4.月面天文台への夢
国立天文台 教授 海部宣男
国立天文台の海部でございます。ただいま私たちの、自分たちの手が月に届くというイメージが湧いてくるお話をうかがいまして、たいへん胸が躍るわけです。私は「天文台を月に作る夢を語れ」という、たいへんいい立場を与えられましたけれども、考えてみますと天文学者というのは夢ばかり見ているんじゃないかと、そういうことかも知れませんが、もちろん実際はそうではありませんで、古くはガリレオ・ガリレイというか、もっと昔から、天文学者の大きな仕事は自分たちで新しい望遠鏡を作って新しい宇宙を開く、というのが大きな仕事であります。私どもも新しい望遠鏡を作るという仕事を、夢だけでなく実現していきたい。そして月というのは、これからお話ししますように、やはり天文学者にとっての大きな夢の舞台であります。そういうところに天文台を作っていく、ぜひ実現のために私たちもいっしょに働いていきたいと思っております。
夢ということですから、天文学者にとっての理想の場所はどこか、理想郷はどこかということからお話をいたします。いま天文学を地上でやろうと思いますと、私たちは高い山の上とか、最近では南極の最も到達至難極というたいへん難しい所まで行こうという話もあるぐらいです。といいますのも、やはり地球がだんだん汚染されている。ひとつには、そういうことです。しかしそれだけではない。地球は大気というたいへん便利なものに取り囲まれておりますけれども、それがさまざまな観測の上での障害を起こすわけです。そこで、その次にありますように地球周回軌道あるいは太陽周回軌道というスペースに進出する。これは既にかなりやられていまして日本も宇宙科学研究所等ではたいへん優れたX線の衛星を既に上げて、第一線の成果を挙げておられるわけですが、さらに月面というのは恐らく非常に大きなものを展開できるという意味では、その次の大きなステップであろうと思いますし、こうなると天文学者はやはり夢ばっかり見ているわけで、もっと太陽系の外へ行った方が、本当はいちばんいいんだということにもいずれはなると思うのです。というのは太陽系はそれ自体が薄い大気に取り囲まれているわけですから、本当に理想的な宇宙の観測をしようと思えば、その外に出なければいけないという時代がいずれは来ると思います。しかし、いまの私たちにとってみますと地球周回軌道、太陽周回軌道、そして月面というのは極めて理想に近い場所になります。
もちろん理想の場所というのは、たいてい行くのは難しいわけです。それが問題であります。私たちは、現在は地上の最適地を求めて高山、私は現在ハワイのマウナケアという4200mの山の上に望遠鏡を作るという仕事をやっているわけですが、そういう風にやりながら新しい場所へ行くということを狙っているわけです。
具体的にどういうことかと言いますと、大気は電磁波、これはあとでお見せしますが光、電波、赤外線、X線、あらゆる波長をひっくるめて電磁波と申しますが、この電磁波を吸収いたします。そのために観測波長に制限がある。これがいちばん大きなことです。可視光と電波以外の、赤外線がわずかに見えますが、X線、紫外線、あるいは長い波長の電波、これは地上からはまったく見えません。第2に電磁波の擾乱ということがあります。これは、当然吸収するわけですから、大気が揺らぎますとそのために擾乱を受けます。それが像の乱れを起こす。これがボヤケを起こして、本来ならもっと詳しく見えるべき宇宙がボヤケてしか見えない。これが第2の問題。第3の問題に電磁波の散乱ということがあります。これは大気だけではありませんで地上も散乱いたします。最近では人工の電磁波もたくさんあるんですけれども、そういうものがバックグランドと言いまして、余分な情報として入ってきますから感度を落とします。そして最後に熱と重力の問題があります。これはたぶん、どこへ行っても避けられない問題なんですけれど、地上よりも遥かにいい場所は、もちろん宇宙へ行けばあるわけです。これは温度の変化が観測装置にもたらすさまざまな歪みであるとか、重力がもたらす困難が観測の精度を落とすということになるわけです。
これは電磁波ですが、横に波長を取ってあります。左端100mより長い方にも実はずっと電波は続いております。右の方、1Å(オングストローム)とありますγ線よりもさらにずっと右の方まで電磁波は続いておりまして、この広い電磁波でさまざまな宇宙の現象を観測するということから現在の私たちの宇宙像というものが得られているわけです。例えばこの中では可視光とある部分、これが私たちに馴染みの深い宇宙。それから電波、最近この半世紀で開けた宇宙ですが、この2か所しか我々は宇宙を地上から見られないわけです。それに対して非常に広い他の電磁波の波長が開けている。
これは赤外線で見た私たちの銀河系の中心部分です。こういう世界は、光で見ていては決して見えなかった世界です。可視光で見ては私たちの銀河系の中心は見えません。光が届かないんです。しかし赤外線で見るとそれを見通しまして、ここにちょっと光っている、これがまさに私たちの銀河系の本当に中心で、そこでは我々がまだ解決していない非常に激しい活動現象が起こっているということがわかっております。
これはまた別の絵ですが、電波で見ました、星が形成される時にその周りを取り巻いて回転するガスの円盤であります。これもたいへん冷たいガスの集まりですから光で見ることは決してできません。電波で見ますと、このように星が生まれる場合に、実はここに生まれかけの星、まだ赤ちゃんの星がいることがわかっているんですが、その周りを取り巻いて回転する非常に薄いガスの円盤がある。こういうものからいずれ太陽系が生まれてくるのではないか、ということがわかってまいります。
こういう風に異なる波長で宇宙を見るということは、宇宙の中における非常に多様な物質の変化・進化・歴史をつかむうえで本質的であるわけです。
というわけで私たちは最初のフィルムにありましたように高い山を求めて現在、これはハワイのマウナケアの山頂、少し前の姿ですが、ご覧のように4200mのマウナケアのてっぺんには世界各国の一流の望遠鏡がズラリと並んでおります。これはもう世界中がいちばんいい所を、地上でいちばんいい所を目指して集まってきた結果でして、この地上には、このハワイのマウナケアの他に2か所ほど似たような場所がありますが、あとは残された場所は南極しかないといわれています。ご覧のようにここに建設中なのが我がすばる望遠鏡。8m望遠鏡でして、今年のうちにはここに大きな、これより大きなドームが出現するはずであります。
次に宇宙、要するに地球周回軌道ですが、現在、地上以外の天文学はもっぱら地球を周回する軌道上で行われております。宇宙科学研究所が打ち上げているX線の衛星、その他世界各国がさまざまな衛星をこういう低軌道に打ち上げています。低軌道の観測というのは、先ほど言いましたように地上に比べれば極めて理想に近い場所ではありますが、将来的にはさまざまな問題が生じます。その中で恐らく割と大きな問題は、大きな地球ですね。すぐ近くにある地球がさまざまな放射を出します。それから軌道という限られた場所にいるためにさまざまな制限が生じるということです。
最近よく言われるようになりましたが、地球の周りは既にスペース・デブリ、さまざまな人間が打ち上げたゴミがいっぱい回っておりまして、そういうものに汚染されているんだと。これは実際どれくらい本質的な障害になるのかという問題はまだありますけれども、いずれ人間というのは地球の表面だけでなく宇宙を汚染していく。そういうことが障害になっていくということを警告している人たちもいるわけです。
そこで当然ながら月面ということを考える人たちはいるわけですが、アメリカではだいたい1980年あたりから真剣な議論が、特に天文学者を中心にやられるようになり、さまざまなプランが提案されています。これは「サイエンス」という雑誌に載りました、アメリカの天文学者のグループが描いた、ひとつの月天文台の、これは漫画のようなものですけれども、さまざまなものが展開できる。例えばこの中にあるのは直径がたぶん数mある望遠鏡がどうも中に入っている。これは2つの望遠鏡で干渉計を形成します。干渉計についてはあとでお話しますが、これはもちろん電波のパラボラ、電波望遠鏡であります。ここにあるのは古くからあるアイデアですが、月面上の窪みの上に金網を張って電波望遠鏡にしようという。実は地球上にあるいちばん大きな電波望遠鏡はプエルトリコにあるアレシボという所にありますが、石灰岩地帯にある天然の窪地の上に金網を張って直径300mの電波望遠鏡を作っています。これが電波を集める能力ではいまだに世界一ですが、同じようなことを月でやろうじゃないかということです。
月にはこういう窪み、クレーターがありますので、誰しもこの上に張ったらいいのではないかということは思うわけです。これは直径15kmありますので、直径15kmの電波望遠鏡がすぐできるというわけです。
しかしながら月に天文台を展開する場合、まず重要なのは、こういう巨大な面を作るということも大事ですけれど、分解能ということが重要です。といいますのは、月には空気がありませんので、極限の分解能が追求できます。
そのためには次のような干渉計という手法が適している。これは恐らくほとんどの天文学者が認めるところだと思います。大きな大きな鏡を作ることは、月と言えどもたいへんです。重力が6分の1と言っても非常に難しい仕事になります。それよりも大きなパラボラをたくさんの小さな面に分割してやって、データをコンピュータで合成することが、いまや十分な精度で可能になっているんです。これはひとつひとつの装置の精度、最近のコンピュータの発展ということによって、いまたいへん進歩している技術です。例えば具体的には1kmぐらいの規模に小さな、小さいと言っても例えば1m〜2mの赤外線の望遠鏡を展開してありまして、干渉計として1つの望遠鏡とします。そうすると直径1kmの望遠鏡になるわけです。それからサブミリ波という短波長の電波とか、この場合は100km規模に展開することは技術的にはすぐ可能です。それから重力波望遠鏡。これもたいへん魅力的ですが、月では100km規模の重力波望遠鏡が地上に比べて極めて容易に作れます。さらに月を使った宇宙規模の月にあるパラボラと宇宙を周回するパラボラを合わせた干渉計、VLBI-NET。これは宇宙科学研究所が1996年に打ち上げるVSOP計画という、地球とそれを周回するパラボラアンテナで構成するスペースVLBI計画がありますが、それの大きな発展版になると思われます。
このような計画について少し具体的なものを紹介しますと、これはアメリカのNRCが行いました天文学の長期計画、これはバーコールレポートと呼ばれておりますが、それに載っている絵ですが、1.5mないしは2mの望遠鏡をまずは3つ、最終的には10くらい展開してある。この中に光を集めて合成して大きな望遠鏡とするという計画です。
日本では先ほどご紹介がありました月惑星協会で月面天文台構想として考えられましたのは、光の干渉計、これは1mくらいの望遠鏡を4つ展開する。そして、この真ん中に集める。この特徴はロボットですね。月ローバーの上に乗っかって自分で少しずつ移動しながらたくさんの範囲を集めていって、大きな望遠鏡としてのデータを集めていくというやり方であります。
これがそのポンチ絵ですけれども、ご覧のように望遠鏡は上に乗っていてひとりで動くという考え方になっているようです。
干渉計というのは4つの望遠鏡だけで光を集めるのは難しいので、それが少しずつ移動して、順番に観測しては移動して、コンピュータに全部データを貯めまして、これだけの範囲に全部移動し終わったあとでコンピュータですべてのデータを「えいや」としますと、非常にシャープな宇宙の絵が描ける。これが干渉計のやり方でありますが、若干時間がかかるんです。望遠鏡の数が少ないと時間がかかる。
これはクレーターの上に鏡を乗っければ重力波望遠鏡が自然にできてしまうという絵です。これは非常に精密なレーザー干渉計ですが、地上でこういうことをやろうと思いますと、このパスに沿って真空パイプを引きまして真空ポンプで中を排気して、非常にたいへんな、それから防振策、地面が揺れますので、そのようなことが月では極端に軽減されるという絵です。
そういう夢はいろいろ語られているわけですけれども、恐らく月面でもし天文台を建設するとすると、いちばんいい場所はどこかといいますと、地球の擾乱を避けて、地球の見えない月の裏側に作るという話もありますが、恐らくいちばんいいのは月の南極に、もちろん北極でもいいんですが、作るという考え方です。
月の上でいちばんの問題は、やはり太陽です。太陽の光というのは実に強烈で、それがモロにきますので、それが反射したり熱になったり、さまざまな擾乱になります。
これは月の南極地方ですが、月というのはほとんど首を振りませんので南極の、あるいは北極の、本当の極近くのクレーターの中というのは永久に太陽の光が射さない、常に真っ暗な永久に夜の場所があります。もちろんそこからは地球もほとんど見えない。したがって地球の擾乱もかなり避けられます。
これは想像図で、地球が寂しく浮かんでいますが、本当は地球もこのへんにおりまして、ここにかろうじて陽のあたるクレーターがちょっと見えている。それが地球の光と反射でボヤっと明るいという絵ですが、こういう所ですと、前のスライド、温度がたいへん低い。これは実にありがたいんです。作る方にはたいへんでしょうけれども、観測する方としては温度が低いということは赤外線等の放射がたいへん低いということですから、実に有利な素晴らしい観測条件。雑音が極めて少ない。太陽も見えないし地球も見えないわけです。それから観測は干渉計に極めて有利。細かいことは省略しますが、極地方というのは空が非常に上手く回転してくれますので、干渉計で宇宙の像を合成するには実に便利な場所です。エネルギーの供給は、クレーターのリムの上に太陽電池を置いておけばよろしい。通信も地球が見える場所にパラボラを置いておけばすぐできる。
こういういいことづくめなんですが、いい場所というのは行くのが難しい。恐らく南極に基地を建設するのは若干難しいだろうなぁと私は想像いたしますが、とりあえず夢を語れといわれましたので夢を語らせていただきました。
最後に、こういうものを作って何をするんだ? 私たちから言うと、とにかくあらゆる波長で観測できる、これは素晴らしいことです。それから10000分の1秒というハッブルスペーステレスコープの1000倍詳しい宇宙が見えるんです。これは、こういう干渉計を作りますと十分に可能になります。既に電波では一部そういうことが現実にやられ始めておりますが、これがあらゆる波長でできるんです。それから、いま申しました南極に置けば、いつも最高の観測条件です。観測を休む必要はまったくないんです。忙しくてたいへんですけれども。
そういうわけで、こういう条件で何が見えるかと言いますと、細かいことは申し上げられませんが、ひとつには、我々の宇宙は膨張を開始して150億年ですが、その間に何が起こったかということが、かなり具体的につかめると我々は思っています。つまり私たちは現在、この宇宙が膨張して150億年の間に膨張しながら冷えてきた。冷えてきた間にさまざまな物質が作られ天体が作られ、複雑な構造をした物質の存在が可能になって、我々人間が生まれてきたという大雑把なシナリオは持っているわけです。そういう時代に我々は来ているわけですが、しかしその具体的なプロセスをひとつひとつ検証していくことは、まだまだ観測的な制限があって難しいわけですが、恐らく、月面にこのような大きな望遠鏡が展開される時代には、そのプロセスのひとつひとつを実際のデータの上で検証していくことが、かなり可能になるのではないか、可能になるに違いないと私たちは思っているわけです。
もうひとつは、これも重要な問題ですが、我々の太陽系にある惑星系、つまり私たちの地球を含むこの惑星系以外の惑星系が、非常に精度を持って観測される時代が来る。これは見つかった見つからないというレベルではなくて、申し上げたような月面天文台では、他の太陽系における惑星をかなり詳しく観測できるであろう。このことは宇宙の中での我々人間というものがいったい何なのかと、先ほど申し上げた宇宙の150億年の歴史の中でどう生まれてきたかということとあわせて考える新しい要素となる。つまり人間にとっての技術的な意味での宇宙時代というだけでなくて、思想のうえといいますか、自然理解のうえでの新しい宇宙時代に到達することができるのではないかという風に思うわけです。
最後に1枚。そういう夢は大いに描きたいわけですが、ただ現実ももちろんあるわけで、さまざまなステップがあります。最後にちょっと強調しておきたいのは、さまざまなステップ、先ほどお話しになりましたフェイズ1からフェイズ4、それにあわせてさまざまなことが考えられますけれども、現在、軌道天文台、すなわち地球周回軌道あるいは太陽周回軌道の上にさまざまな目的の天文観測衛星が上げられ、これは宇宙科学研究所が非常な努力を重ねながら進めておられるわけですが、その継続的な開発、発展ということをあわせてやりませんと、我々月だけを見ていて、実際の我々が現在できる、あるいは現在発展させることができる科学をいっしょに進めるということを疎かにしますと、これはとんでもないことになるわけです。私たちにとっては常に高いピークを目指すということと同時に、いかに現在のサイエンスの裾野を広げていくかを、ふたつながらやっていくことは大事でありまして。
夢をお話させていただきましたけれども、ひとつだけ、我々は地上における望遠鏡の開発は進めますけれども、それと並んで、あるいは月へのステップ、準備と並んで地球を回るさまざまな天文台あるいはスペース望遠鏡の開発もあわせて、ぜひ進めていただきたいと思っているわけです。
ありがとうございました。
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