シンポジウムリポート
その1
1月23日金曜日。この日は朝から底冷えのする、大変寒い日でした。
東京の中心部、大手町になる経団連会館には、朝早くから大勢の方が訪れていました。シンポジウムに参加する方が続々と会場に訪れていたのです。10時の開会前には、受付に長い列ができるほどでした。
会場内は、開始前の時点で既に席を見つけるのが難しいほどの人の多さで、このシンポジウムへの関心の高さが、改めて裏付けられました。
シンポジウムは、まずJAXAの間宮馨副理事長の挨拶で始まりました。JAXAが、補完的で全く異なっている2つのミッション(ルナーAとセレーネ)を持っていることに触れ、今日の月探査シンポジウムが、世界と日本の月探査にとって有益になるように期待する言葉で締め括られました。
続いては、五代富文氏の講演となりました。
五代氏の講演は、歴史を遡って、人間が古代から持っていた月への思いから始まりました。日本人が持っていた月への憧れや、月への度、アメリカの「ロケットの父」フォン・ブラウンが、究極の目標として月旅行を思い描いていたことなどを紹介しながら、やがて話は1960年代の米ソの月競争へと発展していきました。
月へ人間を送りこむ競争は、最終的には1969年のアポロ11号により、アメリカが「勝利」することになります。しかし、ソ連もルナ計画によって、無人ながら月の詳細な探査を行いました。
さらにその後の月探査として、日本の「ひてん」、アメリカの「クレメンタイン」「ルナー・プロスペクタ」などが1990年代に実施されました。そして今、ヨーロッパや中国、インド、日本、そしてアメリカもまた、月探査を行おうとしています。
そんな中で、五代氏は「日本がなぜ月を目指すのか」という点について、「30年くらい先をみた計画はあまり議論されていない。産学官、三者が加わったフォーラムのような組織で大いに議論し、それをもとに提案を作るべきである」という提案を行いました。また、南極探検や深海調査などの例から、「フロンティア探査は、最初はすぐに商売になることはない。最初は科学的な興味から探査をすることになるが、しかしそれを支えていく技術的な要素も重要になるであろう。順番や探査に盛り込むバランス、有人か無人か、といった点を大いに議論し、詰めなければならない」と述べ、これからの月探査の検討に盛りこむべき視点を示唆しました。
このリポートは、「月探査情報ステーション」のスタッフ(寺薗)が、会場で記録したメモをもとにまとめたものです。
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