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月を知ろう

月に関する研究発表
7.パネルディスカッション「日本は何を目指すか?」
司会:
パネリスト:
宇宙科学研究所
TBS国際ニュースセンター長
宇宙開発事業団理事
漫画家
NHK解説委員
宇宙社会学研究者
宇宙開発事業団宇宙飛行士
的川泰宣
秋山豊寛
石澤禎弘
里中満智子
高柳雄一
津田幸雄
毛利 衛


的川: 宇宙科学研究所の的川です。テニスをやっていた頃は1965年で65年には65kgでした。1994年になりまして私94kgにいまなります。テニスも重量別にすべきだという主張を繰り返しておりますが、連盟からはハネられております。先ほどから何人かの先生方、昨年の12月から7月まで長期ヴィジョンの議論がありまして、7月にそのレポートが出ました。現在は日本の宇宙開発の基本方針である「宇宙開発政策大綱」を宇宙開発委員会の指導のもとで、これから改定の作業に入ろうということで、私が聞いている範囲では来年の4月か5月か、春のうちにはぜひ改定作業を終えたいとお聞きしています。今日はその狭間の時期でありまして、長期ヴィジョンが出て、それを政策大綱に結実させるために重要な時期でありますので、世界と日本の宇宙開発の未来にたいへん多くの関心をお持ちの方から高い知見を持った方々6人の方にお集まりいただきました。日本のこれからの宇宙開発の方向について、忌憚のないディスカッションを展開していただきたいと思います。
立花先生のお話にもありましたが、人類全体が冷戦後の情勢を踏まえて、共感を持って語れる夢をみんなで共有したいという方向での方針ないしは展望を、日本の宇宙関係者は示すべきであるとおっしゃったんだろうと思います。宇宙の関係の人より外の人の方が夢が大きいというのではたいへん恥ずかしい話ですので、今日のパネルディスカッションの中から、ぜひ会場の皆様といっしょに夢を共有でき、同じ土俵に立てるように大いにパネラーの皆様にも頑張っていただきたいと思います。
ここには恐らく科学技術庁の方も見えていると思いますが、よく政策大綱や長期ヴィジョンを立てますと、あと10年ぐらい経って、あれを立てた時の科学技術庁の局長さんはどなただっけ、という話がよく出ます。あるいは宇宙開発委員長の代理の先生どなただったかなと。その時ちょっとショボい案が出ますと、あれは宇宙両生類だったのかなと言われると困ります。やはり、その時、現在に生きている人が大いに展望を作っていくべきだと思います。今日の議論を大事にしていきたいと思います。
パネラーの皆様をご紹介いたします。
宇宙飛行士の人をどこに座っていただくか、たいへん考えたんですが、ちょうどアイウエオ順に並べますと両端に来ていただいたので今日はちょうど収まりがつきました。アイウエオ順にご紹介いたします。
皆様から向かっていちばん左側、1990年12月にソユーズロケットに乗りまして、日本人として初めて宇宙の人となりました。旧ソ連の宇宙ステーション・ミールで生活されて、現在TBSの国際ニュースセンター長であります秋山豊寛さんです。
次が、宇宙開発事業団におきまして、いくつもの人工衛星の開発に従事されました。現在、同事業団の理事をなさっております石澤禎弘さんです。
次は、女性の立場から歴史や戦争を見直しながら、「積乱雲」「天上の虹」等、数々の名作を世に出されております漫画家の里中満智子さんです。履歴書を見せていただきますと、血液型がB型ということで、私B型の人が大好きなものですから嬉しくなりました。
こちらNHKスペシャルのチーフプロデューサーとして、「火星大接近」「銀河宇宙オデッセイ」「ナノスペース」、現在毛利さんがキャスターをなさっている「生命・40億年はるかな旅」といった数々の名作をお茶の間に届けていただきました。現在NHKの解説委員としてご本人のお顔をたびたびブラウン管で拝見しております高柳雄一さんです。
次は、言語、表現、情報、文明等、非常にたくさんの方面にわたる人間科学の論題に挑まれまして宇宙デザイニングという概念を設計されまして、宇宙社会学の開拓者となられた方です。その著書の「宇宙開発と人類の選択」は私も夢中で読ませていただきました、津田幸雄さんです。
お待たせいたしました。一昨年9月、ちょうど2年前のいま頃でしたかスペースシャトル・エンデバーのペイロード・スペシャリストとして「ふわっと'92」の大任を果たされました宇宙飛行士の毛利衛さんです。
以上6名のパネリストの方々によりまして、「日本は何を目指すか?」という題名でいろいろと議論を展開していただきたいと思います。
実はまったく打ち合わせのないパネルディスカッションなので、最初に鍵を与えていただきたいと思いまして、秋山さんから順に3分ないしは5分くらい、日本がこれから目指す宇宙開発について、自分がもっとも言いたいことをおひとりずつ話していただいて、それを元にして私の方でパネルを組み立てさせていただきたいと思います。
秋山: 3分から5分ということで要領よく言わないといけないんですが、簡単に言いますと、日本は何を目指すのか? 結論的にいうと人類の付託を得て未来に対する責任を果たす、一行で書くとこういうことになります。どういうことかというと、あと5億年なり10億年すると地球は人類が住むのに適さない場所になるだろうという予想があります。これは天文学者の方が詳しいと思いますが。だいたい何億年後かにダメになる。そうした時に私たちの子孫、未来。私たちは過去に責任がある、あるいは現在に責任があるだけじゃなくて、環境の問題も含めて未来に責任がある。とすれば未来に対する責任を果たす人類の一員として宇宙に進出することは当然いまから準備すべき。しかも技術がないのなら別ですが、技術があるんだったら、あるいは頭脳、知恵があるんだったら、当然それを目指すのが私たち人類の一員としての日本人、日本にたまたま生まれただけなんですが、そういうものの責任ではないだろうか。つまり未来への責任としての宇宙進出。
その次に、じゃあそれは可能なのか。技術的に可能だろうし頭脳的にも可能だろう。じゃあ財政的にはどうだろうか。先ほど立花さんがちらりと触れられましたが、例えば私も日本各地、子供たちに夢を与えてくださいという話がありまして、話す機会があっていろんなところを訪れています。日本各地が東京の小さいものになりつつある。つまり公共投資、社会インフラですね。道路、橋、市役所あるいは公民館その他諸々、みんな基礎的な投資が終わっている。いろんな省庁で「予算が足りない。予算が足りない」というお話ですが、本当に足りないんだろうか。例えば河川にしても、一級河川・二級河川のだいたい修復が終わっている。50年に1度の災害に耐えられる。じゃあ今度は100年に1度を目指した形でやるか、あるいはダムを何十個作ると建設省は存立しうると、恐らくそうした逆転した思想がずいぶんあるのではないか。そうしますと、行政改革なり何なりがここ数十年の政治的テーマになると思いますが、その中で、当然いまの予算の中で、それこそ数兆円というのはすぐ弾き出せるのではないか。つまり公共事業投資と同じような枠組みの中で宇宙開発投資、開発投資というと響きが悪いんですが、宇宙への探査のための投資が捻出できるのは、そんなに無理のないことだろうという気がします。そういう意味でいうと2番目には人類としての未来への責任を果たすために、いま予算的に、公共投資のような枠組みといいますか、宇宙開発・宇宙探査のための予算の枠組みを10年先20年先まで大雑把に決めてしまう。予算の何%くらいをだいたいこれで使っていくんだと。そうしますと、人口の1割近くが土木関係で生活しているわけですが、宇宙関係で生活していく人が人口の1割もいたらたいへんな国になってしまいますが、そこまでいかなくても、ある程度裾野の広い形でそういう人たちが暮らしていければ、あまり方々から異義は出ないだろうという感じがします。
最後に将来10年20年30年、何となくまだるっこしい感じがしますので、やはり20年先には日本人が月へ行ける技術を獲得する。そのことによって一般の人たちが宇宙を経験できるような条件を備える。つまり宇宙に進出するにあたって一般の人たちの共感が必要だということは、いろんな方々が指摘されていることなんですが、月に行ける技術を確立して、それが民間に移転される、そのことによって民間の宇宙観光旅行というものができた場合、これはさらに共感度が高まるだろうという感じがしますので、3番目には高度な技術を税金によって開発し、その結果を民間に依託し、大衆の共感の基盤を広げる。これを20年くらいのうちにやるべきではないかと思います。
的川: 急にお願いしても、こんなにちゃんと喋れるんですね、びっくりしました。それでは石澤さん、お願いします。
石澤: 石澤でございます。普段は宇宙開発事業団で実際の実務に携わっておりまして、予算とか金とかスケジュールに追われておりまして、あまり夢的なものを語る機会はございませんが、本日は月探査と、非常に将来の夢のことでございますので、少し自由に語らせていただきたいと思います。
人類の宇宙の活動ということで、最終的な目標は、例えば大きなスペースコロニーを作るんだ、あるいはヘリウム3を持ってくる、あるいは月に大きな発電所を建ててエネルギーを地球に供給する、いろんな夢がございます。これらの夢を考えてみますと、どういうことかというと、人類が宇宙の空間へ活動を展開するという時に、ひとつは宇宙の場を研究の場として取り上げている。ひとつは宇宙工場、生産の場として取り上げている。あるいはスペースコロニーは生活の場として宇宙を考える、生活の場、あるいは宇宙観光などから取り掛かりまして、ふだんの人間の生活の中でのいろいろな娯楽、あるいは活動の場で求めていくというようなことを考えます。そういう面にこれから展開していくと思います。
それと日本が現在始めております宇宙環境利用の実験。秋山さん、毛利さんが飛ばれまして一昨日は向井さんが帰ってまいりました。これらの一連の活動は、まだスタート、研究の場ということで我々は言っております。この研究の場がさらに伸びますと、宇宙ステーションという形になるでしょう。ただこの宇宙ステーションも、将来にわたるそう長い寿命ではなくて、次のまた宇宙ステーションに展開していくのではと思います。そうした時に、宇宙ステーションのような地球の周りを回るものと、月・惑星はどういう関係にあるのかなということを考えてみたいと思います。
地球周回のステーションあるいはコロニーを考えますと、ひとつの特徴は重力がない、無重力の場ということです。この無重力の場を使うことは我々の地上では得られない研究の場、生産の場としての利用価値があるのではないかと思います。向井飛行士が帰ってきまして、地球の上にはいつも重力があるんだなということを非常に感じたと話していらっしゃいましたが、我々地上に住んでいる者は重力を感じませんが、それが宇宙へ行けばなくなる。その重力がない場の利用価値があるんじゃないか。ただ、地球周りの無重力の場は、人間が活動していくエネルギーとか資源を考えると、エネルギーは推進系を除くと太陽エネルギーが利用できるのではないか。ただし資源は、地球周りに関しては、無から有はできない。資源は、その場では生産できない、地球あるいはその周りのものから持って行かざるを得ない。リサイクルが図られると思いますが、完全なリサイクルを行いてましても多少のロスが出ると、そのロス分はどこかから補給していかないといけない。
これに対して月というのは、確かに重力がございます。ただし地球ほどではないにしろ、そこに月という物質があるからには、何らかの形で資源の利用が可能ではないか。エネルギーは軌道上と同じように太陽エネルギーが利用できる。こういうことを考えますと、やはり将来の人類の宇宙活動としては地球周りの無重力の場と月を、車の両輪のように両方を考えていかなければならないんじゃないかというのが私の考えでございます。
的川: ありがとうございます。それでは里中満智子さん、よろしくお願いいたします。
里中: 私は完全に文科系の人間なんですが、こういう席や長期ヴィジョン懇談会に呼ばれて参加させていただくキッカケになったのは、素人でも宇宙旅行に行けるというツアーに申し込んだのがキッカケなんです。何度かお話しましたが、アメリカの観光会社が、とにかくお金さえ出せば宇宙へ連れてってくれるというツアー募集がありまして、それに5万ドルで申し込む。結局その計画は流れちゃったんですが、そういうことを言うと、さぞかし宇宙科学に興味があって、科学的なことも知っていて、そういう人間だろうと思われた面もあるんですが、実はそうではなく、ただただ自分のこの目で宇宙から地球を見たい、体験したいという好奇心からなんです。
小さい時から宇宙天文には興味を持っていました。そこは夢と冒険とロマンに満ちあふれていて、私たちの想像を絶するいろんな歴史があって。いまでも小学生の時に買った図鑑を取ってありますが、小学館の宇宙天文の図鑑で、地球はこうしてできた、地球と月はこうやってわかれた、と書いてあるんです。各ページ、いまの知識で見ると完全に間違っている情報もありますが、そういうものを見ながら育ってきたことによって頭の中で想像するわけです。他の星に別の生命体がいるかも知れない、そういう人たちはどういう人たちなんだろう、そういう突拍子もない想像から子供は自分自身で夢を大きく育てていって、他者に対するものの見方を育てていくんだなと私は実感しました。
その頃、漫画、小説、映画、特に手塚治虫先生の漫画で宇宙を題材にしたものをいろいろ読みまして、子供にとってはそういうわかりやすい表現で入ってくるものは感情移入ができるんですね。あり得ないかも知れないがまったく起こらないとは言い切れないことがいろんなドラマとして書かれていました。宇宙空間の物質を運ぶにしても、物理的に運ぶ以外に細胞体にまで分解して再生する、あるいは光速を越えた場合どうなるかというのを私は漫画から学んだんです。それで何が育ったかというと、さっき言いましたように未知のものに対する憧れと夢、そういうのを実現する時に自分がそれを見届けたいという好奇心です。見届けたいという好奇心があれば、やはり健康にも気を遣いますし、見届けるための知識を得るために、ある程度ものは知っておきたい。そのために勉強する。なんだかいろんな肥やしを撤いていい花を咲かせようと努力しているみたいですが、子供自身はそうやって、大人になった時にこういうことを体験したい、ああいうことを体験したいという夢で育っていくんだと思います。  今日いろいろお話をうかがっていまして、夢を語ることは大切なんですが、大人になると夢を語ることにちょっと照れてしまったり、あるいは立場のある方が夢を語ると無責任だといわれかねません。だからあまり語らなくなってしまうんでしょうが、実際、人は夢がなければ生きていく価値がないわけです。
今回いろいろなことで、ここにはマスコミの方もいらっしゃると思いますが、衛星の打上げ失敗とかちゃんと軌道に乗らなかったことで「無駄遣い」という言葉が使われていますが、決して無駄ではなくて、こういう時にどうして目先の細かい経済的なことをみんなで言うのか、私にはわからないんです。それを無駄遣いと言い切ってしまうのは耳には心地好いかも知れないんです。一部の意見で、ああいうことにお金を使うよりは福祉に使った方がよっぽどいいんではないかと。目先はそうだと思います。だけど将来の福祉、将来の人類の幸せのために、いま必要なお金なんですね。それも先ほどからお話に出ているように、膨大なお金ではありません。それを、何か被害者意識みたいですが、大袈裟に「無駄遣い」と叩いて、責任のある方はやはり謝るということをなさるわけです。謝らなければことは済まないんでしょうが、あまり謝ると本当に悪いことをしているみたいなので、もう少しPRに上手になっていただきたいと思うんです。何百億という単位は確かに大きいかも知れませんけれど、何兆何十兆というお金が、本当に意味のないことに使われている面がたくさんあります。 目先の小さな失敗は、子供がお小遣いで母親の気に染まないものを買ってしまって、それはいま役に立たないかもしれないけれど、小学生が好奇心で英和辞典を買ってきて、「お母さんは和英辞典を買いなさいと言ったのに、どうして英和辞典を買ったの。無駄遣いして」と言っているようなものなんですね。いつかは英和辞典も役に立つ。そういうお母さんは、あらぬ株券を買ってお金を無駄遣いしている。そういう感じがしますので、どうか目先のことにとらわれないで、謝り方も上手に謝って、マスコミの方も感情的に「無駄遣い」などと言わないで、本当に必要なお金で本当に少ない予算だと思います。これから先の環境問題、エネルギー問題、いろんな面で必要なんですから、目先の効果、目先に役に立つもの、いまここで役に立たないものを否定することが何十年も続くと、戦後教育の中で、子供たちにそういう部分を見せてきたことが多かったような気がします。いまの団塊の世代以下の人は、非常に効率というものにとらわれて働いてきたような気がして、それはそれでたいへんだったので否定するわけではありませんが、これからもっと前向きに、いま役に立つもの以外は否定するということで価値観を狭めないように、子供たちの持っている豊かな可能性をいっぱい認められるように、いろんな価値観の広がりを持っていけるようにしなければいけないと思います。ですから教育の現場でも、何が本当の無駄遣いで何が必要なお金かということをキッチリ教えることによって、いま役に立つものだけが大事という狭い価値観の中で子供を育てないようにやっていくのが大人たちの努めだと思いますので、そういう目でこれからの宇宙開発を私自身も見ていきたいと思いますし、日本人全体そして世界の人たちといっしょに見ていくことが大事だといま感じております。
的川: ありがとうございます。謝り方が大事だとは私、初めて聞きました。誰でも宇宙旅行へ行ける時代を目指して、未知のものへの憧れや夢を長期的、大局的な見地で育てていく日本でありたいという意見だったと思います。里中さんがお持ちの宇宙天文の小学館の図鑑は、里中さんのお年ですからそんなに古くはないと思いますが、たぶんかなり古いでしょうね。
里中: 古いですね。私は小学校3年の時に第何版かを買ったんですが、発行が昭和31年ですか。
的川: 今度、新しいのをお送りしたいと思います。
里中: 新しいのも持っているんですが、やっぱり自分が夢を描いた小っちゃい頃のって捨てられなくて。
的川: そっちの方が大事かも知れませんね。
里中: そうですね。

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