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ヨーロッパの月探査構想の歴史

スマート1という形でヨーロッパは月探査を実現しましたが、1990年代から、ヨーロッパはさまざまな形での月探査構想を立てていました。そのいずれも実現には至りませんでしたが、検討の段階で積み重ねられたさまざまな技術や目標が、スマート1に結実しているといっても過言ではないでしょう。
ここでは、そのようなヨーロッパの月探査構想の歴史を振り返ってみることにしましょう。


LEDA (Lunar European Demonstoration Approach)
LEDA(レダ)計画は、1990年代前半にかけてヨーロッパ(ESA)で構想された月探査計画です。1994年にスイスのビーテンバーグで開催された、第1回の「国際月探査ワークショップ」(2回めは京都で開催されました)において、月探査の気運が高まり、それをもとにしてヨーロッパの科学者、技術者が検討したミッションとなっています。
このLEDAでは、さまざまな探査が検討されました。例えば、ローバによる探査を行う場合の月周回軌道や打ち上げロケット、ローバ重量などの検討がなされました。また、月上空を周回する衛星については、高さ100キロメートルの極軌道を周回することを念頭にして、撮影できる写真の解像度、搭載する科学機器、軌道投入への手順などの検討が行われました。
また、着陸機の着陸場所については、科学的な観点から月の南極地域が有力候補として上げられたものの、安全性を考慮して、低緯度地域についての検討も行われました。
月上空を飛行するLEDA(想像図)
月上空を飛行するLEDA(想像図)

LEDAは構想という側面が強いものではありましたが、その後のヨーロッパの月探査の検討に強い影響を与えました。

MORO (The Moon Orbiting Observatory)
MORO(モロ)は、1990年代中頃にかけて、ESAが提案していた月周回衛星です。月を周回してさまざまなデータを取得することを目標としており、ちょうど同じ時期に日本で提案されたセレーネ衛星に非常に似た内容となっていました。
月のあらゆることを調べるという目的から、衛星は重さ5.3トンという大きなものが構想されていました。搭載される機器としては、ステレオカメラ(解像度4メートル)、軽量エックス線スペクトロメータ、合成開口レーダ、孫衛星などが考えられていました。
しかし、予算の都合があり、この計画が日の目を見ることはありませんでした。

EuroMoon 2000
MORO計画は、月周回という計画であったことから、日本のセレーネ計画との競合も問題点の1つとして挙げられていました。このような計画上の反省や周辺状況などの調査を踏まえて、新たに2000年に向けて計画された月探査が、EuroMoon 2000(ユーロムーン2000)です。
この計画は、MORO計画とはうって変わって、着陸機と超小型ローバからなる探査機を月に送りこむという内容になりました。また、これまでのように科学的な探査を前面に打ち出した計画から、着陸をはじめとした技術の修得といった点に重点が置かれており、現在のスマート1計画にもつながる流れとして注目されます。
月に着陸したユーロムーン2000探査機(想像図)
月に着陸したユーロムーン2000探査機(想像図)

ユーロムーン2000探査機の目的地となるのは、月の南極地域にあるクレーターです。この地域にあるクレーターの中には、太陽の光が永久に当たらない「永久影」という部分があり、水があることが期待されています。そのような場所に着陸し、小型のローバも用いて、月面の探査を行うことを目指していました。また、大きくなり過ぎたMORO衛星の反省から、着陸機に搭載する科学機器の重さも250キログラムと軽量にし、予算がなるべくかからないようにするなど、過去の探査計画の反省点を十分活かしたミッションとなっていました。

■参考資料



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