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> 月を知ろう > 月に関する研究発表 > シンポジウム「ふたたび月へ」 > 第2回シンポジウム(1994年) > 7.パネルディスカッション
月を知ろう

月に関する研究発表
7.パネルディスカッション
司会: 宇宙科学研究所 的川泰宣
パネリスト: 宇宙開発事業団 岩田 勉
科学館 総合プロデューサー 三明大蔵
NHK 高柳雄一
漫画家 松本零士
宇宙開発事業団 向井千秋


的川: うーん。向井さん、いかがですか。
 
向井: 私は国際協力の考え方が、例えば日本とかアメリカとか考えた時に、有人ということを1つ考えると、日本は確かに有人のロケットはないと思うんです。でもH-IIをはじめとする無人の素晴らしい輸送手段があるわけですし、1つの国際協力のプロジェクトの中で、各国の持つケーパビリティ、各国の持つお金の負担額、そういったことを踏まえて自分の国だけがもらうというだけじゃなくて、何が自分たちが国際社会の協力できるところでギブしていけるのか、出していけるのか。ギブアンドテイクの世界ですから、もらうことがあれぎ必ずギブしなくちゃいけませんから。そういったことを考えなくちゃいけないと思うんです。そうした意味で、必ずしもいまスペースシャトルと同じような有人のロケットを作る必要はないと思うんです。だけど現在日本が持っている技術力、それを支えている産業力といったもので、国際社会に貢献していけばいい。  私は無人でも有人でも構わないと思うんです。その時の時代とその人たちの国、その人たちが持っているお金の問題、コンセンサス、そういったことがありますから。だけど私たちが忘れちゃいけないことは何かというと、やはりいつかは月に自分が立ってみたいと。そういう気持ちを持ってなければ、絶対に開発はしないと思うんです。先ほど岩田さんが、これ宇宙開発事業団同志が議論していてもしょうがないと思うんですが、技術力、例えばクルマを考えた時に、行きたい場所があるからクルマを開発するのか、あるいはクルマが大好きだからクルマを作って、別に行きたいところはないというふうにするのか。やはり多くのエンジニアの人たち、現在はモノを作ってしまうことが先行してしまっていて、そしてそのあとにそれをどう使うかという運用の面で苦労していることが多いんだと思うんです。だから、そういう意見が出るんじゃないかと思うんです。
本来はそれは逆だと思うんです。それは一部の本当に限られた技術開発とか、そういうところではそういう世界では通じると思います。だけどこういう大きなプロジェクト、なおかつ国民、世界中の人たちがいっしょになって力を合わせてやらない限りはできないプロジェクトですし、私は宇宙というのは、月も宇宙の空間もそうですが、地球とか空気、水、そういったものが人類、動物を含めた共有財産であるのと同じように、宇宙開発をやっていようとやっていまいと、どんな国の人にとっても月っていうのは1つの共有財産だと思うんですね。
そういうことを考えると、国際協力というか、みんなのコンセンサスが得られなければいけないと。コンセンサスを得るという段階にくると、やはり何かロケットだけ作ってというふうなものでは人は動かないと思う。何が人を動かすかというと、みんなが月に行けるんですよ、みんながいつかは月のホテルから地球を見て「地球見酒」を飲める時代がくるんですよと、いうふうなことがない限りはダメだと思うんですよ。
先ほど松尾先生がおっしゃっていた、何のために行くかをハッキリさせなきゃいけないっていう、それは現時点ではそうだと思います。なぜかというとお金が少ない中で、みんなが協力しながら宇宙開発やってますから、そこから、かけただけのプロダクトを取らなきゃいけない。そういうことでやらなくちゃいけないと思います。だけど将来は宇宙が1つの観光、例えば月に行ってみたい、そこに行って自分の視野を広げたい、そういう使い方でもいいと思うんですね。そこがたぶん、まだまだ宇宙開発っていうのは、技術者の人たち、あるいは非常に限られた人たちにだけにいまアピールしようとしているところがありますが、やはり多くの人たちが、文科系の人たちを含めて、地球から宇宙を見て楽しむ人もいれば、宇宙に行って、宇宙から宇宙、あるいは宇宙から地球を見て楽しむ人もいる。見て楽しむ人もいるでしょうし、先生みたいにいろんなマンガを描かれたり、小説を書かれたり歌を作ったり、そういう人たちも出てくると思うんです。そういった意味で、より多くの人が共有財産として使えるってことがわからない限り、コンセンサスはまず得られない。コンセンサスが得られなければ、こういうお金のかかる大きなプロジェクトっていうのは推進できないと思うんです。
そこら辺が、いくぶんかでも私が自分の個人の希望でも月に行ってみたいと思いますので、あと私はたかだか300kmの高度ですが、そこから地球を見てみたら、自分が住んでいる素晴らしいホームプラネットというのは、そこから一回離れて見ない限り、いいところに住んでいてもわからなくなってしまう。そういうことを考えると、本当により多くの人が行きたい時に、その人の目的に応じて行ける、そんな時代を宇宙開発っていうのは提供していかなきゃいけないと思うんです。そういう意味で私は、有人のロケットをいますぐ作るというお金もコンセンサスも日本にはないけれども、いつかはそういうものが日本のいろんなところから発着し、ロケットが日本に帰ってくる、いまの飛行機と同じような、そんな時代が来るってことをいつも頭に置いて開発していかないといけないんじゃないかなぁっというふうに、これ夢的ですけれど思っています。
 
的川: ちょっと思い出したことがあります。フォン・ブラウンっていう人は、もちろん皆さんご存知ですよね。日本にいらしたこともありますよね。いろんな話をされたんですが、ペーネミュンデでV2というロケットを開発している当時、ナチスの傘下でやっていて、そういう話をずっとされたあとで、会場から、NHKホールかどこかだったと思いますが、質問が出て、戦時中、ナチスの支配下で戦争に協力しているってことで、良心の呵責ってのはなかったですかと質問が出ました。時代の背景も踏まえたような質問ですが。そうするとブラウンさんは「月へ人間を運びたかった。小さい頃は自分が行きたかった。月へ行くためだったら悪魔に魂を売り渡してでも私はやっただろう」という発言をされたのが、たいへん強く記憶に残っているんです。いま向井さんがいわれた「いつかは月へ行ってやるぞ」という動機づけ、心の中に強い感情が続いていれば、必ず願いっていうのは叶うだろうっていうことをいってらっしゃるのかなというふうに聞きました。
天才と凡人の違いは、すぐ忘れるかどうかだって話がありますが、あのアインシュタインが浪人中に、光といっしょに旅行をしたら、その光はどういうふうに見えるかなとフっと疑問に思って、その疑問を一生持ち続けたそうですけれど、普通の人はハっと思いついて、明日にはすぐ忘れてしまうわけですよね。そういう他愛もないことでもずっと持ち続けることが天才の条件だといいますが、そういう思いをわれわれは月に関して共有できるかどうかっていうのが、ここに500人くらいの方が参加していただいて、今後どういうふうに持ち続けていくかってことは、たいへん大きな課題というふうに思います。火種はあるんだと、先ほど秋葉先生と五代先生の対談の中でおっしゃいましたけれど、その辺を少し、日本人の心の中の月への火種っていうんですか、そういうものを少し掘り下げてみたいんですが。
月というのは、先ほど「かぐや姫」の話があって、それから望遠鏡で月を見るという、だいたい子供はそういうルートをたどるんだそうですが、そのあと、どんなことがあるんでしょうか。ウサギが餅つきをしているっていう話は日本に独特のことですね。それから「名月赤城山」まで行くとちょっと違う領域になりますが、そういった日本人にとっての独特の月に対するイメージがかなりあって、よその国に比べて日本人っていうのは月をたいへん大事にしているように私、思うんですが、よその国のことがよくわからないもんですから、その辺のことを三明先生にちょっとおうかがいしようかなと思ったんですが。日本人にとっての月って外国と比べて、どんな違いがあるか。
 
三明: 的川先生が、この貴重なパネルに参加してくれないか、月のこと、僕は科学者でもないし、57年振りのホームカミングですから。ちょっと考えてふと覚えてきたのが、この歌はカラオケもないので歌えませんが「雨降りお月さん 雲のかげ お嫁に行く時ゃ誰と行く ひとりでからかさ さして行く からかさない時ゃ何で行く しゃんしゃらしゃんと鈴つけた お馬に揺られて濡れて行く」。それでちょっと考えてみて、雨の日で、そして雲もあるし、月は見えないということですね。それと同時に女の方が、からかさなしに馬に揺られてしゃんしゃらしゃんと濡れて行くという姿、イメージが、非常に何か思ったよりも深いところで揺れるような気がしたんです。いま向井先生もおっしゃっていることは、個人個人の心の中の問題だと思うんです。それでマッカラム先生もバイオスフィア2のいろいろな技術的・経済的な問題があって、それを科学者たちが共同して、2年も住んでいらっしゃって、いまここにいらっしゃっているんですけれど。いちばんのクリティカルな問題は、人間どうしのリレーションシップであるとおっしゃって、その問題も実をいえば個人個人の問題だとおっしゃいました。マイケル・コリンズも、孤独ということをいまさっきいった「Carrying a torch」、「灯火を掲げて」の本の中で、彼は自分の孤独のことを話さないで、チャールズ・リンドバーグからいただいた手紙と電話でお話したことを記しています。 リンドバーグは「アームストロングとオルドリンが月の上に着いたことは素晴らしいことであるが、本当にものすごい体験をした方は、あなたである。それはなぜかといえば、独りでグルグル回っていたこと。それは私も大西洋を独りで渡った時の体験である」とおっしゃった。そして的川先生から昨日聞いたことは人間どうしのお話なんですけれど、有名なゴダード先生が非常に金に困っている時に、リンドバーグが金を出してくれたそうです。それを僕ははじめて聞いたんでビックリしたんですけれど。それからロシアのチオルコフスキー。9つの時に病気で耳が聞こえなくなったということを的川先生の本の中に読んだんですけれど、9つで耳が聞こえなくなった人間が、耳が聞こえなかったから、いまの燃えた心というものが成り立ったんじゃないかと思います。それと同時に考えたことはヘレン・ケラー。5歳の時に耳が聞こえなくなり、目も見えなくなった方が大学者になり、素晴らしい人間になった。孤独の問題かも知れません。孤独ということが、自分の心といっしょになるというのが根本的なものであるかも知れないと思っています。
 
的川: はい、ありがとうございます。視点がやはり深いというのか。零士先生いかがですか、いまのご意見。
 
松本: やはり自分の心の中にある月ということになりますと、どうもアポロ11号が月に降りたあとの月と、その前の月とでは著しく変わってしまいました。われわれの上の世代でも、文章で書かれたもの、口で語られたもの、いろんなことで月に願をかけるとか「月よ、われに七難八苦を与えたまえ」とか、いろいろあるわけですね。信仰の対象物に近い形で、月というのは自分の願望を訴える場所、祈りを捧げる場所のような気がしていたんです。ところが私自身も、めでたく新聞社をクビになった時に、ちょうど月が出ておりまして、電車の中から見えてたんです。いつかあの月を笑って見る日がくるだろう、いつか見とれ、あの編集長とかそんなことを考えていたんですね。それが宇宙飛行士の足跡がいっぱい付いてから、願をかけようとすると「あそこにはアメリカ人の足跡がいっぱいあるのか」と思うと願をかける対象物でなくなったんですね。そこら辺のビルと同じような印象を受けるようになった。そういう神聖な感じは吹き飛んでしまった。人が行く場所だと。ここのところが月にかける思いというので、ロマンチックな感情を持っていたのが、人間が月へ到達以前の月とそのあとの問題がものすごい落差になって迫ってきました。もう願をかけるという対象、女性でいえば想いを寄せる対象でなくなったんですね。
ですから、これから先は月というのは、自分たちの居住圏を広げるような、要するに住むべき場所というような非常に現実的な印象になってきた。いまでも月を見て拝む人がいるだろうかなぁという気がするんです。人間は地面に向かって拝みませんよね、どういう宗教であっても。アフリカに1つあると聞きましたけれど、足元を見て願をかけるというのはありませんよね。どういうわけだかみんな、星空なり空なり月を見てブツブツ都合のいいことをお願いしますよね。ですから上を見上げるというのは本能なんですが、こと月に関しては著しく変貌してしまって、人間の心の中の対象としてはもう物体化したと思うんですね。今度は居住圏の一部分ですね。地球の共有の領土の一部分みたいになってきたんで、これから先の子供たちの考えとかずいぶん変わるんじゃないかと思っています。
私自身も必ず行きたいと思っているんですよ。ややアナタ任せで連れていってくださいとお願いするんですが、盛んにゴマをすっているのは、いずれ奇特な人がいて、あいつを連れて行きゃ喜ぶだろうってんで連れて行ってくれるかも知れないと思うんですが、それと同時に月、あるいは宇宙空間へ出て、自分自身のいない地球をこの目で見たい。向井さんはそれをご覧になったんですね。非常に羨ましいと思う。われわれはどんな写真を見ても映像を見ても、あの中に自分がいるんですね。ちょっとに情けない。1つくらいは俺のいない、死んだあとでは、これは嫌ですけれど、1つくらいは自分のいない地球を見たいという願望は強烈にあるんです。月まで行けば見えるだろうと思うし、私は自分の考えとしては、間に合うと思ってます。それは観光であれ全財産をなげうってでも「乗せてくれ」というべきか、一文無しになる可能性があっても行けるというふうに考えています。ですから、それが早く実現してくれないかなぁと。もう拝んでいる場合じゃないと思います。
やや最後のほうは支離滅裂になってきましたけれど、最後に戻ってくるところは、行く行かないということになるとお金の話になってしまうんで、そこが非常に切ないところです。
 
的川: 一人一人、非常に強い願いがあって、それを実現するためには、たいへんたくさんの人のコンセンサスが必要だということで。最初に高柳さんが発言された、いまのやり方、テクニックのうえで、いまのやり方は間違っていると。不足しているものがあるとおっしゃったのかな。
 
高柳: 間違ってはいないんですよ。つまり科学者が対象としている月を、対象として描いて対象として解説するだけでは、ついてこないんです、普通の人は。なぜ月に科学者はこんなに惹かれるのか。例えば人間は星の子だと書いた方が、この中にもいらっしゃると思うんですが、つまり星の中の核融合で鉄とか重い元素できていますから、そういうロジックでいえば、われわれとつながるわけですよね。それと同じように、われわれとターゲットが、どこか接点を持っていると、とたんにターゲットがアクチュアリティを帯びてくるんですよ。そのことって、すごく大事だと思うんです。
さっきバイオスフィア2のスライドの中に月が映っているのがありましたね。あれを見た時に、日頃思っていることを思ったんですが。もし、さっきダイダロスの話をどなたかなさっていましたが、恒星間飛行をやっていく時にメンタルなケアをするとしたら、ヴァーチャルに月の層が変わっていくのを見せるだろうと思うんです。満月から新月になるまで。それは人間の精神にすごく安らぎを与えると思うんです。人間にとってサイクルってすごく大事な問題ですから。それと同じでバイオスフィア2の中にいる人が、月を見られたのかどうかっていうことは、すごく興味を持ちました。つまりどこかで満月とか新月を見ると「ああ、地球の上にいるな」って、そんな気がしてほっとするんですよ。そのことは何かっていうのは意外にキチッと説明できると思うんです、進化論を持ってくるまでもなく。われわれの身体の中には、ものすごく複雑な、自然界とのつながりってものがあるわけで、例えばアメリカなんかの科学教育では非常に大事にして取り上げていますね。そのことによって、宇宙に興味を持たせる、あるいは科学に興味を持たせる。それはぜひ宇宙科学のほうでも。宇宙科学のほうが、むしろやりやすいんじゃないでしょうかね。われわれと皆さんが対象にしているもののつながりを、科学的に説明することは皆さんお得意の方がいらっしゃると思います。
 
的川: 三明さんはサイエンス・ミュージアムの仕事をいろいろされているわけですが、そういった科学の世界、この場合は月ですけれども、なぜ興味を持つか、惹かれるか。心理的な動機ですとか、もちろん科学的な根拠もありますが、そういうものを、観にくる人、聞きにくる人に説明するノウハウ、テクニックというのはいろんなものがあると思うんですが、いちばん大事なことってのは、どんなことなんですかね。ミュージアムでの気をつけるべきことっていうのは。
 
三明: 好奇心ということ。われわれがトロントで作った科学博物館っていうのは、テイバさんがおっしゃったヘーン・ゾーン、日本語では参加系、参加帯といっていますが、それがいままではトロントの科学博物館ではフランク・オッペンハイマー博士と、アポロと同じ年、1969年にサンフランシスコでエクスプローラー・トーリアムという博物館が同時に生まれたんですけれど、その方もご存知のように有名な物理学者であり、ロスアラモスの原爆製作をお兄さんのJ・ロバート・オッペンハイマー博士といっしょにやって、数年後アメリカの政治界の動きで共産党に反対をしたセネター・マッカーシーにやられて、彼は10年ほど独りで、山の中で、家族と小さな丸太のキャビンに、羊飼いのような生活をして、ようやくケネディ大統領になった時代に許可を得て、高校の科学の先生になったんです。それを1〜2年やって、その間、20年のいろいろなことを考えて、彼は独りで、ただ学者、ただ優秀な生徒のためだけではなくて、皆さんにもっと深く科学のプロセスとか科学の楽しみをぜひ知らせてやらなければ、これからの世界は危ないというので、自分で作り上げて、自分でそれを古臭いサンフランシスコの博覧会の跡のビルディングを使って、そこでいっしょに、お客さん、子供、若い人たち、興味を持っている人たちと、オンザフロアで質問したり答を出したりやった方なんですが。つまり、個人個人みんな自分で参加してみる、自分で体験してみるということが、いままでの科学館ではそれがいいところでもあったんですが、最近、参加系というのがエンタテインメントになってしまって、アミューズメントとなってしまって、短気なスペース・トレイルスという一瞬的なイベント的な面白さに惹かれて、いま危ない時代だと思うんです。それでこれからの若い人たちには、科学館に行って科学を体験するんじゃなしに、自然といっしょに自然と共生というようなところが、これからの若い人の育ち方にいちばん欲しい。
57年振りにきて、宮沢賢治さんの記念館、花巻に行って、博物館としては別に素晴らしいとは感じなかったんですが、素晴らしかったのは、割合い雨が降っていた日なんですが、お客さんたちは宮沢賢治自身に惹かれて記念館のいろいろなものを見ていた方たちが、ほとんど若い方たちだったんです。高校生、大学生。まぁ親や小さい子供たちもいましたが。それにちょっとビックリして、宮沢賢治さんの話は全然知らなかったんで、少し勉強したんですけれど。それで先週、屋久島に幸い行って、そこで紀元杉かどの杉か忘れましたけれど、十数人の山登りをして山を下った人たちの顔が、同じ若い、真面目、アグリー・ジャパニーズじゃなしに、それはナイアガラ滝で見ていますけれど、そういう顔じゃなしに、何か宮沢賢治が求めていたこと、山登りをして星を見る、地球を見るという感じがしたんですが、それが非常に、何だか感動したんですが。  僕の父は仏教哲学の人で、僕は全然その方面は浅くも入っていないんですが、子供の頃に「天上天下唯我独尊」という難しい漢字があったんですが、それが最近何だか、面白いことであるという感じがして、これから皆さんにその意味が何であるのか。それから宮沢賢治さんもひとついいことをおっしゃっていまして、「永久の未完成が完成である」と。そういうところで、ちょっと。
 
的川: はい、ありがとうございました。三明先生のお話、向井さんはしきりにうなずきながらお聞きになっていましたが、いまご感想はおありですか?
 
向井: やはり月っていうのは、いろんな人がいろんな方向からひとつの対象物としてそれぞれの心の中にひとつの憧れとしてあると思うんですね。私は、いかにアポロの宇宙飛行士が月に立ったとしても、やっぱり月を見た時に本当にロマンを感じるのは、あの月に立って、私たちがあの月を見て美しいと思うように、月から地球を見た人たちがいるんだと、そのことだけで私は、技術力にしてもいろんなことでロマンを感じています。私自身、今日はシンポジウムの題名が「ふたたび月へ」ということなので、ぜひ私は月の専門家じゃないんですけれど、ここにいる専門家の方たちにお願いして、日本で「かぐや姫計画」というのを作っていただいて、また「ふたたび月へ」、これ日本は無人では行っていますけれど、ぜひ日本で月への探査、そしてまた将来はいつかは人間を月に送れる、そんな技術開発を進めていっていただきたいなあと思います。そういった「かぐや姫計画」、その第1号に、ぜひアプライして月に行きたいと思います。
 
的川: 「かぐや姫」っていうと女性ですから有利ですね。
 
向井: 有利かも知れません、月は。
 
的川: 時間が少し過ぎましたけれど、この会場も時間の制限があるようですので、パネルディスカッションとしては閉めさせていただきたいと。いまのがたいへん立派な結びの言葉になりました。いまのような思い、1人1人の心の中に「月へ行きたい」という気持ちを非常にしっかりと持ち続けることが、大事であるということを結びの言葉にして、高柳さんのおっしゃるテクニックのことは、みんなでこれから考えて、NHKも最大限に利用して、多くの人にわかっていただきたいと。
野村先生が来ていらっしゃいます。みんなの願望が本当にプロジェクトとして実現するかどうかは、この方にかかっているということなんですね。野村先生にも、よろしくお願いいたします。皆さん今日は、どうもありがとうございました。会場の皆様もありがとうございました。

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