を組み合わせて運用するという離れ業で、このピンチを脱出するのですが、このトラブルの中で、有名なエピソードが生まれました。
川口淳一郎先生(プロジェクトマネージャー)が、イオンエンジン復活を願い、とある神社を訪れた、というものです。その神社は、岡山県真庭市にある、「中和神社」。
イオンエンジンには、電気的に中性にして燃料のキセノンガスを噴射するための「中和器」と呼ばれる部品がありますが、それの復活を願い、「中和」神社にお参りをした、というわけです。なお、中和神社は正確には「ちゅうかじんじゃ」と読みますが、その辺のことはどうでもいいですね。
岡山にあるもう1つの「はやぶさ」ゆかりの場所、中和神社に、さらに行ってみることにしました。以下、編集長の中和神社探訪記です。


中和神社は、岡山県真庭市の、かなり山に入ったところにあります。しかし、事前に調べていかないと、どこにあるのかなかなかぴんと来ません。
この写真の真ん中の左あたりに、実は中和神社がありますが、わかりますか? ちなみに、右側に大きく移っている建物は中和小学校です。もちろん、「ちゅうかしょうがっこう」と読みます。
中和神社の入り口の鳥居を撮影する編集長。鳥居の奥に、中和神社の社殿がみえます。さて、この鳥居と社殿の間にある広い敷地…なんだと思いますか? 実は、中和小学校の校庭なのです。つまり、鳥居をくぐって中和神社本殿へお参りするためには、この小学校の校庭を突っ切っていく必要があります。
訪れた時間帯は生徒さんたちが校庭にいなかったのでいいですが、体育の授業とかの際に渡っていくのはちょっと勇気がいりそうです。
社殿に到達しました。まずは外側からお参り。みるとおわかりの通り、あまり大きくない神社でしたね。
正面から捉えた中和神社です。確かに小さいお寺ではあるのですが、構えはしっかりとしていて、古さも相まって風格があります。
ちなみになぜ、「中和」というかですが、このあたりには、上和、中和、下和という3つの集落があります。明治時代に集落が再編されたとき、合わさったという意味で「和」という漢字がついたのだそうです。
社殿に掲げられている中和神社の看板。この「和」の字に風格がありますね。
ありがたくお参りさせていただきました。基本的に「いろいろな」御利益のある神社ということで、さて、その成果は…?
さて、川口先生も授かったお札ですが、もしもらおうとすると…こういうことになります。
一応、近くの商店か市役所の出張所でもらえることになっていますが、うまくいかないともらえないかも知れません。「これなかったらお許し下さい」という何ともアバウトな(失礼)張り紙が笑えます。皆さんもお札をもらう際にはあらかじめご連絡を。なお、私の場合には、ご手配をあらかじめいただいておりましたので、無事、お札をいただけました。
少し離れて中和神社の社殿を撮影してみました。社殿の裏には大きなケヤキ(確か)の木が5本立っており、これが社殿よりも明らかな中和神社の目印になっています。この木が神社そのものの歴史を感じさせます。
お賽銭箱です。そして、せっかくなので、先ほどの工場見学の際にいただいたリポビタンDをお供えしてまいりました。さらに、はやぶさ君と一緒に記念撮影であります。
社殿の隣にあるおうちに入りまして、こちらでご記帳をしてまいりました。お寺の宮司さんともご一緒させて頂き、しばし暖かい部屋の中での暖かい時間を過ごすことができました。
それにしても、岡山のはるか山の中の小さなお寺が、宇宙開発とつながっているというのも、たいへん不思議な縁であります。こういう縁があることを喜びながら、お寺をあとにしたのでありました。


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