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月を知ろう

月に関する研究発表
8.総括と閉会の挨拶
月惑星協会代表幹事 齊藤成文

しいものを読むことができなくなってしまいました。ひとこと総括というとたいへんあれですけれど、いまご紹介がありましたように、私、宇宙開発委員会委員長代理をやりました時に、先ほど立花さんの話じゃないんですが、恐々有人というのをちょこっと出してきたというのをやりました本人として、世の中ずいぶんと変わったなと思うといっしょに、現役を退きましたので、言い難いことも、いまだと割合フリーに言えますので、今日のいろんなことに対しての、私の答弁と言ってはあれですが、代弁を兼ねてお話ししたいと思います。

何はともあれ、今年くらい、日本の宇宙開発が世界の注目を浴びたことはございません。世界の宇宙開発が冬の時代に入っている時に、H-IIの1号機、2号機が成功し、向井さんがあれだけの仕事をして帰って来られて日本の宇宙飛行士が3人になった時代に、宇宙開発委員会がちょうど長期ヴィジョンの将来について月を目指すんだという明確な方針を打ち出された。本当にありがたいと思っています。その時に月惑星協会の話がちょっと出ましたが、実は相当宇宙開発長期ヴィジョンが進んでいる時に秋葉所長から、有人の基地を無人で作る計画というアイディアを出されまして、野村委員長代理から私のところに連絡ありまして、これこそ月惑星協会の仕事だからすぐ引き取ってくれということで、さっそく総会を開いてお話をしたところ、たいへんな熱意で膨大な資料を、先ほどご説明があったああいう資料を2か月でまとめられたわけです。それほど日本の研究者、産業界の技術レベルは月のいろいろなああいうことをやるためのデータはたくさん持っているわけです。それでああいう結果が出ました。私も予想以外の立派な成果で、宇宙開発委員会の長期ヴィジョンの資料としていただきましたが、その時に産業界の方々が言ったことは「我々がこれだけやったんだ。それだから、これをやめる、これだけでおしまいにしないで、これを一歩でもいいからスタートさせてくれ」ということを、くれぐれも私に対して熱望したわけです。これはどういうわけかというと、あとから申し上げましたように、宇宙ステーションまであって、H-IIとかいろんな話があっても、こと有人とか月となると、そこでプッと切れちゃってるわけです。 どうやってそれじゃあいったい、産業界の人たちがステップを上げるのかということが、たいへん難しい問題だったわけです。それに対して「あの計画だったら明日からでもできるじゃないか。宇宙研は相当先をもうやってるじゃないか。その路線を進めればいいんだ」ということが、あの計画をまとめた時の産業界からの熱意でした。そのことだけお伝えいたしておきます。

それから有人・無人の問題。今度の長期ヴィジョンに対して迫力がない、有人もちょぼっと出ているだけだと、これはもっともでございます。それについては、言い訳がましくなるんですが、いまのパネルの方々も言っておられたように、国としてのコンセンサスやプロジェクトという考え方について、非常に問題がある。チャレンジャー事故で7人亡くなった時に、葬儀が行われた時に、大統領自らが飛び込んで行って「我々はこの7人の上を乗り越えていくんだ」と言われたわけです。こういうやはりコンセンサスがないと、なかなか問題は大きい。私自身が、もし日本で何かあったらどうなるか、これは私どもが東京大学で内之浦で実験をやっております時に、何がいちばん心配だったかというと、人身事故なりそういう事故を起こすことです。あれと同じようなことの何分の1のことが起こっても、日本の場合だったら、まず検察庁が調べにくる。私どもが鹿児島におりました時に鹿児島の検事正の方が見学においでになりまして、ずぅっと見学をされて、その時に安全とか飛翔の安全性の確保をご説明して「これだったら大丈夫だな」とポツっと言われたわけです。私どもはそういうことで案内したんじゃなくて、一般の見学者としてご案内したわけですが、やはり検事正という立場からいって、そういう立場を見せるわけです。このことから言っても、やはり日本が有人に振り向くのはなかなかたいへんだと。 それのためには、このようなパネルディスカッションなり、国民へのPRが少ないと申されましたが、こういうのを何回も何回もやって、その中で反対の方とのディスカッションも必要だと津田さんがおっしゃいました。9月号の文芸春秋に科学者の方が、H-IIロケットの完成を見たら、戦艦大和を思い出したと。戦艦大和、私、海軍におりましたからよく知っていますが、使い道はたいへん難しくて困ったという。日本の宇宙開発は、ああいう方向に進んでるんじゃないかという論を見まして、私、冷や水を被されたようになりました。私どもは今日お話があったように、H-IIは何も、ちょっといまのところ円高になってなかなかコストが下がらないんだという次元での話以上のことを考えてH-IIロケットを開発したのに、こういうことをおっしゃる科学評論家もおられるのかなと思ったわけです。そのためには、このような会合を何回も何回も開くことが、宇宙開発側も、また一般の広報の方々もお願いしたいと思います。

それから国際協力か単独かという問題です。これは、なかなか難しい問題。ひとつの例として、宇宙研にこの7月からずっとおられたJPLの元の所長のブルース・マレーという博士がおられます。その方がつい最近ワシントンポスト紙に「日本は、この25年以内に日本人が月に降りることについて確信を持った」と言われているわけです。これは、そう一朝一夕で出て来た言葉じゃないんです。1990年にブルース・マレーが、ドレスデンで開かれたIAFの総会に、月惑星計画はいつ本筋に入るかという招待講演をされた時に、彼がいろいろなことを喋っているわけです。その中で、月惑星計画をやるのには、現在のようにアメリカとソ連だけではダメなんだ、ESAとか日本が参加しないといけない。その中でキャスティングボードを持っているのは日本だと。日本がコマーシャル的なこと、エコノミックアニマル的なことから、こういう人類の将来を担うようなことに、いつ本格的にお金を出すかということを決めるその時だと言われたわけです。ですから彼の頭には日本というのがダークホースとしてずっと持ってたわけです。それが今回、7月からずっと来て、私ども月惑星協会の主な人とも会いましたが、なかなかの学者であるといっしょに政治家なんですが、その人が日本全体のことを見ていって、その彼がこういう返答をしたわけです。それといっしょにもうひとつ、彼の講演の中で、ちょうど「ひてん」と「はごろも」が飛びまして、日本が第3の国として、とにかく月のそばまでやったわけです。 これについてはたいへんブルース・マレーは高い評価をしていましたが「ただ残念なことにこれが国際協力ではない、日本独自の計画であることが残念である」と彼はそう言ったわけです。実は「ひてん」「はごろも」はジオテールの国際協力の中の前段階なんですが、彼はそれを知らない。これはISASのPRが悪いのかも知れませんが、彼はそういうことを言った。その彼が、この間、我々と会った時にこういうことを言いました。「これからの宇宙開発にはいろんなタイプがある。その左の方には非常に小さい小規模のプロジェクト、これは一国でやるナショナルプロジェクトに相当するようなものだ。ずっと右の端には、インターナショナルの国際協力の大きなプロジェクト、例えば宇宙ステーションプロジェクトがある。宇宙開発には、この右と左の間にいろんな段階がある。いずれも必要なんだ」と。この時に彼が言っていることは、コンペティションとコーポレーションが両方必ず入っている。宇宙研のルナ計画であるとか、最近アメリカがやっているクレメンタイン計画、ご承知のように国防省がやっているのでSDIのセンサーの実験をしたいわけですが、地球の周りを回すとソ連との間の協定があってダメだと言われて、それじゃあ月を回そうと月の周りで実験をやっている。クレメンタイン計画は非常に安く、しかも月のいろんなデータを取ってくる。アメリカの科学者も非常に注目し、クレメンタインの2、3、4を出そうと。つい最近ユタ州で小型衛星のシンポジウムがございまして、そこから帰ってきた者の話だと、そこの中でクレメンタイン計画の話がずいぶん出ている。アメリカのクレメンタイン計画、それにルナ計画のようなものがナショナルプロジェクトなんだ。 これは非常に大切なんだから、日本もこれをやりなさい。要は国際協力は、片っ方のナショナルプロジェクトと両方の力がなければいけない。アメリカは虎視耽々、日本に負けないような小型衛星を上げてクレメンタインで惑星探査をやろうとしています。

このようにたいへん複雑な状況にございますので、そういうことを考えにあわせて、本日、私がこれだけ温かいご支援とご激励をいただくとは思ってもみなかったわけです。いままで何か出ますと、たいへんシビアな質問ばかりされたり、意見はあったんですが、このような温かい機会を与えてくださいまして、これはもうこの会に限らず、これから何回もこういう機会を与えてくださいますように、月惑星協会をも兼ねましてお願い申し上げます。総括になったかどうかわかりませんけれども、たいへん意義のあったシンポジウムであったということを信じまして閉会の挨拶とさせていただきます。

どうもありがとうございました。


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