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月・惑星へ


はやぶさ

「はやぶさ」とは?

■小惑星を目指して
私たちの太陽系は、8つの惑星、多数の準惑星に加え、おびただしい数の小さな天体があります。これらの天体は太陽のまわりを回っているものも多く、その意味では小さくても、太陽のまわりを回る「惑星」の一種です。そのため、これらの天体は「小惑星」と呼ばれます。
小惑星は、大きさが数十キロメートルから、小さいものですと数十メートルくらいのものまであります。こういった小さな天体は、できてすぐ冷えてしまうため、できたとき、つまり太陽系が誕生した頃の様子をそのままとどめていると考えられています。
一方、こういった小さな天体でも、もし地球にぶつかってくるとたいへんなことになります。実際、6500万年前の恐竜などの大絶滅は、地球に直径10キロメートル程度の小惑星がぶつかったために起きた、という説がかなり有力です。つまり、このような小さな天体の素顔を知ることは、私たちの未来のためにも、たいへん重要であるということがいえます。
このように、小惑星を調べるということはたいへん大切なことです。また、小惑星のような天体に行くためには、探査機の軌道を決めたり制御する、推進力を調整する、といった多くの技術が必要です。このような技術開発は、将来私たちが宇宙、それも地球や月より遠い宇宙空間へ進出するときには欠かせない基礎技術でもあります。
そして、サンプルを持ち帰るという、きわめて高度なチャレンジが、この探査には課されています。これまで、地球以外の天体から物質を持ち帰ってきたのは、月だけしかありません。小惑星で成功すれば、もちろん世界初、人類初の快挙ということになります。また、その技術は、将来の月・惑星探査にも広く応用できるでしょう。
こういった技術開発、そして小惑星を調べるという意義が一つになったとき、小惑星探査計画「MUSES-C」(ミューゼス・シー)が誕生しました。

■MUSES-C、そして「はやぶさ」
「MUSES-C(ミューゼス・シー)」は、1993年から、文部科学省宇宙科学研究所 (現・JAXA宇宙科学研究本部)で検討が進められてきました。
10年の歳月を経て、2003年5月9日、鹿児島県内之浦町(現: 肝付町)の鹿児島宇宙空間観測所(KSC:Kagoshima Space Center)からM-Vロケット5号機で打ち上げられました。打ち上げ後、「はやぶさ」と命名されました。
「はやぶさ」が探査するのは、地球近傍型と呼ばれる小惑星「1998 SF36」です。この小惑星は2003年8月に、日本のロケットの父、糸川英雄博士にちなんで「イトカワ」(ITOKAWA)と命名されました。
その後、「はやぶさ」は2004年5月に地球のそばをすり抜ける「スイングバイ」と呼ばれる軌道制御を行いました。これは、地球の重力を利用することで加速し、目的地へ向かうためのものです。その際には地球や月などの写真を撮影することにも成功しました。

■イトカワへ。そしてタッチダウン。
2005年9月、「はやぶさ」は予定通り小惑星イトカワへ到着。研究者たちは、それまで予想もしなかったイトカワの姿を写真で見て、ただただ驚くばかりでした。一方探査機はイトカワの写真を次々に撮影、小惑星の驚くべき姿を間近に捉えたその写真は、研究者だけでなく一般の人々も驚かせました。
そして2005年11月、イトカワへランデブーし、サンプル取得が実施されました。サンプル取得は、「はやぶさ」底面から突き出た長い筒、サンプラーホーンから小さな弾をイトカワ表面に発射し、そこから跳ね返る物質を捉えるという画期的なものでした。
その結果は、筒から弾丸は発射されたが、サンプラーホーンにサンプルが格納されたかどうかは不明、というものでした。それでも、世界でも例のないサンプル取得の試みに、日本だけではなく世界が注目しました。
しかし、その後探査機は制御を失って一時通信が途絶えるという状態になりました。4ヶ月後に通信が回復しましたが、この影響もあって、本来2007年に予定されていたサンプルの地球帰還は延期され、2010年になりました。また、探査機は一時危機的な状況に陥りましたが、そのたびにいろいろな手段を持って切り抜け、2010年6月13日、予定通り地球(オーストラリア・ウーメラ砂漠立入制限領域)に帰還しました。
帰還の際、「はやぶさ」本体は大気圏との摩擦で燃え尽き、再突入カプセルだけが着陸しました。現在カプセル、及び耐熱シールドの発見と回収作業が進められています。
これにより、月よりも遠い天体を往復して飛行するという、世界初の快挙が達成されました。また、相手の天体に着陸して往復したのも世界ではじめてです。また、無人での着陸往復も世界初です。サンプルが入っていれば、月以外の固体天体のサンプルを持ち帰るのは世界初となります。まさに、いくつ「世界初」をつければいいのかわからないくらい、「はやぶさ」は多くのことを成し遂げました。

■星の王子様へのメッセージ
「はやぶさ」は、また、多くの人に、月・惑星探査を身近に感じてもらう先例を作った探査といえるでしょう。
2004年の地球スイングバイの際には、「はやぶさ」から撮影された地球や月の画像が次々に届けられ、雲に覆われた日本列島や小さく写る月の裏側などの様子は、まるで私たちが「はやぶさ」に乗って旅をしているかのような印象を与えました。
そして、「はやぶさ」は探査途上で様々なトラブルに見舞われますが、それをチーム一丸となって乗り越える姿がインターネットなどを通して伝えられ、多くの励ましのメッセージがインターネットにあふれました。さらにはそこから、「はやぶさ」を擬人化したアニメーションや替え歌なども登場し、まさに探査が文化となって広がっていきました。
2005年11月の小惑星タッチダウンの際には、JAXAでもそれまで経験がないほどの大量のアクセスがあり、多くの人たちが徹夜で、「はやぶさ」の状況を実況ブログを通して見守りました。その後の通信途絶、復旧、そして地球帰還への過程など、様々な段階で注目を集めてきています。
さらに、打ち上げ前の2001年に行われた、「星の王子さまに会いに行きませんか」ミリオンキャンペーンで全世界から応募された方々、約88万名分のお名前を印字したアルミシートが、「はやぶさ」には搭載されていました。このシートは、小惑星イトカワへのランデブーの際にイトカワ表面へ落とされた「ターゲットマーカー」という小さな球の中に収められ、無事、表面に到達しました。
このように、月・惑星探査が社会現象となった、その世界ではじめての例が「はやぶさ」であるといえるでしょう。



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